Ep.11 遠投と守護神

 翌日の放課後、ラクロス部員たちは第二グラウンドではなく、第一グラウンドに集まっていた。グラウンドでは野球部が声を上げながらキャッチボールを始めていた。

「彼女が入部希望者?」

 英子を見ながら星南がきいた。

「カエちゃんに来て欲しいっていわれたんやけど、入部テストとかあんの?」

「いいえ。でも、あなた部活はしていないのよね」

「ずっと帰宅部やで」

「とにかく、エーコの力を見て欲しい。エーコ、昨日やった感じでお願い」


 英子にクロスを渡すと、彼女は「よっしゃ」と小さく気合を込め、グラウンドの反対側に移動する。五十メートル程離れたところで振り返って大きく手を振った。


「行くでぇ! カエちゃん!」


 楓が手にしたクロスを高く掲げて準備オーケイの合図をおくると、英子は足を踏み込みクロスを振りかぶった。


「とりゃあっ!」

 クロスから放たれたオレンジ色のボールは、青空を一直線に切り裂いて飛んでくる。そのボールを、楓は構えたクロスでキャッチして、クレードルでポケットに収めた。


 泉美が、呆気にとられたように英子と楓を交互に見遣る。


「え!? なに、今の! あんな遠くから、ここまで届いたの?」

「それだけじゃない。キャッチのとき、カエデは一歩も動いてない。あの子は、ピンポイントで、カエデが立っているところに飛ばしたのよ……」

 英子の遠投に、星南も驚きを隠せないようだった。

「エーコの家は漁師で、彼女も釣りが趣味。投げ釣りなら百メートルは飛ばせる。ロングパスの練習は昨日、少しやった」

「少しって、それだけであんな正確に……」泉美はいまだに信じられない様子でいう。

「多分、投げ釣りの応用なんだと思う。ラクロスのパスやショットは、ポケットの中のボールの重心を感じることが大事なの。彼女はその感覚が自然と身についてるのよ。あと、体幹が異常に強い」

 楓は無言で頷いて肯定する。

「船の上で作業する漁師は、体幹が鍛えられるって聞いたことがある。それに、大物を釣り上げるにはそれなりの筋力だって必要……まさか、釣りとラクロスにこんなに親和性があったなんて気づかなかった。この子、かなりの逸材よ」


 星南が目を輝かせていった。彼女がそんな嬉しそうな表情を見せたのは初めてだった。


「カエデ自身もたった一日で、あのロングフィードをこともなげにキャッチしてみせた。それだって、すごいことよ」

「確かに。キャッチとクレードルがスムーズにできていたもんね。あたしたちも、もっと頑張って練習しなきゃ、あっという間にカエデちゃんに差をつけられちゃいそう」


 泉美の言葉に、楓ははっとして八千代を見た。


 三年前。

 中学生になりバレーボール部に入ったが、入学後も身長がほとんど伸びず、いつまでたっても、楓の身長は百四十センチにも満たないままだった。

 身長で劣る楓に、当時のキャプテンが「リベロをしてはどうか」と勧めてくれた。リベロは守備専門のプレイヤーで、前衛にはつかず、アタックやブロックなどのプレイも禁止されているため低身長が弱味にならない。その分、敵の攻撃に対して確実に対応する力が求められるポジションだ。

 元来、分析が得意だったこともあり、コート内では相手の動きを予測して的確な守りをすることがきた。なにより、楓は人が見ていないところでも黙々と練習を繰り返すことができる努力家だった。そうした努力の甲斐もあり、楓は一年生にして、夏の大会で上級生に混じって試合に出場することもできた。

 しかし、三年生が引退した後の秋季大会の数日前、楓は一部の二年生部員に呼び出され、取り囲まれながら、こういわれた。

「お前、生意気なんだよ」


 監督でもないくせに、試合でいちいち指示するな。

 お前が気づく程度のこと、こっちだってわかってる。

 そもそも、一年生のくせに、なに当たり前な顔して試合に出てるの?


「お前が試合に出るせいでベンチに回った二年がいるんだけど、わかってる?」


 試合で勝つことがチームの目標だった。チームが勝つために、体格で劣るなら技術で勝ろう。そう思って努力していたことは一体何だったのか。頑張れば頑張るほど、疎まれるならば、自分は何のためにチームにいるのだろう。

 悲しくて、悔しくて、二年生が立ち去った体育館裏で、楓は一人で泣いた。


 翌日、楓はキャプテンの八千代に退部の意思を告げた。しかし、八千代は頑として退部を認めてくれなかった。

「カエデが理由もなく辞めるはずがないだろう」

 八千代は体格で劣る楓が誰よりも努力して、レギュラーを勝ち取ったことも、的確な状況分析に長けていることも理解してくれていた。そして、はっきりと「楓はチームにとって不可欠なんだ」と、そういってくれた。

 自分のことをこんなにも理解してくれる人がいたことは嬉しかった。けれど、だからこそ、同じチームの二年生に、あんな悪意に満ちた言葉をを一方的に投げつけられたことが信じられなかった。

 再び涙が溢れてくるのをこらえられず、楓は八千代に昨日の経緯を打ち明けた。


「わたしが彼女たちを説得する。だから、カエデはわたしを信じて、これまで通りにチームのために力を発揮してほしい。わたしたちのチームに、カエデは絶対必要なんだ」

 八千代は優しく楓の肩を抱きながらそういった。


 しかし、大会の当日。

 試合会場に八千代以外の二年生は一人も来なかった。試合をボイコットしたのだ。選手が六人に満たなかった遊路中学校は、試合に出ることができず、大会運営の手伝いだけをして帰路についた。試合会場からの帰り、悔しさとチームのみんなへの申し訳なさとで、楓は顔を上げることすらできず、ただ俯いて涙をこらえていた。

 その後、バレーボール部は空中分解し、部に残ったのは八千代と楓を含む一年生四人だけになり、遊路中学校女子バレーボール部は八千代が引退するまでのあいだ、一度も公式戦に出ることはできなかった。


 楓の中には、八千代の中学時代最後の一年間を、一度も公式戦に出られないままにしてしまった、という負い目があった。

 だから、高校では迷うことなく、八千代のいるバレーボール部に入部した。戦力でなくていい。ただ、公式戦に出るための要員で十分だった。敵を作らないために目立つ行動はせず、静かに黙々と、自分がすべきことだけを確実にこなしてきた。

 なのに、春の大会が終わって三年生が引退した後、今度は、いきなりやってきた二年生に、勝負をして負けたら部を解散しろといわれた。そして、彼女が打ったサーブをリベロの楓がレシーブミスした結果、バレーボール部は勝負に負け解散させられた。

 積み上げた石が鬼によって無残に崩される犀の川原のように、彼女は再び深い失意の闇の底に落ちた。けれど、そんな闇の中に、八千代の「わたしもラクロス部に入部しよう」という一言で、光が差した。

 八千代を公式戦に出せるのならば、どんなことでもやるつもりだった。たとえ、それがラクロスというマイナースポーツであっても。

 でも、もしもここで、また同じことが起きたとしたら……


「大丈夫だ、カエデ。もう三年前みたいなことは、絶対にさせないから」


 楓の視線に気づいた八千代が微笑む。努力で他者に抜きんでた楓を、不条理に疎んだ誰かによってチームが破綻した過去を、八千代は強い言葉で否定した。

 グラウンドのむこう側から、英子が手を振って駆け寄ってくる。


 昨日、楓は英子に中学時代に自分がチーム内の不和を招いたことや、自分のせいでバレー部が解散してしまったこと。そして、彼女のことを必死に守ってくれた八千代に、なんとかして恩返しがしたいのだということを話した。そしてチームが公式戦に出るために、英子にラクロス部に入ってくれないかと誘った。


「せやけど、ウチこれまでスポーツ経験ないし、数合わせだけやっても意味ないんちゃうか?」


 そういった英子に、楓は彼女の遠投力がチームの役に立つと考えて、あの後、英子と二人でずっとロングパスの練習をしていたのだ。そして、彼女の目論見通り、星南を含めたここにいた誰もがそのロングパスに舌を巻き、彼女を戦力として認めた。


「どないや、カエちゃん! 使えそうか?」

 楓は両手で頭の上に大きく丸を作ってみせた。それを見て美海がいった。

「メンバーも十人揃ったね、セナ」

「ええ。これで公式戦にも出られるし、なにより小山内さんがコーチを引き受けてくれる条件が整った。ありがとうカエデ」


 これまで、なにがあってもポーカーフェイスを崩さなかった星南が、顔を綻ばせて感謝の言葉を口にした。それを見て、英子がいった。

「で、ウチは入部できるんか?」

「もちろん歓迎するわ。私は女子ラクロス部キャプテン、日比井星南よ」

「梶英子や、よろしく頼みます。なんや、思ってたイメージとちゃうかったな、キャプテンさん。ユッコの話をきいて、もっと血も涙もない人なんかと思ってたわ。」

「ガウガウは話を盛る癖があるのと、特定の人に思い入れが強すぎるみたいだから、話半分で聞いておくといいわ」

「ん? ガウガウっちゅうんはユッコのことか? それやったら、ウチも同類やわ。関西人は話盛るんが仕事みたいなもんやからな」

 英子はニカっと歯をのぞかせて笑いながら、楓を見遣った。

 そのとき。


「危なーいっ!!」


 グラウンドから大声がした。

 バッティング練習をしていた野球部の打ったライナー性のファウルボールが、集まっていたラクロス部員たちのほうに飛んだのだ。

 一瞬の出来事に、誰もが身体を強張らせ反応できなかった中、一人だけクロスを構えて飛び出していた。

 楓だった。

 リベロとして、鋭い打球を受け続けてきた楓は、反射的にボールが飛んでくる方向に体を向け、そして、構えたクロスで見事にボールを受け取っていた。

 あわやというところで、危機を回避した彼女の背中を見て、星南が茫然としていった。


「守護神が、いた」

  

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