第12話:復讐の行方
皇国が動いた――
目の前の一戦に集中するあまり、誰もが意識の外に置いていた巨大な第三勢力。
理解の追いつかない者も多く、反応は様々だった。
「おお、なんという幸運! 皇国が動いてくれるとは……これで我らの勝利は間違いなしだ」
「馬鹿! 伊勢を狙っているのは皇国も同じだ! 奴らめ、この混乱に乗じて伊勢も志摩も呑み込むつもりに違いない。そもそも我らの領地に無断で足を踏み入れていること自体、横暴な振る舞いではないか!」
むろん、牙門家の置かれた状況を理解している者の反応は、後者であった。
日ノ本を、皇帝を中心とした強力な一つの国家としてまとめ上げんとする皇国にとって、牙門家は目の上のたんこぶであるはずだ。軍事協力というのは口実で、事が済んでしまえばどさくさに紛れて伊勢志摩を取り上げてしまうことは、容易に想像できた。
牙門本人も、それは分かっている。この厄介な報告をもたらした使者に、仏頂面で問う。
「こちらに向かっている皇国の軍勢について、なにか情報はあるか?」
「はっ! 軍の全容は確認中ですが、兵力は少なくとも三万以上とのこと。大将は長谷川クリスタルでございます」
「!」
やや西洋にかぶれたその名を聞いて、またざわめきが起こる。
「あの
「確か、四国平定の総指揮を取っていたという……」
「ということは、四国もすでに皇国の手中に収まったということか?」
「そんなことはどうでもいい!」
苛立ったような声で、牙門が一喝する。
「ともかく、目的が九鬼の討伐だけであれば過ぎたる戦力だ。皇国の魂胆は明白。つまり――我々にはもはや、九鬼如きに構っている時間はないということだ」
その言葉に、家臣たちはごくりとつばを呑んだ。
一方、影虎の陣営――
牙門をあと一歩のところまで追い込んだにもかかわらず、影虎の陣営には牙門陣営と同じか、それ以上に重苦しい空気が漂っていた。
結局のところ、多大な犠牲を払っておきながら、影虎は牙門を討つことができなかったのだ。
切り札であった平安武士は大半が戦死し、もはや独立した部隊として運用することは難しい。
そうなると、残る戦力は歩兵ばかり。今日のような大胆な戦い方はもうできないだろう。明日からは、倍する数の牙門軍を相手に、ほとんど正面から戦わねばならない。
夜遅くなっても勝算を見出すことができず、軍議に出席した諸将からはため息が漏れ、撤退を主張する声が続々と出始めた。
牙門陣営から使者が送られてきたのは、そんな最中のことである。
警戒の眼差しを向けられる中、使者が告げた内容は、一同を仰天させた。
「和平だと!? 喧嘩売ってんのかテメェは!?」
「いえ、喧嘩ではなく、和平でございます」
掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る影虎。使者は落ち着き払って答える。
「我が主はこれまでの九鬼家に対する行いを甚く反省しております。よって九鬼家が志摩を領有することを認め、十分な償いをした上で、和平を結びたいと申し上げているわけで……」
「待て待て!」
影虎は聞くに堪えないといった様子で話をさえぎり――
「その気もねぇくせに、和平だとか反省だとかいう言葉を軽々しく使うんじゃねぇ、気持ち悪ぃ! 分かってんだよ。牙門がそんな男じゃねぇってことは。それに、これだけ激しくやり合っておいて、今さら仲直りしましょうだなんて話が本気で通ると思ってるのか?」
「急な話で受け入れがたく思われるのも無理からぬこと……ですがこのまま戦を続ければ、どちらが勝ったとしても大きな傷を負うことになるでしょう。それほどに、両家の力は拮抗しております。ここは互いに矛を収めるのが賢明かと存じますが……?」
「つまり……余裕で勝てると思ってた相手が馬鹿みたいに強かったから、命乞いってことか」
「そう思っていただいても構いませぬ」
「ふん、だったらなおさら和平を結ぶ必要性を感じねぇな。負け戦のあとにそっちから提案してきたってことは、よっぽど切羽詰まってんだろ。なら明日、オレたちが勝って終わるだけの話だ。犠牲は元より覚悟の上だしな。第一、オレは牙門を許す気はない。こっちは親父を問答無用で殺されてんのに、牙門の命乞いだけを聞いてやる義理はねぇよ」
影虎は完全拒否の構えである。家臣たちもそれに同調し、使者を追い返そうとする。
だが――
「勘違いしないでいただきたい!」
それまで下手に出ていた使者が、ここに来てガラリと態度を豹変させた。
「我々がこの戦に敗れることなど、万に一つもない。切羽詰まっているのは事実だが……それはこの戦が終わったあとのことだ!」
「ほう……詳しく聞かせてみろ」
影虎が促すと、使者は「致し方ありません。本当のことをお話ししましょう」と言葉遣いを丁寧なものに戻して、打ち明けた。
「皇国の軍勢が、こちらへ向かっております」
「!」
「目的はもちろん我々牙門家への加勢。到着まであと数日掛かるでしょうが、我々はここから一度退いて、皇国軍と合流してから再戦することもできるのです。九鬼家に勝ち目がないというのは、そういうわけでございます」
「なるほどな……分かってきたぞ」
足元を見られまいと強気に振る舞っていた影虎だが、その話を聞いて態度を和らげた。
「皇国が首を突っ込むとお前らも困る……そういうことだろ?」
「大方そんなところでございます」
「少し話し合う。外で待ってろ」
それからすぐに、影虎は軍議を再開し、家臣らに意見を求めた。
「そもそも、皇国軍が来るというのは本当なのか? あまりにも早過ぎる」
「今の我々には確かめようがないな。しかしいずれにしても、今の我々の戦力では目の前の牙門に勝つことすらできぬ。だから撤退しようという話になっていたのだ。向こうから停戦を申し出てきたのならちょうどいい。話に乗ってやろうではないか。むろん、あの牙門のことだ。騙し討ちには十分気を付けねばならぬが……」
「なにを言うか。今を逃したら二度と牙門を討つ好機は訪れぬぞ。皇国に勘付かれたのならなおさら……」
またしても意見は割れた。
影虎としては、たとえ勝ち目がなかろうとも最後まで戦いたい気持ちであった。
だが、牙門に対する憎しみが心を覆い尽くそうとする度に、影狼と出征時に交わした約束が脳裏をよぎるのであった。
―――オレはこの遠征で死ぬ気でいた……
―――だがお前が来るとなった以上、そうもいかなくなった。絶対にこの遠征を成功させてやる。そしてお前を無事羽貫衆のもとに送り返す。約束だ……
* * *
翌日朝――岩屋戸川を挟んで、両軍は再び向かい合った。
どちらも、いつでも戦闘を始められるような態勢を整えていたが、兵たちの間には昨日とはまた違った緊張感が漂っていた。
やがて牙門陣営から、五百人ほどの部隊だけが進み出て、川を渡った。
九鬼陣営からも少数の部隊が迎え出る。
牙門松蔭と九鬼影虎――大勢の兵が見守る中、両陣営の総大将同士は対面した。
口火を切ったのは牙門。作り物じみた笑顔で影虎に一礼する。
「影虎殿。まずは御父君を手に掛けてしまったこと、深くお詫びする。そして此度の和平を受け入れてくれたことにも感謝しているぞ」
「上辺だけの謝罪はやめろ。本当にその気があるなら首を差し出すのが道理ってもんだろ」慇懃な物言いは、かえって影虎を不快にさせたようだ。「言っておくが、オレはお前への復讐を諦めたわけじゃない。いつか必ず償わせてやるから、覚悟しておけ」
牙門は笑顔こそ崩さなかったものの、眉間には好戦的なしわが浮かび上がっていた。
「めでたい和平を結ぶ日に、物騒なことを言うな。神罰が下るぞ」
「ああ!?」
険悪な空気が流れ、護衛の兵たちは思わず身構える。
だが、紋舞蘭が影虎を諫め、牙門の方も側近になだめられたことで、その場は収まった。
「無理に仲良くする必要はねぇ。だが和平には応じよう」怒りを鎮めた影虎が、今度は先に切り出した。「条件は志摩の返還と無期限の相互不可侵。それからもう一つ――撤退完了まで、お前が人質としてオレの軍に同行することだ。これらすべて、呑めるんだろうな?」
「朝に返事した通りだ。心配せずとも、それくらいの要求は呑んでやる。先に和平を申し出たのはこちらの方だからな」
九鬼陣営がややざわついた。依然として牙門の圧倒的優勢の中、この条件は破格と言えた。
特に影虎から要求した最後の条件が通ったのは、意外なことだった。
むろん、牙門の方もただで受け入れるわけではないようだ。
「ただし――最後の条件は私一人だけというわけにはいかぬ。ここにいる五百人の兵も護衛として同行させてもらう。貴様がオレを殺して約束を反故にしないとも限らんからな」
「お前じゃねぇんだ。騙し討ちになんかしねぇよ。妙な真似をしない限りはな」
再び険悪な雰囲気になる講和の席。
「影虎様!」と紋舞蘭に睨まれて、影虎はどこ吹く風で目をそらした。
いがみ合いながらも、和平の話し合いは無事にまとまった。
講和の内容をまとめた誓紙に九鬼影虎、牙門松蔭、東国同盟軍大将の向田左近らが署名し、朝廷、東国同盟に宛てた書状もその場でしたためられた。
そして事が済むと、双方同時に撤退を始めた。
南岸へと渡った牙門松蔭とその護衛五百人は本隊に戻らず、そのまま九鬼軍とともに引き上げることになった。厳重に包囲警戒されながら――
やがて一万ほどいた牙門軍が見えなくなると、九鬼軍の兵たちはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
牙門を討つことこそ叶わなかったが、影虎は領地をすべて回復し、和平の約束も取り付けた。当初の絶望的状況からすれば、最高の戦果であった。そして命あるのがなによりである。駿河出身の兵、相模から派遣された兵は帰郷後のことを考え始めていた。
帰郷後のことに思いを馳せていたのは、影狼も同じであった。
やっと、羽貫衆の元に戻れる。
高見から託された無茶な任務を、見事やってのけたのだ。みんなどんな顔をして迎えてくれるのかが、楽しみで仕方がなかった。戦のことを自慢するのは気が引けるが、影狼は『止水ノ太刀』を以って最後まで己の信念を貫いた。柳斎もきっと誉めてくれるだろう。それから、神兵とそれを操る謎の男のことも話しておきたい。まだ気になることもあるが――
上の空で考えていると、幸成がどこか腑に落ちないといった様子で囁きかけてきた。
『なあ影狼。本当に、これで終わりだと思うか?』
「……? 幸兄は違うの?」
『いや、このまま終わってくれればいいんだけど、こうもすんなり行くとなんと言うか……』
「オレも、怪しいとは思うよ。でもそれはお父さんが一番思ってることだろうし、十分警戒してるはずだよ」
『ああ。でも、オレたちはまだ牙門の力の底を知らない。なにより、神兵を操ってたあの男の姿がないのが気になる』
「………」
岩屋戸川の両側には林があり、伊勢へ進むにも志摩へ戻るにも、この林の中を進む必要があった。牙門がなにかを仕掛けてくるとしたらここだろうと警戒していた影虎は、昨晩のうちから斥候を放っていた。改めて斥候を放ち、敵の伏兵がないのを確認してから、ようやく九鬼軍は林の中に足を踏み入れた。
「おら、とっとと歩け」
牙門とその護衛の兵五百は、九鬼軍の後方を歩いていた。
仮にどちらかが裏切ったとしても、牙門の刃は影虎に届かず、牙門もかろうじて逃げおおせる程度の配置である。
周囲を警戒するのは駿河兵。主君の仇敵だった男が今や手のひらの中にあるようで気分がよくなったのか、居丈高な態度が目立った。
「遅れる奴がいたら、ケツに鉛玉をぶち込んでやるからな」
「おいよせ。いろいろ思うところはあるだろうが、一応は礼をもって遇するようにと言われてただろ」
「構いやしねぇ、こんな奴ら。影虎様だって仲良くする必要はねぇって言ってたじゃねぇか。おいコラ、なんとか言え! 昨日までの威勢はどうした!?」
駿河兵が煽り散らかしていると、牙門兵の一人がぼそりとなにかをつぶやいた。
「ああ? なんか言ったか?」
「……来た」
そう言うと、牙門兵は突然横を向いて足を止めた。
「おい、なに止まってんだ!? 撃つぞ!」
「おい待て、静かにしろ……!」
もう一人の駿河兵が言った時、すでにその場にいた全員が石のように沈黙していた。
不気味なほどに静まり返った林。その奥から微かに、音が聞こえてくる。
迫り来る祭りばやしのような音。狂ったような子供たちの叫び声。
それは――九鬼兵が恐怖を植え付けられた音であった。
「ミシャグジ様が……来た!」
牙門兵がつぶやくと、それまで沈黙を貫いていた牙門松蔭の口元に薄ら寒い笑みが浮かんだ。
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