第二章 狼をさがす少女

track.22 英国から来た淑女

 てっきり僕は、この前以上の厄介事なんて起きるはずがないと思い込んでいた。

 いや、それは僕の単なる正常化バイアスだったのだろう。普通ではない彼女の周りには、自然と普通でないものが集まって来るってことだ。

 


 とにかく、もう始まってしまっていたんだ。僕と彼女の第二章は……。



 三頭会の事件以来初登校となるわけだが、僕は休み明けからとんでもない面倒に見舞われていた。

 天に吐いた唾ってやつかもしれない。僕は霧島と一緒に、今までの人生の中で全く縁も所縁もない軽音部を尋ねることになっていたのだ。



 そんな憂鬱な一日の始まり、僕は教室に漂う奇妙な空気感に気付いていた。

 何だか、いつも以上にクラスメイトたちの態度が素っ気ないんだ。皆んな意識的に僕から目を逸らしている気がする。

 まあ、普段からボッチの僕からしてみれば、何も変わらないっちゃ変わらないんだけど、僕に対する聞きたくもないヒソヒソ話を無視し続けるってのは、それはそれでストレスが溜まるんだ。



 ――あれでしょ? 那木君って、あの霧島 摩利香の右腕って……」

 ――そうそう、五竜高とのケンカで怪我して休んでたって」

 ――怖いよね、あんな大人しそうなのに、人は見かけによらないっていうかさ……」

 ――三頭会のヤンキーたちに、一人で真っ先に突っ込んで行ったんだろ?」

 ――ああ、五竜高じゃ、霧島の右腕の男は『皇海の狂犬』って呼ばれてるとか、呼ばれてないとか……」



 この善良を絵に描いたような青少年を、クラスメイトたちは他の御多分に漏れずに大いに誤解していた。

 失礼な話さ。毘奈なんかその噂話を聞いて、お腹を抱えて笑っていたっけ……。

 大体、本当の狂犬は霧島なわけだしな。……あ、狼だったか……。



 こんなげんなりする朝の空気の中、ホームルームが始まるとクラスにどよめきが起こった。

 別に僕のことじゃない。いつものように教室に入って来た気だるげな男性教師の後ろから、何とも異国情緒溢れる場違いな少女がついて来たんだ。



 「と……突然だが、我が学園と姉妹校にあたるロンドンのメリーチェーン・ハイスクールから、えー……交換留学生を迎えることになった……」



 僕にとっちゃ、そんなのどうでもいいことだった。だけど、この夏休み前にずいぶんと節操のない話じゃないか。教師すら困惑しているのが見え見えだった。

 しかもこの女の子、ブロンドの長い髪に綺麗な青い瞳、雪のような白い肌で頬が微かに紅色に滲んだ、正に典型的な白人美少女だったのだ。



 「と……いうわけで、うちのクラスの山梨と入れ替えで来てくれた、イギリス人のノエル・スライザウェイさんだ」

 「ノエル・スライザウェイです。向こうで日本語は勉強していました。ふつつか者ですが、皆さんご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」



 ノエルと名乗る少女は、教師に促されて一歩前に出ると、流暢な日本語で日本人顔負けの自己紹介をしてみせる。むしろ、この教室の何人かより日本語が上手いんじゃないか? しかも、美人の上にとろけるような甘い声だ。

 この美人の転校生に、クラスの男子たちから黄色い声が飛ぶかと思いきや、皆んな黙りこくってしまった。

 人間、本当に美しいものを見たときってのは、言葉にならないものなんだ。むしろ皆の関心は、いきなり英国のハイソな学校に留学してしまった山梨の方についてだった。



 「おい、お前山梨からそんな話聞いてたか?」

 「いや、全然……。ていうか、あいつ野球部だろ? 甲子園目指してる奴が、イギリスに行って一体何するんだ?」

 「わからんが、あんな美人と交換留学してくれた山梨には感謝だな……」



 クラスメイトたちのヒソヒソ話を聞けば聞くほど、無理矢理感が半端なかった。

 そして先生は、唐突に僕の席の方を指さし、席の場所を言い渡したんだ。



 「じゃあ……スライザウェイさんは山梨の座っていたあの席に座ってくれ!」

 「ええ、わかりました。先生……」



 そう言うと、ブロンドの美少女は僕の方へ向かってどんどん向かって来る。

 僕は一瞬動揺するが、考えてみれば当然だった。そうだ、山梨って、隣の席にいたボーズ頭の野球部だったっけ?



 そんな疑問を差しはさむ余裕もなく、ノエル・スライザウェイは僕の隣の席に座り、天使のような笑顔で親しげに話しかけてくる。



 「ハイ、ノエルよ、よろしくね!」

 「な……那木 吾妻……です。よろしく」



 僕は彼女の挨拶に動揺しながら答えた。

 白人ってのは基本大人びた顔つきしてるけど、この子のくったくない笑顔は、美しさの中にあどけなさも兼ね備えている。正に日本人好みのベビーフェイスだ。

 彼女は動揺しまくりの僕を心配するように、髪を軽くかき上げながら顔を近づけてきた。



 「どうしたの? 何だか顔が赤いみたいよ。具合でも悪いの?」

 「え……いや、何でもないよ! 怪我してたから凄く元気……でもないけど、あはは……」

 「ふーん、君、なんか面白いのね。仲良くしましょ」


 

 これがまた、ローズマリーだかレモングラスだか、うっとりしちゃうくらいいい匂いを漂わせているんだ。

 今日は霧島の保護者として軽音部なんぞに行かなきゃならなくて、こちとらただでさえテンパっているんだ。それなのに、なんでいきなり隣の席のボーズ頭が、こんなお人形みたいな金髪美少女になっちゃうんだよ。

 全く、こんなんじゃ授業どころじゃないっつーの!



 僕は彼女の端正な顔を横目でちら見しつつ、何だかフワフワした気分のまま放課後を待ったのだ。

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