第13話:悪足掻き

 時は遡り、昨夜――

 皇国参戦の報を受けた牙門陣営では急遽対応策が話し合われた。

 どのような形であれ、牙門は影虎との戦を早く終わらせなければならなくなった。

 明日の戦で勝利を収めることは容易い。だがもし影虎が志摩に逃げ帰り、抵抗を続けるようなことにでもなれば厄介である。すでに伊勢領内に侵入した皇国はいつ牙を剥いてもおかしくない。最悪の場合、牙門は皇国と影虎両方を同時に相手取らねばならなくなる。

 和平を結ぶべきとの声も出始めたが――

「ふざけるな! この私に志摩を手放せと言うのか!?」

 牙門がそれで納得するはずもなかった。

「なんとしてでも明日で影虎を討つのだ。奴さえ討てば、志摩の残党は戦わずして我が軍門に降るであろう」

 威勢よく牙門は言ったが、臣下たちはうつむいたまま黙りこくっている。

 そんな中、一人だけ面と向かって意見する者があった。

「影虎を討つだけでは不十分です。この戦を完全に終わらせるには、万次郎ら主だった家臣ともどもここで殲滅する必要があるでしょう」

「……照雲」

「牙門様が明日での決着をお望みであれば、我々は戦い方を根本から改めねばなりませぬ」

「照雲よ……なにか策でもあるのか?」

 神仏にでも縋るような目で、牙門は照雲に問うた。

 いついかなる時でも、彼は牙門の望む言葉をくれていた。今や彼だけが頼みであった。

「策というほどのものではございません。単純なことです」

「……?」

「我々が今日苦戦を強いられた一番の原因は、神兵が十分に力を発揮できなかったからに他なりません。そしてそれは、不用意に軍との連携を試みた結果と言えましょう」

 敵味方の区別なく蹂躙していた神兵の戦いぶりが、牙門の目に浮かぶ。

 あの時、本陣を守る兵は影虎らが神兵から身を隠す肉壁となってしまっていた。明らかに、足手まといとなっていたのだ。

「軍との連携が出来ぬというのなら、一体どうしろと……」

「明日は神兵だけで戦わせてくだされ」

「!」

「本来であれば、神兵には十倍の敵を殲滅するだけの力があります。策は不要。神兵が存分に力を発揮できる舞台さえ整えば、たかだか四千の影虎軍など一刻足らずで滅び去りましょう」

 かくして、神の鉄槌は振り下ろされた――


     *  *  *


 連日の厄災をもたらした太鼓の音は、影虎軍の警戒を誘うに十分であった。

「なんの真似だ!?」

「そこを動くな! 動いたら撃つぞ!」

 警戒に当たっていた駿河兵が言った時には、すでに牙門兵は剣を抜きかけていた。

 パァアアン!

 一人が発砲し、それにつられるようにして次々と銃弾が牙門兵に撃ち込まれる。

 恐怖に駆られての早まった行動ではあったが、その判断は正しかった。

 外側にいた牙門兵はバタバタと倒れたが、その奥にいた兵たちが、懐から取り出した鬼の面を被り始めたのだった。

 それを見た駿河兵は血相を変えて斬りかかる。牙門兵も一部が応戦し、乱戦となる。

「裏切りだ! 牙門を殺せ!」

「血迷ったか牙門! こんな悪足掻き――」

 牙門松蔭はこの光景を見て笑いが止まらなかった。自分の周りを取り囲むこのうざったい影虎の兵たちが今に消し飛ぶかと思うと、爽快でたまらなかった。勝利を確信していたであろう影虎が吠え面をかくところを思い浮かべると、愉快でたまらなかった。

「ククク……悪足掻きだと? 足掻くのは――貴様らの方だ!」

 飛び交っていた怒号は、たちまちのうちに悲鳴と断末魔に取って代わられた。

 閑散とした林の中に突如として巻き起こった狂風は、血気を孕みながら急速に勢力を拡大していった。


 後方で起こった異変は、すぐに影虎本陣の知るところとなった。

「なにが起こっている!? あの辺りは……まさか、牙門が裏切ったのか?」

「馬鹿な……今奴に従っている兵はたったの五百だぞ!? そんな数で我らに刃向かうなど、自殺行為ではないか!」

 部下たちがざわめく中、影虎は渋面を浮かべて異変の起きた方を睨み続けていた。

 林の奥から聞こえてくる太鼓の音は、恐らくは神兵を操っているものだ。この騒ぎは、神兵が林に潜んでいたか、あるいは牙門の衛兵に紛れ込んでいたか……

 影虎には、なぜ牙門がこんなことをするのか理解できなかった。

 こちらがどれほど善戦しようと、それを正面から打ち砕けるほどの余裕が牙門側にはあったはずだ。それなのに、牙門は一万もの兵を切り捨ててまでこの奇襲紛いの作戦を敢行した。

 最初は牙門がとち狂ったのかとも思ったが、そうではない。

 これは明らかに準備、計画されていたものだ。

 胸騒ぎがした。なにか、見落としていることでもあるというのか――

「影狼、蘭。ついてこい! 様子を見に行く」

 ここで考えてもらちが明かない。影虎は近衛兵とわずかな側近を伴ってその場所へと赴いた。


「なん……だ…………これは……?」

 目の前に広がる惨状に、影虎は言葉を失った。

 異変に気付いてからすぐに馬を走らせてきたというのに、そこはまるで戦が終わり、九鬼軍が敗れ去ったあとの戦場だった。無残に斬り刻まれた骸は駿河兵、相模兵ばかり。腕や足、首がないものも多い。

 言われるままに付いてきた影狼は、血の臭いに思わず鼻を塞いでしまった。視線は父の背中から離すことができない。

 血の霧が立ち込めるその先には、天を舞うが如くに跳び回る神兵の姿が見えた。

「ざけんじゃねぇ……ざけんじゃねぇぞ! あれが全部神兵だってのか!?」

 愕然と影虎はつぶやいた。

 昨日までの戦いで、神兵の力は把握していたつもりだった。脅威ではあるが、百体程度ならばどうにか対処できるだけの自信があった。

 だが今影虎の目に映っている神兵の数は百や二百どころではない。

 混迷を極める戦場の中で、影虎は万次郎を見つけた。

「! 万次郎、無事か!」

「殿……!」

 影虎は何事かと訊ねたが、万次郎も事態を把握しきれていないようだった。

 ただ確かなのは、牙門のいた所に突如、神兵が出現したということである。

「状況からして、牙門の衛兵五百――ほぼすべてが神兵になったと見て間違いないかと」

「っ……!」

 影虎は己の軽率さに腹が立った。

 牙門が一度に動かせる神兵が百体程度だと勝手に思い込んでいた。その何倍もいるとは考えたくもなかったのだ。

 初日でいくらか数を減らした神兵が、二日目にはまた補充されていた時点で気付くべきだった。その気になれば、牙門はさらに多くの神兵を投入できたであろうことに。

 なぜ最初からそうしなかったのかは分からない。ただ、事前に情報が得られなかったことから見るに、恐らく牙門が神兵を実戦投入するのはこの戦が初めて。

 これまでの二日間、牙門は神兵の力を試していただけなのかもしれない。

 ―――今までの戦いはなんだったんだ!? 全部、無駄な足掻きだったのか……?

「父さん」

「!」

 その声で、影虎は我に帰った。

「オレが音の出所を叩いてくるよ」

 影狼の進言であった。

 神兵がどのようなものであるかはまだよく分かっていないが、これまでのことから鬼の面、太鼓の音が引き金になっているのは推察できた。

 そして今、どうにかできるとすれば太鼓の音だけだ。

 初日は太鼓衆を退けたことで戦況が好転した。それをもう一度やろうというのだ。

 ―――そうだ。無駄なんかじゃねぇ……!

 昨日も牙門は勝つつもりだったに違いない。だが影虎たちは見事にそれを覆してみせた。

 今回も牙門の想定を超えてやるだけのことだ。

「近衛兵! 二十騎毎に分かれて太鼓打ってる奴を叩いてこい!」

 腹を据えた影虎は、まず付いてきた平安武士に命じてから――

「影狼も手分けして探してきてくれ。やり方は任せる」

「うん、分かった」

「くれぐれも無理はするなよ。敵もなにかしらの対策はしているはずだ。もし命の危険を感じたら――」

「?」

「いや……頼んだぞ、影狼」

 影狼はこっくりと頷き、音のする方へと馬を飛ばした。


 太鼓の音は林の中でよく響いた。

 音の発生源は一つだけではなく、その正確な位置を捉えるのは難しい。だが、影狼が一組の太鼓を打つ子供たち――神使を見つけるまでに、それほど時間は掛からなかった。

 目に入る神使は七人。遮る敵は見当たらない。

 影狼は馬上から『止水の太刀』で一息に仕留めようとするが――

 すんでのところで、神使たちは四散してしまった。その素早さは人のものではない。

 この日の神使は、神兵と同じ鬼の面を付けていた。

「こんな子供にまで……!」

 影狼は腹立たしげにつぶやく。

 神兵にされた者は驚異的な身体能力を得るが、その代償として体に大きな負担がかかる。初日の戦闘で捕虜にした神兵も多くが死んでしまったのだ。

 四散した神使たちは影狼から離れた所に集結すると、再び太鼓を鳴らし始めた。

 影狼は馬首を返し、再度神使に斬りかかるが、また逃げられてしまった。

 馬の足で追いつけないこともないが、あと少しのところで振り切られ、横や後ろに逃げられてしまう。逃げに徹した神使を仕留めるのは至極困難であった。せめて太鼓の音を止められればよいのだが、神使たちは逃げながら演奏を続ける器用さも見せた。

 こうしている間にも、味方の兵は次々に血祭りに上げられている。時間がない。

 焦る影狼の耳に、なだめるような声が届いた。

『待て、影狼。これじゃきりがない』

「! 幸兄」

『こいつらを倒しきるまでに、どれだけ時間が掛かると思う? 他の所も太鼓の音が乱れていない。恐らくここと同じ状況だろう。全部倒しきるまで味方が持つと思うか?』

 影狼の肌感覚として、神兵はかつて妖派にいた時に見た奇兵と同等か、それ以上の力を持っているように思えた。それが最悪五百体も自軍の懐に潜り込んでいる。どれだけ差し迫った状況であるかは幸成以上によく理解している。

 とても神使を倒しきるまで、味方が持ちそうにない。そもそも倒し切れるかすら怪しいというのに。

「でも……じゃあどうしろって言うの!?」

『大元を叩く』

「!」

『神兵のことをオレたちはまだよく知らない。太鼓が神兵を操ってるっていうのも、ただの憶測だろ? 最悪の場合、こいつらを全員倒しても神兵は止まらないかもしれない』

「………」

『でも神兵が仙刀術によるものだとしたら、仙刀を持っている術者一人さえ叩けば術は解ける。そこは妖刀術と同じはずだ。そしてオレが思うに、術者はあの男だ』

「それだって、幸兄の憶測でしょ」

『う……そう言われれば、そうだけど……』幸成は自信を無くしかけるが――『オレは鵺丸先生の一番弟子として多くの妖術を見てきた。その経験からそう感じるんだ。影狼、お前はどうなんだ?』

「……オレもそう思う」

 影狼も、幸成に負けず劣らずの場数を踏んでいる。妖術の類の勘は十分に鋭い。

「でもあの人がどこにいるか、当てはあるの?」

『なくはない。それほど遠くない所に、絶対いる』

 幸成の発した二言目には、妙に確信めいた響きがあった。

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