第14話:淘汰する者

 影狼の去った戦場では、依然として神兵が猛威を振るい続けていた。

 状況は影虎が想定していたより遥かに悲惨であった。果敢に攻勢に出た部隊の多くが、一体も神兵を倒すことができずに全滅していくのだ。

 思えば、昨日までの戦いでまともに神兵の相手をしていたのは、ほとんど影虎直属の平安武士だけ。他はまったく戦力にならなかった。言葉通りに、まったくである。

「二、三人で背中を守り合いながら戦え! 隊列は乱れても構わん! 今は一秒でも長く持ちこたえることを考えるんだ!」

 もはやどうにもならぬと悟った影虎は、そう指示を出した。

 延命――それが今できる精一杯のことだった。

 あとは、太鼓の音を止めに向かった者たちの成功を祈るばかりである。

 しかし太鼓の音は、一瞬乱れたような気もしたが、それっきり変化がない。

 そろそろ音の出所を見付けてもいいはずだが、なにを手こずっているのだろうか――

 時間が経つごとに高まっていく焦燥感。

 やはり、影狼には逃げるよう言った方がよかっただろうかと影虎は思い始める。

 だがすぐに思い直し、

 ―――馬鹿野郎! あいつがそれで納得するわけないだろ!

 それに……約束したじゃねぇか。絶対にこの遠征を成功させてやるって……

 諦めるな! 影狼を信じて戦え!

 そう自分に言い聞かせ、影虎はがむしゃらに剣を振るうのであった。


 影狼は幸成の声に導かれるままに、林の奥へ奥へと進んでいった。

 進むうちに川に突き当たった。それは岩屋戸川であったが、川幅は狭く流れは速く、辺りに転がる岩々には苔や蔓草がこびり付いている。牙門軍と対陣していた場所とはまったく違った景色で、大分遠くまで来てしまったことを実感せざるを得ない。

「ねぇ……やっぱり引き返さない? 太鼓の音ももう聞こえなくなってきたし……本当にこんな所にいるの?」

『ちょっと静かにして。今集中してるから』

「………」

『多分もうすぐだ。このまま川沿いに行くぞ』

 影狼は不安になった。もしこのままなにも見つからなかったら、自分は父を見殺しにすることになってしまう。太鼓衆を制圧する任務を放棄してまでここまで来たというのに。

 しびれを切らし、再度問いかける。

「ねぇ幸兄、一体どこに向かって……!」

『あそこだ』

「え……?」

『川の向こうの洞穴が見えるか? 恐らくあれが――天岩戸だ』

 言われるままに川の上流の方に目を遣ると、確かにそこには大きな洞窟があった。

 切り立った岩山の横っ腹をごっそりくり抜いたような形で、入口はかなりの広さがある。

『柳斎さんほどじゃないけど、オレもある程度は邪気が感じ取れる。最初に神兵と出くわした時から変な感じはしていたんだ。この辺りは、やけに邪気が少ない。それから天岩戸の話を聞いて得心がいった。邪気が少なく感じるのは、天岩戸という神域があるから――つまり、この辺りにが満ち溢れているからなんじゃないかって』

 初めて岩屋戸川に来た時に幸成が言っていた、静かすぎる――という感覚が、影狼も今ならなんとなく分かるような気がした。

 これほど切羽詰まった状況だというのに、この場所は不思議と心が落ち着く。

『オレは気を感じ取ることまではできない。だけど、もし気が邪気と対極にあるものだとすれば、邪気の揺らぎが少ない方へ進めば天岩戸が見つかるはずだって思ったんだ』

「すごい……それだけのことでこの場所が分かったんだ」

 賭けではあった。だが幸成にはそれに賭けるだけの理由があった。

 この一帯の地理的特徴が、天岩戸の伝説と合致していたこと。神使の位置が戦場から見て北東――つまりこの場所と戦場を結んだ地点に偏っていたこと。これらが決め手となったのだ。

『さあ、行くぞ』

 幸成の声に力強くうなずき、影狼は洞窟に足を踏み入れた。

 洞窟は薄暗かったが、間口の広さの割に奥行きはそれほどなく、奥まで日の光が届いていた。

 中にいたのはただ一人。烏帽子をかぶった若い白装束の男。

「よくここが分かりましたね」

 透き通るような薄青い目は、洞窟の冷気をそのまま宿しているかのようである。

「あなたのことは聞いています。九鬼影狼――影虎の隠し子だそうですね」

「オレもお前のことは昨日聞いた。諏方神社の大祝おおほうり――諏方照雲」

 そう言った影狼の目には、憤怒の炎が揺らめいていた。

「聞きたいことがある。どうしてお前は牙門なんかの味方をするんだ?」

「愚問です。我が君は日ノ本の最高神――アマテラスの血を引くお方。神に仕える身であれば、牙門様に忠誠を誓うのは当然のことでございましょう」

 影狼は平静を保とうと努めていたが、こみ上げる怒りをどうすることもできなかった。

「牙門はオレの御祖父さんを殺して、領地を奪い取った男なんだぞ!? 九鬼家が一体なにをしたって言うんだ! 罪もない人を殺して奪うのが神様のすることなの!?」

「………」

「神兵にしたってそう。神兵にされた人のほとんどは、体がボロボロになって死んじゃうんでしょ? どうしてそんな惨いことができるの? 今日はあの太鼓を打つ子供たちまで……!」

 しかし照雲は能面のような無表情を顔に貼り付けたまま、淡々と、静かに言うのであった。

「神がみな慈悲深いなどと、勝手に思い込んではいませんか? それとも、神は正義に味方するものとでも? そんなものは、人が都合よく作り出した幻想に過ぎません。この世に理不尽がごまんとあるように、神とは元来理不尽なものなのですよ。神とは人が抗うことのできぬ偉大なる力。力は力でしかありません。神の御業に善も悪も、慈悲もないのです」

「!」

「そして我が身に宿るミシャグジは弱きを淘汰する大自然の意志そのもの。私の前に立つことがどういうことか……分かりますね?」

 その瞬間、影狼は深い海の底に突き落とされたかのような絶望感に襲われた。

 目に見える変化があったわけではない。だが目の前にいる男に、確かになにかが宿ったのである。

『影狼、時間がない。やるぞ』

 こくりとうなずいた影狼であったが、顔を上げた時にはすでに照雲の姿はなかった。

「――っ!」

 立ち止まっていたら殺られる――そう判断した影狼は素早く前進し、身体を反転させた。

 一瞬前まで影狼が立っていた場所には、照雲が立っていた。

『馬鹿! あいつから目を離すな!』

「だって幸兄が話しかけるから……!」

『人のせいにしない!』

 軽く兄弟喧嘩になっているところに、照雲は容赦なく斬りかかってくる。

 遠のいたはずの太鼓の音が聞こえてくるかのようだった。照雲の剣舞は跳躍に回転と一見無駄な動きが多いが、それがかえって剣の意図を読みづらくしている。隙を突こうと安易に手を出せば痛い目を見ることになるのは経験済みだ。

 心なしか、昨日戦った時よりもさらに剣勢が増しているようにも感じられる。

「この人……昨日より強い?」

『場所が場所だからな……でもそれはこっちだって同じことだ』

 だが幸成の闘志は少しも揺らぐことがなかった。

『地の利はむしろこっちにある』

「そうだね……」

 照雲から距離を取った影狼が小太刀を一振りすると、湿り気を帯びた地面から水玉が滾々と湧き出て、影狼の周囲に氷柱を作った。

 神気と水気で満たされたこの洞窟は、仙刀海猫の力を引き出すには最高の舞台であった。

「その刀……俗人が持つには過ぎたるものです。神の代理者として看過できませんね」

 照雲の顔に、初めて熱いものが浮かんだ。


 ちょうど影狼と照雲の戦いが始まった頃、主戦場ではわずかながら異変が起きていた。

 一部の神兵がふと動きを止め、立ち往生してしまったのである。しばらくするとまた活動を再開したのだが、この間に何体かが倒された。それが何度か繰り返された。

「こ……これは一体……」

 牙門松蔭の周りには、神兵化しなかった近臣がわずかながら残っていたが、この不可解な現象を前に戸惑いを隠せない様子だった。

「太鼓の音は乱れていない。もしや……照雲殿の身になにかあったのでは?」

「そんな馬鹿な! あの場所が九鬼に分かるものか!」

 幸成の推測は大方当たっていた。

 神兵の正体は、神宿りの面を通して神の力を分け与えられた兵である。そして神使は太鼓の音により神兵と神――すなわち照雲を繋ぐ役割を担っていた。

 これだけの数の神兵を操るのは、照雲の力を以ってしても容易ではない。神気で満たされた天岩戸に籠って術に専念することで、初めて可能になるのだ。

 照雲は今、それができない状態にあった。

「なにを騒ぐことがあるか。照雲の居場所が敵に知れたとして、なんの問題がある」

 だが牙門は、動揺する家臣らを嘲笑うかのように言い放った。

「照雲は正真正銘の現人神あらひとがみ。あの男には誰も勝てぬよ」

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