track.36 最強の狼

 ふらふらしていた僕を支えながら、ノエルは部屋を駆け出していた。

 全く状況が飲み込めない。だけど、何かしらの危機が起ころうとしてるってことは、間違いないのだろう。



 「アズマ、しっかりして! 肩を貸すから!」

 「あ……うん!」



 ノエルと僕がマンションのエントランスを飛び出すと、仰々しい黒塗りのジャガーが停まっていた。

 先を急ごうとする僕を尻目に、彼女はその車に乗るよう促す。



 「アズマ、早く乗って! 時間がないの!!」



 運転手はサングラスをかけた、SP風のいかつい白人男性だった。だから、一体何者なのさ?

 その男は道交法無視で車を疾走させ、五分も経たずに霧島のマンションへと到着する。

 ノエルはいきり立っていた。彼女は男から楽器でも入っていそうな黒いハードケースを手渡され、マンションのエントランスへと駆け出す。



 「さあ、急いで! キリシマ・マリカの部屋は何階なの!?」

 「確か、二十三階……呼んでみるよ!」



 エントランスから霧島の部屋を呼び出すが、全く応答はなかった。時間は既に午後六時を回っていた。まだ日は出ているが、普通であれば彼女が家にいておかしくない時間だった。



 「おかしいな……いないのかな?」

 「いいわ、貸してみて! で、これ持ってて!」

 「ちょ! ノエル!?」



 ノエルは怪しげな携帯端末を取り出すと、インターホンの機器に差し込み、あっという間にオートロックを解除してしまう。

 それはいいのだが、ノエルから手渡されたハードケースは、見た目以上にえらく重かったんだ。こんなものを軽々持つとか、僕に力がないだけなのか、或いはノエルって……。

 色々と突っ込みどころは満載であったが、とても突っ込める雰囲気ではない。僕は何も言わずに霧島の部屋へと急いだ。



 エレベーターを降りて、霧島の部屋の前に立ったノエルは、深刻そうに呟く。

 


 「ヤバいかもしれない。何か凄く嫌な予感がするわ……」

 「嫌な予感って……霧島! いないのか!? 霧島!!」



 ノエルの警鐘に、僕は恥も外聞も捨てて、玄関扉をガンガン叩いていた。



 「このタイプの電子キーなら開けられるわ! アズマ、どいてて!」



 ノエルは再び怪しげな携帯端末を取り出し、僅か十数秒でセキュリティレベルの高いだろう電子ロックを解除してみせる。

 これはこれで凄いことなんだが、傍から見れば泥棒以外の何者でもないだろうな。

 ノエルはスパイ映画みたいに、警戒しながら玄関ドアを開けた。玄関から見た中の様子は、以前と変わらなかったが、何かおかしい。僕でさえ異様な禍々しさを感じた。

 


 「何かの気配を感じるわ……アズマ、注意して」



 ノエルの後に続き、僕は恐る恐る室内に入って行った。

 リビングへの扉は、僕らを招き入れるように開かれていた。そこは、僕が初めてここに来た時に霧島に好きな音楽を聴かせてもらい、毘奈と三人でご飯を食べて語り合った場所だ。



 「は……!? アズマ! 見ちゃダメ!!」

 「へ……? 霧し……ま?」



 先に入ったノエルが僕を慌てて制止するが、最早手遅れだった。リビングの中心には、あの小柄で美しかった少女が、血だらけで絨毯にうつ伏せとなっていたのだ。

 そして、彼女の背中には、中世ヨーロッパの騎士物語にでも出てきそうな奇妙な剣が、串刺しにするように突き立てられていた。



 「き……霧島ぁぁぁぁああああ!!!!!」

 「ダメ!! アズマ、動かないで!!!」



 頭が真っ白になって、霧島目がけて駆け出そうとする僕の腕を、ノエルが咄嗟に掴んで引き止めた。

 これが黙っていられるわけがない。一体誰が、霧島にこんな酷いことをしやがったんだ!



 「ノエル、離してくれ!! 霧島が……霧島が!!」

 「落ち着いて、アズマ! あいつが見えないの? 不用意に近づけば!!」



 霧島が横たわる絨毯の更に向こう、そいつは椅子に片足を抱えるようにして座り、不気味に笑いながら僕らを見ていた。



 「ちっ……来ちまったか。もっと潰しあってくれてれば良かったのによー」

 「お……お前は?」



 ブロンドの短髪に赤茶けた残忍そうな瞳、こんな奴見たことなかった。だけど、聞き覚えのある声だ。着てる物はまんま……。



 「さ……佐伯先輩? あなたが……霧島を……?」

 「マリカによ、俺の仲間になって俺の子を産むように言ったんだ。だが、断られちまったからよー」

 「それで……霧島にこんな!?」

 「大丈夫さ、俺らはこのくらいじゃくたばらねーよ。ただな、暴れだしたもんだから、もうちょっと従順になるよう教育してんだ」



 姿形に佐伯先輩の面影はあったが、それはもうロック好きで変人だけど、どこか憎めない先輩などではなかった。

 残忍で猟奇的な笑いを浮かべる、ノエルの言っていた人外の存在。そう、彼こそノエルの追っていた一際危険な厄災であったのだ。



 「やっと見つけた。大英博物館の秘宝庫から伝説の魔剣を盗み出した、世界最強にして最後のフェンリル……」

 「へへへ、やっぱり影のMI6……英国政府の犬が学園に入り込んでいやがったか。もう少しで煙にまけそうだったのにな」

 「どうやら、その子とあんたの気配が干渉し合っていたのね。道理で近くにいるのに見つからなかったわけだわ」

 「よくできました……と言いてーとこだが、傑作だったぜ! 俺がマーキングしてスケープゴートにしたそいつに、夢中だったんだからよ!」



 僕の前へ踏み出したノエルへ、彼はせせら笑うように言った。

 そうか、だからノエルは僕にあんなに執拗だったのか。で、僕の霧島を守りたい思いを利用されて……。僕もノエルもこの狡猾な狼にしてやられていたんだ。



 ノエルは舌打ちをして、先ほど渡された黒いハードケースを開き、古めかしい装飾の施された大きな剣を取り出したのだ。



 「黙りなさい、お遊びの時間は終わりよ。最後のフェンリル……国際指名手配犯アレックス・コッカー!!」

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