第15話:生ける者

『海猫・氷牙流星ひょうがりゅうせい!』

 影狼は氷の槍を放つと同時に、照雲に斬りかかった。

 神の力により身体能力が強化された照雲は、影狼が一太刀浴びせるよりも早く二太刀浴びせることができた。その手数の差を埋めるための作戦である。

 とはいえ、手数の差が埋まるのは氷槍と同時攻撃するほんの一瞬だけ。それが過ぎたあとは一方的な照雲の攻撃が続いた。堪らずに一歩引いた影狼を追尾して、照雲はさらに畳みかけようとするが、ふとなにかを感じ取ってその場で高く舞い跳んだ。

 直後、照雲のいた場所を氷槍が勢いよく通過していった。。

 放った氷槍を引き戻して背後を突く、幸成の得意としていた奇襲戦法である。しかしこれも、次の攻撃に繋げる布石に過ぎなかった。

 照雲の体が宙を舞った刹那、その足の片方を薄青い閃光が斬り裂いた。

『よし! 片足だけでも封じればこっちのもんだ。一気に勝負を――』

 影狼はさらに、照雲が着地する瞬間を狙い、畳み掛けようとするが――

 それよりも早く、猛烈な反撃が影狼を襲った。

 刃の激しく擦れ合う音がして、次の瞬間には両者は大きく距離を取っていた。

 照雲には、足を庇う様子もない。

「神気の迸る不思議な刀です。それで神気を断ち切り、神兵を動けなくしていたのですか?」と、照雲。影狼がなにも言えずにいると、さらに言葉を続ける。「しかし……ミシャグジの神気に比べればあまりにも微弱。そんなものでは、ミシャグジの神体を宿したこの体は止まりませんよ」

「……っ!」

 心が折れそうになる影狼。だが幸成は諭すように言う。

『迷うな影狼。たとえ神が宿っていようが……奴自身は人のままだ。首筋に止水ノ太刀を叩き込めば、少なくとも奴の意識を飛ばすことはできるはずだ』

 幸成の見立てでは、照雲は神の力を借りながらも、半分は己の意思で動いている。

 それは人の意識を保てていることからも、動き方からも推察できた。

 照雲の剣舞は一見、神兵と同じように見えるが、両者には明確な違いがある。

 これまで相手にしてきた神兵は、動きが速いだけではなく、もっと人体構造的にあり得ない体勢から攻撃を仕掛けてきていた。

 しかし照雲にはそれがない。速さは神兵をさらに上回るが、関節を強引に捻じ曲げるような無理な動きはしないのだ。神兵が戦闘後に力尽きていく中、照雲だけが連日戦えているのも、それが影響しているのかもしれない。

『奴が意識を失えば、もう神兵を操ることはできない。それでオレたちの勝ちだ。そのあと照雲の体が独りでに動こうが、オレたちは放っておけばいい』

「……分かった。それに賭けてみるよ」

 そうと決まれば影狼の行動は早い。海猫を一振りし、再び氷柱を生成すると、迷うことなく照雲に向かって駆けて行った。

 手足の力を削ぐことはできない。ならば氷柱との連携攻撃で隙を作り出し、一息に急所の気を断ち切るまでだ。

 しかし、やはりというか――急所の守りは堅い。首筋に一撃を叩き込むには、照雲の予測と反応を上回る必要があった。

『影狼。海の上で戦った時のやつ、覚えてるか?』

「うん……まさか、あれをここでやるの!?」

『照雲の動きを上回るにはもうそれくらいしかない。とにかく、使える手は全部使うぞ!』

「でもオレはまだ……ああ、もう!」

 躊躇う影狼の足元から、こんこんと水が湧き出る。そして水は竜のような姿を象り、影狼を乗せて上昇していった。

「無駄な足掻きを」

 なにやら大技が来ると見て取るや、照雲は機先を制するべく攻勢に出る。

 だが照雲がひと跳びでその高さに到達した時、影狼を乗せた水竜の頭はすでに剣の届かぬ所にあった。

『滑らないように気を付けろよ』

 影狼が踏み出すと、それに合わせて薄氷が現れ、足場を作っていく。

 不思議な足場の感触を確かめながら、影狼は言った。

「これくらいなら大丈夫。元々この洞窟、ぬかるんでて滑りやすかったし……それより足が冷たいのが気になる」

『それくらい我慢しろ』幸成は苦笑して、『足場が欲しい所を頭に浮かべてみるんだ。あとはオレがなんとかする』

 こんな戦い方をするのは初めてだが、足元を幸成が支えてくれるならば、なにも心配事はないように影狼には思えた。

「なにをぶつぶつと言っているのです。来ないのですか?」

 照雲が呼び込んでいる。時間の余裕は向こうにある。影狼の出方を見るつもりだろうか。

『行くか』

「うん」

 キッと照雲を睨みつけた影狼は、まるで急斜面を滑り降りるかの勢いで照雲に肉迫する。

 照雲は回転剣舞で迎え撃つが、直前で影狼は滑走の軌道を変え、背後に回り込んだ。

 だが高速で回転を続ける照雲に背後も正面もない。両者はそのまま数合打ち合い、受け切れなくなった影狼が氷を蹴って後退した。すかさず照雲が追撃し、刺突を繰り出すが、波の砕けるような水音とともに、影狼の姿が消える。

 影狼の姿は上――否、今度こそ背後にあった。

 後退の勢いそのまま、巻き上がる波に乗って、照雲の頭越しに回り込んだのだ。

 ―――取った!

 ガラ空きになった首筋めがけて、ここぞとばかりに『止水ノ太刀』を叩き込む影狼。

 だが次の瞬間、照雲は凄まじい勢いで体を捻り、神速の一太刀を浴びせてきたのだった。

 流石の影狼も完全には避け切れない。目の横辺りに刀傷が走り、血が滲み出た。

『影狼!』

「くそっ……またこれだ……!」

 一度は見た誘い込みにまたしても引っ掛かり、悔しさを滲ませる影狼。

 無心の状態で戦っている影狼は、どうもこのような虚を突く攻撃に弱いところがあるようだ。罠だと分かっていても、反射的に体が動いてしまう。

「驚きました。そのようなこともできるのですね。その神器は」

 神器――仙刀海猫のことを指しているのだろうか。照雲は続けて言う。

「しかしなにより驚いたのは、あなたのそのしぶとさです。昨日手合わせした時から不思議に思っていたのですよ。あなたの剣術は他の二人より遥かに稚拙で、隙だらけ。なのにあなたは、三人の中で唯一傷を負いませんでした。私が集中的に狙ったにもかかわらずです。一体何者なのですか、あなたは? それも神器による力なのですか?」

 影狼は頬を伝う血を拭ってから言った。

「いや……これはオレ自身の力だ」

 影狼は、自分でも生きているのが不思議であった。

 しかしそれが決して好運によるものでないことも分かっていた。そして幸成も――

脱兎だっと――前に羽貫さんが言ってた、影狼の気功術か』

 影狼が頷く。

「オレが仙刀術をまだ一つしか使えないのは、オレが下手だったのもあるけど、気功術の方を優先して身に付けたからなんだ。羽貫さんは、今のオレにはこっちの方が大事だって言ってた」


 仙刀海猫を使いこなすため、気功の修行を始めた時のことである。

「気功の修練を積むことで得られるものは、他にもある」

 師の柳斎はそんなことも言っていた。

「気功はその人に生まれつき備わった身体機能を強化することができる。例えばオレの、邪気の流れを感じ取る力――心眼と呼ばれているが、これは気功によるものだ。あとは、太郎次郎のあの怪力もそうだ」

 柳斎は、それら気功の修行によって得られた特異な能力を、気功術と呼んだ。

 決して誰しもが身に付けられるものではない。だが影狼に素質を見出していた柳斎は、仙刀術『止水ノ太刀』と並行して、気功術の練習も早い段階からやらせていた。

 そして発現した気功術が、『脱兎』――瞬間的に反応速度を引き上げる能力である。

 元々影狼は、死の淵に立たされた時などに、超人的な反応速度を見せることはあった。気功の修行はこの才能をさらに伸ばし、ある程度随意に引き出せるようにもなった。

 気功術と呼べる程度に仕上がったのは、駿河への出発を目前にした頃のことである。

 仕上げの練習は、『心眼』を使う柳斎との真っ向勝負だった。

 あらゆる行動意図を先読みする柳斎に対し、影狼は常に後手に回り、初めのうちは一刀で叩き伏せられてばかりだった。だが繰り返すうちに、後手に回っても反応が間に合うように体が順応していき、一本、二本と持ちこたえられるようになった。

「上出来だ。ここまでできれば簡単には死なないだろう。オレも安心してお前を送り出せる」

 打ち合った回数が初めて十本を超えた時、柳斎からその言葉が出た。

 仙刀術を目的に修行を始めたが、その時が一番達成感があったのを、影狼は覚えている。

「だがくれぐれも慢心はするなよ。その能力を維持するのも容易なことではないからな。オレがいない間も毎日鍛錬を続けるように」

「はい!」

 その後も影狼は柳斎の忠告を守り、今日まで気功の修行を一日も欠かすことなくやってきた。

 生きて柳斎たちの元へ帰るために――


「私の剣を、己の力だけで見切ったと……? 本当であれば大したものです。ですが……」

 照雲は感心しつつも、意に介する様子はなかった。

「あなたには運がない。あなたは神を敵に回してしまった。神に抗いし者に待ち受けるのは死のみです」

 押し寄せる淘汰の波。だが影狼は臆することなく照雲を見返す。

「オレは死なない」

 どれだけ運命に弄ばれようとも、影狼は前に進み続けてきた。

「神様はオレの味方じゃないかもしれないけど、オレにはもっと心強い味方がいるから」

「!」

 その言葉に、幸成は一瞬ドキリとする。

「幸兄のことじゃないからね」

『そういうことにしておくよ』

 即座に否定され、幸成は苦笑したが、気分は影狼の守り神であった。

 柳斎も認める影狼の気功術に、幸成の加護。この二つが揃えばなにも恐れるものはない。

「戯れ言を……」

 照雲の声にはわずかながら、苛立ちを孕んだような震えがあった。

「所詮、人は弱い生き物なのです。神にまつろう者は栄え、まつろわぬ者は淘汰される。それが自然の理というもの。何者も天意からは逃れられません」

 剣を片手に照雲は旋回を始める。流れに逆らわぬ優雅な体捌きで。

 徐々に勢いを増してゆく剣舞。そこへ跳躍の動きが加わったかに見えたその瞬間、照雲の姿が掻き消えた。

 頭上から降りかかる刃を、影狼は海猫で受け止めた。

 照雲は回転しながら背後へ回り込むが、影狼はまだ目で追えていた。三日月の軌道で薙ぎ込まれた剣を、上へ跳んでかわす。照雲は続けて斬りつけるが、影狼は水竜を足場にさらに上へ回避する。

 そしてその高さから、ぐるりと渦巻くように滑り降り、照雲と剣を数合打ち交わす。

『結局滑るのか!』

「こっちの方が楽だから」

 滑らないように気を付けるどころかあえて滑ることにした影狼は、反応の早さだけでなく、足の速さでも照雲と十分渡り合えるようになっていた。

 優位に立っているのは依然として照雲。

 だが、影狼の絶対回避とも言える気功術――『脱兎』の前では、いかなる攻撃も通る気配がない。

 己が身に宿る神に絶対の信頼を置く照雲にとって、これは信じがたく、許しがたいことであった。

「いいでしょう。あなたが淘汰に耐え得る強者であることは認めて差し上げましょう。不本意ですが……あなたを葬り去るには、この身を完全に神に委ねる必要があるようですね」

 ふと攻撃の手を止めた照雲は、懐から神宿りの面――神兵が付けているものと同じ面を取り出し、

「一瞬で終わりにします――――滅びなさい」

 ためらうことなく被ったのだった。

『!? まさか……まだ……!』

 ここから照雲がさらに強くなるなど、幸成には想像もつかない。

 影狼も、脱兎でかろうじて耐えていたが、何度死ぬかと思ったか分からない。感覚的には、とっくに限界を超えていた。

 だが戦慄する間もなく、照雲だったその体は襲い掛かってきた。

 先ほどまでの優雅な動きはもはや見る影もない。

 それはまさに、殺戮の意志だけを持ったカラクリ人形であった。

 逃げ惑う影狼。しかし気が動転してか、足がもたついて完全にかわし切れていない。一筋、二筋と生傷が増えていく。そのまま悪循環に陥りそうになるが――

『焦るな! 神兵の時と同じだ!』

 幸成の声が影狼を正気付かせた。

 同じなわけがない。これまでの神兵よりも段違いに速く、先ほどまでの照雲よりもさらに――

 しかしそれでも、影狼は無心で戦っていた時の感覚を思い出し、本来のキレを取り戻した。

 水の足場を滑って蹴って、しつこく追い回してくる神兵照雲と激しく斬り結ぶ。

 そして幕切れは突然に訪れた。

 水竜に乗って高所へ退避した影狼を、照雲が迷わず追撃するが、影狼は素早くその背後に滑り込んだ。

 高く跳躍して空中にいる照雲は、身動きが取れないまま背面を敵に晒すこととなった。

 影狼は無防備な首筋めがけて、海猫を振るう。

 この瞬間、幸成は胸騒ぎがしていた。

 幸成にはそれが、もう二度は見た、誘い込みの罠のように見えたのだ。そして実際、そうだった。

 照雲は信じられない体勢から、胴が捻じ切れんばかりの勢いで振り向き、神速の一太刀を浴びせてきたのだ。

『!』

 声を出す間もない。

 が――神速の刃は、空を薙いだだけだった。

 そして幸成がそれを知覚するより早く、影狼の『止水ノ太刀』は正確に、敵の首筋を捉えていた。

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