王妃様のセーラー服と隣国の光と影4

 




 ライン・ヒンメルは、実に凡庸な男だった。

 一方、アシェラ・ダールグレンは、美しく聡明な女性へと育った。

 そんな許嫁に対し、ラインは物心ついた頃から劣等感を抱くようになる。

 秀でたところがまったくない王子とは裏腹に、王立学校に入学するとすぐに学年主席となった彼女の名声は高まるばかり。

 ちなみに、在学中の六年間、試験の度にアシェラと首位争いをしていたのはロッツである。

 ロッツはずっとアシェラが好きだったのだが、彼女がラインの許嫁と知っていたために、自分の想いには蓋をしてただの友人の立場に甘んじていた。

 彼が恋人を取っ替え引っ替えしていたのは、おそらくはアシェラを諦めようともがいた結果なのだろうとウルは思っている。

 ロッツは、アシェラをラインから奪おうなどと考えもしていなかった。

 フェルデン公爵家に生まれた己の、そしてダールグレン公爵家に生まれたアシェラの立場を弁えていたからだ。

 にもかかわらず、ラインはあっけなくアシェラを捨てた。

 異世界から来ただの、聖女だのと宣う、素性も分からぬ女と添い遂げるためにである。

 ウルとともに四年間の旅を終えて祖国に戻る最中にそれを知ったロッツの行動は早かった。

 ダールグレン公爵家に先触れも無しに飛び込んで、慌てて飛んできた公爵に、アシェラに、そしてなんだなんだと集まってきた観衆に向かって、恥も外聞も捨てて叫んだのである。


「アシェラを心の底から愛しております! この大陸のどこを探しても、アシェラほど美しく、賢く、何より愛おしく思う人はただ一人としておりませんでした! 僕の忠誠心はウルに捧げてしまいましたが、それ以外の心は何もかも生涯アシェラに捧げると、この場にいる全ての人に誓います! もしもこの言葉を違えたならば、あなた方は僕に石の礫をぶつけるがいい! ええ、万が一、億が一にもありえませんが、僕が血迷ったならばどうぞ殺してください! アシェラを裏切った生き恥を晒すくらいなら、めちゃめちゃのぐちゃぐちゃのやばやばになって死んだ方がましだ! でも、今は生きたい! だって、アシェラが好きだもん! 大好きだもん!! ――アシェラ! 僕と! 結婚! して! くだ! さいっっっ!!」

「重いわ」


 その場に居合わせた全ての人を代表して、アシェラが一言突っ込みを入れた。

 今思い出しても無茶苦茶な告白だが、在学中の六年間、そしてその後四年間、ロッツが必死に抑えていたアシェラへの思いが溢れ出したのだとすれば無理もなかったのかもしれない。

 不覚にもあの時、ウルはそんな幼馴染の姿をかっこいいと思ってしまった。

 アシェラも呆れた顔をしていたが、最終的にはロッツの手を取る。

 ウルは知っていた。アシェラもずっと、ロッツを憎からず思っていたことを。

 こうして、一方的に王子との婚約を破棄された可哀想なダールグレン公爵令嬢は、隣国の名門中の名門であるフェルデン公爵家へと嫁ぐことになったのである。


「めでたし、めでたしってやつだな」


 そう呟いたウルの目は、紆余曲折を経て結ばれた幼馴染夫婦の一粒種を追っていた。

 時刻は午後のお茶の時間を過ぎた頃合い。

 ウルとマイリは今、ヒンメル城の広い庭園を歩いていた。

 王立学校や留学生が生活する寄宿舎は城の敷地内にあるため、ウルにとっては馴染み深い場所だ。

 あの頃の彼は、まさかマイリみたいな小さな子供に振り回される日々が来るとは思ってもいなかった。


「おい、マイリ。お前、いったい何を探しているんだ?」


 ウルのちっちゃな妻は、目下セーラーなる襟をはためかせて、右へとことこ、左へとことこと忙しない。

 どうやら何かを探しているふうなのだが、それが何なのか問うてもはっきりとした答えは返ってこなかった。

 仕方がないので、ウルは彼女が迷子にならないようにただその後についていく。

 夜には、オリビアの成人を祝うとともに、彼女の立太子を記念するパーティが予定されており、ウルとマイリもそれに出席することになっている。

 当然その支度をしなければならないのだが、その前にマイリがウルと庭に行くと言って聞かなかったのだ。

 

 茫然自失のラインとナミ夫妻を残して彼らの部屋を後にしたウル達は、本来最初に会うはずだったヒンメル国王と面会した。

 その会談の席で、ウルはヴィンセント国王として意見を述べたのである。

 そろそろ、王太子を指名してはいかがか。

 その際には、くれぐれも判断をお間違えにならぬよう、お願い申し上げる――、と。

 もちろん、ウルとてヒンメル王国の内政に干渉をする権利はない。

 しかし、成人を迎えて久しいラインがこの時点でまだ立太子していなかったことから、ヒンメル国王も玉座は息子の手に余ると分かっていたのだろう。

 ウルの進言は、ただ彼の背中を押したに過ぎない。


「まあ、馬鹿な子ほど可愛いと言うからなぁ……」


 我が子を見限ることは、ヒンメル国王にとって苦渋の選択だっただろう。

 しかし、彼はラインの父親である前に、一国の王である。

 凡庸なばかりか、国王の第一子という立場に胡座をかいて努力を怠り、あまつさえ国内外に多くの教え子を持つダールグレン公爵の娘を蔑ろにしたことで、ラインはすっかり国民の顰蹙を買ってしまっていた。

 一方で、オリビアはまだ未熟で独善的なところはあるが、王女としての責務を自覚している。ウルに執拗に結婚を迫ったのも、彼に好意を抱いていたというのもあるが、凡庸な兄が国王となって国を傾けた場合に備え、ヴィンセント王国と結び付きを強めておこうという思いだったのだろう。

 とはいえウルとしては、よそ様の尻拭いは全力で御免被りたい。

 そのためには、国を傾ける恐れのあるラインではなく、最初からオリビアを玉座に座らせるべき――これは、ヴィンセント王国だけではなく、ヒンメル王国を取り巻く全ての友好国の総意であった。

 ラインには、ヒンメル王国を訪れた目的はオリビアの誕生日を祝うためだと告げたが、実際は各国を代表してこれを伝えにきたのである。

 ちなみに、ウルがロッツを伴ってヒンメル国王と会談している間、マイリはケットを引き連れて王宮を散策していた。

 昼食が入らなくなるほどたらふくお菓子をご馳走になったり、階段の手すりを滑り降りたり、と侍女頭や乳母が目を光らせているヴィンセント王国ではできないことを満喫したようだ。

 ただし、それがバレたら自分が彼女達から大目玉を食うため、ウルはマイリと、ついでにケットも並べて説教をする羽目になった。

 それに反発して、ついさっきまでプクプクのほっぺをさらに膨らませていたマイリだが、何やら茂みの前にしゃがみ込んでウルを呼ぶ。

 

「ウル、いたぞ。こっちだ」

「いや、だから……お前は結局何を探していたんだよ」

「はよう!」

「分かった分かった」


 ウルはため息を吐きながら歩み寄ると、マイリの側に腰を落とした。

 すると、彼女のちっちゃな手が何かを掴んで、茂みの中から引っ張り出してくる。

 その正体を目の当たりにしたとたん、ウルは思わず、げっ、と口にしていた。


「いや、ネズミじゃないか! おい、離せ! ばっちいぞ!」


 マイリが掴んでいたのは、彼女の拳ほどの小さな野ネズミだった。

 黄金色の毛並みをしており、尻尾は細く長い。

 ウルは慌ててマイリの手を捕まえると、その野ネズミを取り上げた。

 尻尾の先を指で摘まれ、ぶらんと逆さ吊りにされた野ネズミは、抗議するみたいにチューチューと鳴きながら小さな手足をジタバタさせる。

 姿だけ見れば愛らしいが、ネズミは病気を媒介するため油断は禁物である。

 実際、ヒンメル王国は過去に何度も、ネズミによる疫病の蔓延で甚大な被害を出していた。

 

「そこの泉で手を洗わせるか……いや、さっさと王宮に戻って石鹸で洗わせないと、ロッツにバレたら絶対にうるさいな」

「これ、ウルよ。丁重に扱え。これはただのネズミではないぞ。わらわの兄者じゃ」

「……なんて?」

「これは、わらわの兄者じゃ、と申した」


 ウルは思いっきり訝しい顔をして、マイリと野ネズミを見比べる。

 チューと、また野ネズミが泣いた。

 どこからどう見ても野ネズミでしかない。

 しかし、それをマイリが――ヴィンセント王国の家主たる人ならぬ存在が、兄と言うのだ。

 ウルが何とも言えない表情をする中、四歳児のちっちゃな手がいきなり野ネズミの尻をペシンと叩いた。


「チュー!!」

「これ、兄者よ。ちゅーでは分からん。なにゆえ、かような姿でおるのか申してみよ」

「こら、叩くな叩くな。お前のそれ、結構痛いんだぞ。そもそも、俺にはさっき丁重に扱えって言わなかったか?」


 チューチュー悲鳴を上げる姿があまりにも哀れで、ウルはとっさにマイリの平手打ちから野ネズミを庇ってやる。

 するとである。


『なんだ、どこの狼藉者かと思うたら、末の妹ではないか。ひさしいのぅ』

「――は? しゃべった、だと!?」


 今の今までチューチューとしか言わなかった野ネズミの口が、鳴き声と同じような音の高さで、しかし流暢に言葉を発したのである。




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