track.6 幼馴染からの警告
毘奈は人差し指を立てると、まるで怪談話でもするようにおどろおどろしい口調で、通称『霧島事件』と呼ばれる一連の出来事を語り始めた。
「……あの人って、元々この辺の子じゃなかったの。だからさ、入学した当時は、いきなりミステリアスな謎の美少女が入学してきたってことで、結構話題になってたんだ」
「へー、全く知らんかった」
「それでね、A組の男子からも一躍アイドル的存在になっちゃって、何回か男子に告白されたみたいなんだけど、皆んなバッサリ断ってたらしいんだ。多分それが原因だと思うんだけどさ、A組を仕切ってた女子グループの強い反感を買ったみたいなの……」
「女子って怖いね」
「その女子グループがね、数人で霧島 摩利香を囲んだって話みたいなんだけど、全く動じないどころか、逆に凄んでその子たちを泣かせちゃったらしいの……」
緊張感をもって語る毘奈を尻目に、僕はそのエピソードに妙に納得してしまった。
わかるわー、確かにあいつの鋭利な刃物みたいな眼光で凄まれたら、男の僕でもちびりそうになるもんな。
この程度であれば、僕でなくてもそこまで霧島を危険視するような問題ではない。毘奈は前のめりになって更に話を続けた。
「それで終わればまだ良かったんだけどさ、その女子の一人がね、ヤンキー校で有名な五竜高ってあるでしょ? そこの男子と繋がってて、学校近くの鉄橋の下でね、十人くらいで霧島 摩利香を囲んだんだって……」
「そこまでするかね……相手は一応女の子だぜ?」
「吾妻、覚えておいた方がいいよ、女の嫉妬や恨みはね、怖いんだよ。で、問題はここからなの……」
普通であれば、そんなこと話す前から分かっていた。女の子一人を囲んで、数人の男女で集団暴行という語るに悍ましい凄惨な事件となるはずだったんだ。そう、相手が霧島 摩利香でなければね。
「その後のことは、何が起こったか誰も話したがらないらしいよ。ただ分かっているのは、他の生徒が発見した時には、皆んなボロボロになって倒れてて、霧島 摩利香だけが無傷で、まるで抜け殻になったみたいにその場に立ってたんだって……」
「でもそれってさ、霧島が一人でやったていう証拠もないんじゃない? いくらなんでも荒唐無稽すぎるよ」
「そうなの、最初は誰もあの人が一人でやったなんて信じなかった。事件に関わった生徒は怖がって何も言わないし、問題をあまり大きくしたくなかったのもあってね、事件のことを知った先生たちも厳重注意くらいでうやむやにするつもりだったらしいの。でもね、霧島 摩利香本人だけが、自分がやったって頑なに言い続けるものだから、学校側も仕方なく停学処分にしたって話みたい……」
とにかく不可解な話であった。暴力事件も停学処分も、確かに事実であると本人からも聞いている。
それでも尚腑に落ちない。僕らは重要な何かに気付いていないのではないかと思うんだ。
毘奈の言いたいことはわからんでもない。だが、これだけの情報だけで、僕は霧島 摩利香という一人の少女を判断したくはなかった。
「ね、だからあの子はヤバいの! 吾妻も気を付けないと、いつか怖い目に合うんだよ!」
「でもさ、やっぱり霧島が根っからの悪い奴なんて思えない。まあ、あいつ次第だけど、こっちから避けるようなことはしたくないな……」
「もう、なんで分かってくれないの? 吾妻のことを思って言ってるんだよ!!」
また始まちゃったよ。こうなると毘奈はもう一歩も譲らないんだ。
だけど僕も言われっ放しじゃない。霧島のことを悪く言われると何か腹が立つし、今日は僕も引き下がれなかった。
「大体さ、俺が誰と付き合おうと、お前には関係ないだろ? 何でお前に一々指図されないといけないんだよ?」
「そんなの当たり前でしょ! だって吾妻は、私の幼馴染なんだから……」
「理由になってないし、それにお前も幼馴染だからって、彼氏がいる身で他の男の部屋にほいほい行っちゃうとか、そういうの良くないと思うぞ」
「そんなこと先輩は気にしないもん! 行くのは、那木家だけだし……吾妻、感じ悪いよ!」
「相手が気にしなければいいとか、不誠実すぎるだろ! 付き合ってるんだったら、少しは相手の気持ちとか考えた方がいいんじゃないのか? 本当に相手のこと好きなの、お前?」
「だって……先輩は頼れるお兄ちゃんみたいな感じだったし、私のこと好きだって言ってくれて、周りも勧めるし……私も別に嫌いじゃなかったから、何となくいいかな……って」
毘奈は珍しく目を逸らして言葉を詰まらせていた。良くも悪くも、幼馴染だけにお互い言うことに遠慮がない。僕もついつい、こいつには言い過ぎてしまうんだ。今回は最たるものであった。
「お前、自分がそんなんで、人のこととやかく言う資格があるわけ?」
「もう、私のことはどうでもいいでしょ? 吾妻は黙って私の言うこと聞いてればいいの!! だって吾妻は……私の幼馴染なんだから!!!」
「何それ? 一体どこの独裁者だよ? 幼馴染なんて家族でも、親友でも、ましてや彼氏彼女でもないのに、単なる他人が余計な口出しすんなよ!!」
この言葉が決定的だった。毘奈はいよいよ顔を真っ赤にさせ、目を血走らせながら僕を睨むと、物凄い勢いで跳びかかって来たんだ。
「もう頭きた! 吾妻の大馬鹿! わからず屋! むっつりスケベ!!!」
「ちょっ! おまッ!! 危な……!?」
勢いに任せて毘奈が僕を突き飛ばしたもんだから、二人は仲良く凄い音を立てて床へと引っくり返ってしまう。
気が付けば、僕の上には毘奈が抱き合うかのような形で倒れ込んでいた。
「痛たた、何すんだ……よ!?」
毘奈がゆっくり顔を上げると、僕らはまるでキスでもしちゃうんじゃないかってくらいの至近距離で、不意に目が合ってしまった。
毘奈は確かに美人だと思う。だが、これまでの関係が深すぎて、単なる鬱陶しい女兄妹くらいにしか思ってなかったんだ。ただこの時は、小さな頃にはなかった発育中の胸の感触、少しはだけたブラウスから覗かせる運動部女子にありがちな白と小麦色の肌のコントラストが、いつも見ていた幼馴染をやたら妖艶に見せていた。
そうして、僕らはほんのひと時、時間を忘れてしまっていたんだと思う。それは、僕にとってとても鮮烈な出来事であり、そして致命的なほど愚かな行為だった……。
「吾妻! どうしたの凄い音立てて! 毘奈ちゃんと言い争ってたみたいだけど、何かあった……の!?」
「え? 毘奈姉来てるの!? 私も会いたい! って……え!?」
まるでプロレスでもしてるかのような凄い物音に驚き、母親が僕の部屋の扉を開いた。運の悪いことに、調度塾から帰って来たばかりの妹の伊吹も連れてね。
扉を開ければ、まるで深く愛しあうかのように床の上で絡み合う年頃の息子と美人の幼馴染、そしてその周囲には、無残にまき散らされた僕のエチィ本の数々が、これ見よがしにおっぴろげとなっていた。
「あらあら、本当に仲がいいのね。毘奈ちゃん、吾妻で良ければいつでもお嫁に来てくれていいのよ! ……吾妻、後で大事なお話があるから、お母さんのとこいらっしゃい」
「うっわー、毘奈姉大胆! で、お兄ちゃんはサイッテー! キモ……」
目の前に広がるこの地獄絵図を目の当りにし、二人は呆れた様子で下に降りて行った。
もういい、殺してくれ。呆然としながら起き上がった僕たちは、さっきの胸のときめきなどすっかり吹っ飛んでしまい、毘奈は照れ笑いを浮かべ、僕は絶望に打ちひしがれていた。
「あははは……なんか勘違いされちゃったね、吾妻……ドンマイ!」
「で、出て行けーーーー!!!!」
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