王妃様のセーラー服と隣国の光と影2




「あの子が、アシェラの娘なんだね……」


 妻子の側にいるマイリを眺めて、ふいにラインが感慨深げに呟く。

 かと思ったら、ロッツに向き直ってこんなことを宣った。


「ロッツ、僕の代わりにアシェラを大事にしてくれているんだろうね?」

「はは、もちろんですとも」


 即座に笑顔で返したロッツを、ウルはこの時素直に尊敬した。

 ロッツの妻ありマイリの母であるアシェラは、ヒンメル王国の名門ダールグレン公爵家の娘である。

 そして、このライン王子とは生まれた時からの許嫁であった。

 そんなアシェラが何故、ヴィンセント王国のフェルデン公爵家に嫁ぐことになったのか。

 発端は今から九年前、現在はラインの妻となったナミが、唐突にヒンメル王国に現れたことだった。

 当時、ウル達は十六歳。王立学校を卒業する間際のことである。

 摩訶不思議な光る板を片手に大聖堂の祭壇の前に降り立ったナミは、その場に居合わせた司祭達に対し、自分はニホンなる小さな島国からやってきたと語った。

 どこかで聞いた話である。

 そう、マイリの専属お針子ソマリが前世を生きたと主張するのと同じ場所だ。

 その話を聞きつけ、当時はまだ少年だったウルとロッツもナミに会いに行ったが、あいにくすぐに彼女への興味は失せた。

 というのも、異世界とやらから来たというのが本当だとしても、彼女自身に特出したところがてんで無かったからだ。

 ナミが携えてきた摩訶不思議な光る板は興味深かったが、さりとてその構造やら製法やらを突っ込んで尋ねたところで、彼女は何一つ答えられなかった。

 そのため、ウルやロッツ、その他冷静な者達のナミに対する見解は〝摩訶不思議な光る板を持って現れただけの異世界人を自称する只人〟に過ぎなかったのである。

 ちなみに、肝心の摩訶不思議な光る板も三日と経たずに光を失い、本当にただの板となってしまった。

 しかしながら、ナミという存在自体に過剰な可能性を見出した者もいた。

 大聖堂を取り仕切る大司祭とその下に付いた司祭達、そうして何よりこの国の王子であるラインが、ナミはヒンメル王国のために神が選んで遣わせた聖女に違いないと騒ぎ始めたのだ。

 当時、大聖堂はダールグレン公爵家に不満を持っていた。

 ダールグレン公爵が学長を務める王立学校において、それまで必修科目であったヒンメル聖教の授業を、選択自由科目に変更したためである。

 ヒンメル王国やヴィンセント王国のある大陸の国の大半は多神教を信仰しており、それぞれに土着の神がいる。

 にもかかわらず、多くの留学生を受け入れる王立学校においてヒンメルの神を崇めるよう強制することは、あまりにも多様性に欠けると判断したからだ。

 その決定に不満を抱いていた大聖堂は、アシェラが王妃となってダールグレン公爵家の発言力がさらに強まることを恐れていた。

 そのため、ちょうど現れたナミを聖女に仕立て上げることによって、大聖堂の権威を高めようと考えたのだ。

 とはいえ、大聖堂もまさかラインがあんな暴挙に出るとは予測していなかっただろう。

 王立学校を卒業したウルとロッツが諸外国を渡り歩いていた四年の間に、なんとラインはアシェラとの婚約を一方的に破棄してしまった。

 代わりに、聖女ナミを妻に迎えると宣言したのである。


「そういえば……ナミも当初、マイリが今身に付けているのと似た襟の衣装を着ていたような気がするな」

「ええ、肩書きは何と言っていましたっけ……ああ、〝ジョシコウセイ〟でしたか?」


 ウルとロッツはこっそりとそう言い交わす。

 ともあれ、〝摩訶不思議な光る板を持って現れただけの異世界人を自称する只人〟は、周囲の冷静なる識者の反対をよそに、まんまと一国の王子の妻の座に収まってしまった。

 その上、やがてこの国を統べる赤ん坊を産んだと思っているのだから、さぞ鼻も高かろう。

 ナミはこの上なく上機嫌な様子で、じっと赤子の顔を覗き込むマイリに問うた。


「うふふ、可愛いでしょう? 抱っこしてみる? ヴィンセントの王妃であるマイリちゃんは、きっとこの子と長い付き合いになるもの。仲良くしてあげてね?」


 ところがである。

 マイリは赤子を差し出そうとするナミを、ピッとちっちゃな掌を向けて制した。

 そうして……



「あいにく、わらわがこのあかんぼうと仲良くする義理はない」



 きっぱりとそう告げると、急に興味を無くしたみたいに赤子に背中を向ける。

 唖然とした様子のナミを残して、マイリはウル達の方へととことこと戻ってきたかと思ったら、ロッツに向かって両手を上げた。


「父よ、だっこ」

「ふえええんっ、喜んでっ!!」


 珍しくだっこをねだってきた愛娘に、ロッツはたちまちメロメロになる。

 王立学校時代は散々浮き名を流していた男がこれほどの子煩悩になると、当時のウルには考えも及ばなかった。

 四歳児のぷくぷくのほっぺに頬擦りをする幼馴染を、彼は苦笑いを浮かべて見守る。

 一方、ラインは眉を顰めて口を開いた。


「大人げないよ、ロッツ。こんな小さな子に何を吹き込んだんだ」


 我が子との付き合いを拒絶するようなマイリの言動で、ラインは幸せな気持ちに水を差された気分なのだろう。

 とはいえ、愛娘にデレデレしているロッツはもう彼の話なんぞ聞いちゃいない。

 仕方がないので、代わりにウルが受けて立った。


「何って何だ。はっきり言ったらどうだ」

「うっ……」


 顎を上げて高圧的にそう告げれば、ラインはとたんに目を泳がせる。

 先にも述べたが、王立学校時代のウルともロッツとも、ラインは格別に仲がよかったということはない。

 しかしながらアシェラとは、ロッツはもちろんウルも懇意にしていた。

 王立学校の学長を務めるダールグレン公爵は、ウルやロッツのように異国から留学してくる少年少女の父親役も担っている。ウルも、実の父に相談できないことも彼にならば打ち明けることができたものだ。

 そんな尊敬すべき人物の娘であるアシェラも、聡明で博識で、それでいて切磋を惜しまぬ、戦友と呼ぶに足る人物であった。

 一方、ラインはというと……

 

「た、確かに……アシェラには申し訳ないことをしたと思っているよ。僕の妻となるために生きてきたというのに、その夢を叶えてあげられなかったんだからね」

「ほう?」

「で、でも! 僕はナミを愛してしまったんだ! 自分の生まれ育った世界を捨てて、このヒンメル王国の聖女として生きることを選んでくれた彼女を、僕は一人の男として――そして、次期ヒンメル国王として生涯支えると決めたんだから!」

「なるほど?」


 これこの通りの有様である。

 一国の王子としてはあまりにも粗末なお気持ち表明に、ウルの眼差しはひたすら冷ややかになっていった。

 と、そんな時だ。



「――ウル!!」



 ノックもせぬまま扉を押し開けて、少女が一人、部屋の中に飛び込んできた。

 ラインと同じ亜麻色の髪と若葉色の瞳の、けれどもラインとは違って意志の強そうな目をしている。

 それを見たナミは、ひっと小さく悲鳴を上げて赤ん坊を抱きしめた。

 そんな妻子を慌てて背中に庇ったラインが、かの少女に向かって声を荒げる。


「控えなさい、オリビア! 誰の許可を得てここに来たんだ!」


 しかし、オリビアと呼ばれた少女は王子を一瞥することもなく、カツカツとパンプスを鳴らしてまっすぐにウルの方へとやってくる。

 そうしてその正面に立つと、いきなりこう告げたのだった。




「ウル――私と、結婚してちょうだい!」





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