王妃様とクリスマスイヴ2




「――で? なぜ俺は、こんな時間に仕事場にいるのだろうか」

「さんたくろーすに会うためにきまっとろうが」


 ヴィンセント国王が代々受け継いできた執務室には古めかしい柱時計が掛けられている。

 時刻は間もなく午後十一時に差し掛かり、窓の向こうはもちろん、部屋の中も真っ暗だ。

 そんな中、ロウソク一本だけを灯し、ヴィンセント国王夫妻は隅に追いやられたソファーの上で仲良く毛布に包まっていた。

 二人の足元では、猫型悪魔ドンロが丸くなって、ぷうぷうと寝息を立てている。

 一方、いつもならとうに寝入っている時間にもかかわらず、四歳児はいまだおめめぱっちり。

 というのも、国王執務室のど真ん中に無許可で巨大なクリスマスツリーをおっ立てた後、マイリはドンロの代わりにウルの膝を温めつつ昼寝をしたからだ。

 一年中温暖な気候のヴィンセント王国だが日較差は大きく、夜はなかなかに冷える。

 ウルはちっちゃな王妃を毛布に包み直しながら、小さくため息を吐いた。

  

「なあ、マイリちゃんよぅ。いい加減寝室に戻ってベッドに入ってくれないか? お前に風邪でも引かせたら、俺が責められるんだが。主に、お前のお母様とお父様と乳母様に」

「安心せい。これこの通り、わらわは万全のかっこうをしておる。かぜなどひくものか」


 ふふんと得意げな顔をして言う通り、湯上がりのちっちゃな身体を包んだのは、いつものシルクの寝衣ではなく、もこもこでふわふわの真っ白な繋ぎだ。

 手指の先から足の爪先まで覆われ、三角形の耳が付いたフードを被った四歳児は、まるで猫のぬいぐるみのよう。後ろには、ご丁寧に尻尾まで付いている。

 ソマリは自らそれを仕立てておきながら、尊いが過ぎるっ!! と天を仰いで涙していたし、あの厳格な侍女頭さえもしばらくマイリをだっこして離さなかった。

 ちなみにこの侍女頭も、マイリが先代国王の猫をやっていた時代の下僕である。

 閑話休題。

 問答無用で国王執務室に立てられたクリスマスツリーには、様々な飾りに加えて大きな靴下が二つぶら下がっている。

 その片方にはマイリの、もう片方にはウルの願いごとを記したメモが入っていた。

 なんでも、クリスマスイヴに現れるサンタクロースなる摩訶不思議な御老体が、その願いごとを叶えてくれるというのだ。

 あいにく、ウルはそんな都合のいい話をちっとも信じてはいない。

 そうじゃな? 確かに、そう申したな? と、両目をキラキラ輝かせて念押しするマイリに対し、ソマリが目を泳がせまくっていたからだ。

 一方……


「わらわはずいぶんと長くこの地におるが、さんたくろーすにはまだ会ったことがない。きっと、これまでは目印となるくりすますつりーがなかったからじゃ。そう思うじゃろう、ウル?」

「お、おう……」


 マイリの方は、今宵サンタクロースが来ると信じて疑う様子もない。

 見るからにウキウキしている姿に、そもそもはソマリの前世の話なのだから、サンタクロース自体この世界には存在していないのでは――なんて、正論で諭すのさえ憚られた。

 これはもう、マイリが眠った隙にこっそり靴下の中のメモを確認して、自分が願いごとを叶えてやるしかない。

 そう決意するウルだったが……


「ウルは寝ていてもよいぞ。さんたくろーすが現れたら、わらわがすぐさま起こしてやるでな」

「おい、やめろ……トントンするな……そのぷにぷにの手で俺をトントンするな……」


 きぐるみに包まれたマイリの手のひらは、綿入りの肉球付き。

 それで幼子を寝かしつけるみたいに胸をトントンされて、ウルはたまらず大欠伸をする。

 何しろ、少なくとも週の半分はマイリに合わせて、二十一時就寝五時起床という早寝早起きを強制されているのだ。歴代のヴィンセント国王の中でも、群を抜いて規則正しい生活を送っている自信があった。

 睡魔に耐えかねたウルがソファに寝転がると、猫のぬいぐるみみたいなマイリも彼の右腕を枕にして横になる。

 そうして、耳元に口を寄せて囁いた。


「あのな、ウル。さんたくろーすは、いい子のもとにくるそうじゃ」

「へえ……いい子……」

「ウルは、こんなに毎日けんめいに働くいい子なんだから、必ずやさんたくろーすは来るだろう。そうでなくば、わらわが許さぬ」

「……」


 玉座を継いで一年あまり。

 父の死を乗り越え、国王という肩書きもそれなりに板についてきただろうと自負していた。

 けれども、ウルはまだ若い。迷いもあれば、甘さもある。

 今日みたいに、書類一枚処理するのに半時間も悩むことも少なくはなかった。

 いい子、いい子、と。

 ちっちゃくてふくふくで、今夜はさらにもふもふで、ふわふわで、ぷにぷになマイリの手が、ウルの頭を撫でてくる。

 ウルはたまらず、ぐっと両目を閉じた。



 今日、ウルは友人を一人見捨てた。



 大陸の北一帯を支配するヴォルフ帝国の皇子マチアスとは、ヒンメル王立学校で共に学び、同じ寄宿舎で寝起きした仲だった。

 卒業して諸外国を渡り歩く中、ふらりとヴォルフ帝国に立ち寄ったウルとロッツを彼が手厚くもてなしてくれたことも記憶に新しい。

 一年前の戴冠式にも結婚式にも参列して、心からウルを祝福してくれたのだ。

 いつもにこにことしていて人当たりの良い、側にいるとほっとするような男だった。

 ウルにとって大切な仲間の一人で、この先もずっと親しく付き合っていきたいと思う相手だったのだ。

 そんな友人が、半年前に即位した姉から玉座を奪わんとクーデターを起こして失敗。命からがら祖国を脱したという話がヴィンセント王国に届いたのは、一週間前のこと。

 そして、この日の昼間にウルを苦悩させた書類は、マチアスを確保したとの国境警備隊からの報告書だった。

 マチアスは、ウルとの面会を求めていた。

 けれどもウルは、彼の身柄を即刻ヴォルフ帝国に引き渡すよう指示を出したのである。

 できることなら、ウルだってマチアスに会いたかった。

 どうしてクーデターなんて馬鹿な真似をしたんだ。お前そんなキャラじゃなかっただろ。誰かにそそのかされたのか、と詰め寄りたい気分だった。

 ヴォルフ帝国まで一緒について行って、どうか許してやってくれ、と姉皇帝に頭を下げてやりたかった。

 けれども、それはもうできない。

 なぜなら今のウルは、マチアスの友人である前にヴィンセントの国王であるのだから。

 ヴォルフ帝国とは古くから国交が盛んなため、ヴィンセントの国民も多く出入りしている。

 しかし、ヴィンセント国王であるウルが謀反人となったマチアスと会い、それがヴォルフ皇帝の知るところとなれば、両国の長年の友好関係に影を落とすかもしれない。

 最悪、友人であるマチアスを玉座に据えようとウルが裏で糸を引いていたのでは、なんて言いがかりを付けられないとも限らないのだ。

 だからウルは、これが今生の別れになるかもしれないと分かっていても、マチアスに会うことはできなかった。

 彼をヴィンセント王国に亡命させることも、匿うことも許されなかった。

 ウルは、マチアスを見捨てた。

 それなのに、彼のちっちゃな妻は言うのだ。



「いい子じゃ、ウルはいい子――安心せい。わらわが、ちゃあんと知っておるでな」



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