王妃様のセーラー服と隣国の光と影3



 いきなり現れていきなりウルに結婚を迫る少女の名は、オリビア・ヒンメル。

 このヒンメル王国の王女であり、ラインとは九つ違いの妹であった。


「知っているでしょう、ウル。今日で私、十六歳になるの」


 王立学校を卒業する十六歳になると、ヴィンセント王国やヒンメル王国をはじめとする主要な国では成人として扱われる。

 そうして確かに、今日はオリビアの十六歳の誕生日でもあった。


「以前は子供だからという理由で相手にされなかったけれど、もうそんな言い訳は通用しないわ。あなたの妻として、私をヴィンセントに連れて帰ってちょうだい!」

「いや、それはだな……」


 これには、さしものウルもたじたじとなる。

 ウルがオリビアと初めて会ったのは、王立学校に入学した十歳の頃のこと。

 当時オリビアはまだ赤ん坊で、一人っ子だったウルは彼女を妹のように可愛がった。

 ところが、王立学校を卒業する頃になると、おませな王女は顔を合わせればウルに結婚を迫るようになり、彼はそれに辟易していたものだ。

 ウルと他の女子が親しくするのを邪魔したり嫌がらせをしたり、とその行いは度を増すばかりだった。


「行き先も告げずに四年も異国を渡り歩いて、やっとヴィンセントに戻ったと思ったら忙しいの一点張りで、私とは全然会ってもくれなかった! 挙げ句の果てに――」


 オリビアはウルの足元――ロッツの腕から下りてきたマイリを指差して叫ぶ。


「どうして、こんな子供と結婚しちゃったのよ! 私の方が、ずーっと前からウルのことが好きだったのにっ!!」

「うむ、大胆な娘じゃのう。王妃であるわらわの前でウルを口説くとは、なかなかに潔い。嫌いではないぞ?」


 当のマイリは、キャンキャンと吠えるオリビアを面白そうな顔をして見上げている。

 オリビアは、ウルに縋り付くようにしてなおも続けた。


「ウル、こんな子供との結婚なんて、本意ではないのでしょう!? ロッツに何か弱みでも握られたのね? そうでしょう!?」

「本意でない結婚をする者など、王侯貴族にはざらにいるであろう? それに、ウルの弱みを握っているのは、父ではなくわらわだな」

「こんな子供、きっと誰もヴィンセント王妃だなんて認めていないわ! みんな、無理矢理王妃として接するように強制されて、うんざりしているはずよ!」

「そうでもないぞ。王宮のみなは、わらわのことを妃殿下妃殿下と呼んでこぞって世話を焼きたがるのだ。かわゆいやつらよ」


 マイリは〝こんな子供〟呼ばわりされても気を悪くするふうもなく、ウルの代わりにいちいちオリビアの言葉に合いの手を入れる。

 そんな余裕綽々とした態度が、余計にオリビアを苛立せたらしい。

 キッとマイリを睨みつけると、大人げなくも彼女に向かって怒鳴った。


「あなた、うるさいわね! 四歳なんて赤ん坊も同然のくせに、何なのよその年寄りくさい喋り方っ!!」

「おお……」


 ここで、ウルは思わず膝を打つ。

 というのも、これまでウル以外誰一人問題にしなかったマイリの喋り方に、オリビアが初めて年寄りくさいと突っ込んでくれたからだ。

 あまりに皆が気にしないものだから、もしや自分以外の耳には幼子らしい言葉に変換されて聞こえているのでは、と疑い始めていたほどだ。

 やっぱり年寄りくさいよな、とウルは自分の認識が間違っていなかったことにこっそり安堵する。

 ところがふと、その年寄りくさい喋り方をする四歳児を見下ろして、ぎょっとすることになる。




「――聞き捨てならんぞ、娘。そこへなおれ」




 かつてないほどに厳しい声――ただし、あくまで幼子の声にしては、である――でもって、マイリはぴしゃりとそう告げる。

 は? と訝しい顔をするオリビアに、マイリはツンと顎を上げて畳み掛けた。

  

「そこへなおれと申しておる。二度も同じことを言わせるな」

「……」


 ウルとロッツ、もはや蚊帳の外のラインやナミまでがぽかんとして見守る中、四歳児の迫力に押されてオリビアが――ヒンメル王国の王女がその場に膝を付いた。

 それでもまだ上にある彼女の目をまっすぐに見据え、ちっちゃなヴィンセント王妃は威厳たっぷりな様子で続ける。


「娘よ、わらわは今、おぬしに対して憤っておる。なぜだかわかるか?」

「と、年寄りくさい喋り方って、言ったから……?」

「たわけっ」

「あいたっ」


 マイリはぴょんと飛び上がって、ちっちゃい手でもってオリビアの眉間をペシンと叩いた。

 自分もやられたことのあるウルが、あれ結構痛いんだよなと同情していると、可愛い膨れっ面が彼を振り仰いで言う。


「ウル、だっこじゃ」

「だが、見ろ。ロッツがもう一度だっこしたそうにこっちを見て……」

「わらわはおぬしに、だっこせよと申しておる」

「……御意」


 この四歳児の前では、今をときめくヴィンセント国王とて形無しなのである。

 どうやらマイリは、オリビアを見下ろして説教したかったらしい。

 上背のある男の腕の中から、足元に膝を付いた少女を見下ろし、四歳児はツンと澄まして言う。

 

「しゃべり方をどう思われようといっこうにかまわぬ。しかし、あかんぼうと同然などと言われて黙ってはおれぬわ」

「そこかよ」

「口を挟むな、ばかもの!」

「いてっ」


 眉間をペシンとされてあえなく口を噤んだだっこ係は、そういえば自身も以前、四歳児を赤ん坊みたいなものと言ったとたんに、しこたま向こう脛を蹴られたことを思い出した。

 そんなウルにふんと鼻を鳴らしてから、マイリは再びオリビアに向き直る。


「よいか、娘よ。心して聞け」

「は、はい……」

「わらわをここまで育てるために、わらわの父が、母が、乳母達が、どれだけの愛情を注ぎ、どれだけの時間と労力を費やしてきたと思う?」

「え? え……?」


 話の意図が分からず、オリビアは戸惑った顔でマイリを見上げる。

 それを菫色の瞳で見下ろし、幼い口が続けた。


「おぬしは、わけもわからず泣き続けるあかんぼうを抱いて、あてどなく夜の庭を歩き続けたことがあるか?」

「い、いいえ……」

「あかんぼうが思うように乳を飲まぬ、栄養は足りておるのか、ちゃんと大きくなれるのか、と頭を悩ませたことは?」

「な、ない……」

「目を離したすきに呼吸が止まりはしまいか不安で、夜中に何度も起きて眠るあかんぼうの吐息を確認したことは? あるのか?」

「ない……ない、です……」


 ふるふると首を横に振るオリビアに、マイリは毅然と言い放った。


「並々ならぬ苦労を経て、わらわはここまで育ててもらった。そのわらわをあかんぼうと称すは、父の、母の、乳母達の功績をあざわらうのと同義。わらわはけして、そのようなことは許さぬ」


 とたん、これまで辛うじて口を閉じていたロッツが、わぁんっと声を上げてウルにしがみついてきた。

 

「びえええっ! へいか! ウル! ねえ! 聞きました!? マイリちゃんが尊すぎて、ぼくは……ぼくは……っ!!」

「おー、よしよし。よかったな、ロッツ。親冥利に尽きるなぁ。とりあえず鼻水を拭け?」

「ぶびーっ!!」

「誰が俺の肩で拭けと言った!? そもそもかむな! せめてハンカチでかんでっ!?」


 見れば、ベッドで赤子を抱くナミも涙ぐんでいた。

 新生児の世話はさぞ大変なことだろう。

 ラインだけが訳がわからないといった顔をしており、これは先が思いやられるとウルは内心ため息を吐く。

 当のオリビアはというと、マイリの言葉を聞いて己の失言を恥じたのか、ばつが悪そうな顔をして小さな声で言った。


「ごめんなさい……」

「わらわではなく、今ここにいるわらわの父にあやまれ」

「あの、ロッツ……ご、ごめんなさい……」

「うう、ぐすっ……いいよぅ……」


 ロッツの「いいよぅ」は、愛娘の労りが嬉しすぎたからもはやオリビアの謝罪なんて心底どうでもいい、という意味での「いいよぅ」に違いない。

 彼と長い付き合いのウルはそう確信していたが、何も知らないマイリの顔にはとたんに笑みが広がった。

 立て、と幼い声が尊大にオリビアに命じる。

 そうして、自分はウルにだっこされたままちっちゃな手を伸ばし、おずおずと立ち上がったオリビアの頭を撫でた。


「おぬしは、ちゃんとあやまれるよい子じゃなぁ。わらわ、おぬしのことは好きじゃぞ?」

「あっ……」


 一瞬虚を衝かれたような顔をしたオリビアだったが、その頬がみるみる赤くなる。

 この人たらしめ。

 ウルは腕の中でにこにこしている四歳児を見下ろし、そう内心苦笑した。

 ところが、ここで不満げな顔をする者がいた。

 さっきまで、自分達こそがこの世で一番幸せだという顔をしていたナミである。


「どうして、オリビアなの……」


 彼女の黒い瞳は愕然とした様子で、マイリと、彼女に好意を示されたオリビアを見つめていた。

 ヴィンセント王妃である前者が、未来のヒンメル国王となるはずの自分の赤子には背を向けておいて、やがて異国に嫁ぐか降嫁して王家を離れる後者を受け入れたからであろう。

 同じ理由から、ラインも眉を顰めて口を開いた。


「さっさと出ていきなさい、オリビア。実の妹とはいえ、許しもなく私達夫婦の部屋に入ってこないでくれ。まったく、君のせいでせっかくの祝いの場が台無しだよ。わざわざウル達が出産祝いに駆けつけてくれたっていうのに……」

「――そのことだが」


 ここで、ウルはラインの言葉を遮って彼に向き直った。

 腕に抱いたマイリもまっすぐに部屋の主を見つめる。

 彼女がラインに視線を向けたのは、実はこれが初めてだった。


「な、なに……?」


 ヴィンセント国王夫妻の灰色と菫色の瞳に見据えられ、ラインは狼狽える。

 そんな彼にウルは小さくため息を吐くと、淡々とした声で告げた。


「誤解があるようなので訂正しておこう。そもそも俺達がヒンメルに来たのは、お前の子の誕生を祝うためではない」

「えっ、じゃ、じゃあ……」

「この、オリビアの誕生日を祝うために来たんだ」

「なっ……」


 とたん、怒りから、それとも羞恥からか、ラインがかっと顔を赤らめる。

 それを冷ややかに見据え、ウルはかつての同級生としてではなく、ヴィンセント国王として言った。



「遠からずこのヒンメル王国に、オリビアが女王として君臨するのを期待してな」



 この日、現ヒンメル国王は重大な決断を下す。

 第一子であるライン王子ではなく、本日成人となる十六歳の誕生日を迎えた第二子オリビア王女を王太子に指名したのである。 



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