第2話 にいさん

 『にいさん』でいこう。


 私は心の中でつぶやいた。友人に協力してもらい様々な呼び方を考えた。どれもしっくりとは来なかったけど、前とそれほど変わってないからこれなら何とか違和感なく言えそうだと思った。


 あとは実行あるのみだ。


 ガチャ…………バタン!


 ドアを雑に開け閉めする音。これは間違いなくお兄さま、じゃなくてにいさんのものだ。話しかけに行こうか。いや、普段行かないのにいきなり行って呼び方を変えたら意識してると思われる。それはなんか癪だ。まだその時ではない。


 リビングのソファから立ち上がるのはやめて、ぐたっと横になってスマホを眺める。少しして手洗いうがいを済ませたにいさんが洗面所からリビングへやってきた。右手にかけられたコンビニ袋をテーブルの上に置くと口を開いた。


「シュークリーム買ってきちゃった。さつきの分もあるから食べようぜ」


 兄さんへのちょっとした復讐のつもりで呼び方を変えようって時に、なんて間の悪い奴だ。だが買ってきたならしょうがない。食べてやらんでもないか。


 私は再び起き上がり、コンビニ袋からシュークリームを取り出す。


「いただきまーす」


 帰ってきたときに「ただいま」とは言わないくせに、食事の時には必ず挨拶をする。そういうところはマメな男だ。


「いただきます……」


 シュークリームには罪は無い。一口食べる。また一口。おいしい。久しぶりに食べた気がする。私は無駄なものを買ったりしないからこういうものを食べる機会はほとんどない。


 しかたない。今日くらいお礼を言ってやるか。


「ごちそうさまー」

「ごちそうさま……」


 改めて言うとなると緊張する。


「あ、ありがとう。にいさm……」


 噛んだ。大事なところで噛んだ。完全にニイサムって言った。


「ニ、ニイサム!!ニイサムって!!!」


 腹を抱えて笑ってやがる。何だこいつ。人がせっかく感謝してんのに。


「何?ニイサムって?お兄さまハンサムの略???」


 どんだけ笑ってんだこのヘラヘラグルグルパーマメガネ。礼なんて言わなきゃよかった。


「もしかして『お兄さま』って言うの恥ずかしくなったのか?気にする必要はない。いくらでも呼んでくれ給え」


 こいつ、人が気にしてることを堂々と……。


 もう決めた!今後絶対、『お兄さま』って呼ぶもんか!!!


「なんだ、喧嘩してるのか」

「これからご飯作るからそこの物どかしなさい」


 いつの間にやら両親が帰宅していたようだ。いい機会だ。

 私は今日まで抱え込んでいた思いの丈を一気に吐き出した。


「何で教えてくれなかったの!『お兄さま』って呼んでるの私だけだったじゃん!」


「えー、いいと思うけどなあ」

「お兄さまは黙ってて!」

「他所は他所、ウチはウチだ。気にする必要はない」

「パパ上様は気にしなくても私は気にするの!」

「イッヒッヒッヒッ」

「ゴッド・マザー笑わないで!」

「そのままが一番いいって」

「お兄さま、またそうやって他人事だと思って!」






――『完』――

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『お兄さま』って呼ぶもんか! くらんく @okclank

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