城くる?

 




「うちくる?」

 ずいぶんと軽い言葉だと思った。だけど、それ以外に適切な台詞があったかと言われると思いつかない。

 研究室の飲み会が珍しく盛り上がり、いつもならいかない二次会まで出席してしまったのは、やはり彼も珍しく参加すると手を挙げたからだった。

 終電が危ないかもしれないと思いつつ、帰りますの一言が口にできなくて、路上で曖昧な顔をしながらみんなを見送った。

「終電、間に合わないよね」

 と声をかけてきた彼に、そういう動きに慣れているのかとがっかりしたのだけど、よく見たら唇が震えていて、……ああ、この人も勇気を出して言ったんだ、と思うと、すべてが愛おしく思えた。

「歩いてすぐだから」

 すぐという言葉が徒歩何分までを内包するかは判断がわかれるところだが、二十分はすぐではないだろう。

 でも、歩くのは嫌いじゃない。私が高いヒールで飲み会に来るような女だったら、この時点で愛想を尽かしていただろう。彼の頭にタクシーなんて選択肢は浮かばなかったみたいだけど、私だってそんなものに乗りたくはなかった。

「ほら、あそこ」

 もう見えてきた、と彼が指したのは、ライトアップされた巨大な建造物だった。

 これ、城だよね。そうだよね。ここに住んでるんだ。お父さんお殿様? あ、賃貸なの。えっ家賃いくら? 六万四千円? 意外と手頃なんだ。あ、ひとりじゃない。シェアハウス? でもない? 集合住宅。なるほど。そうだよね、城だもんね。部屋はいっぱいあるから、そこに色んな人が住んでるんだ。何階? 三階までと天守閣は観光客用の展示室になっていて、間の階が居住エリアなのね。なるほど。中野ブロードウェイみたいなことなのかな。違うか。大学の近くに城があるのも知ってたし、なんなら来たこともあったけど、へえ、人が住めるんだ。

「いいでしょ」

 城に住んでいることは、彼にとって自慢のひとつらしい。誇らしげに紹介されるが、喜んでいいものかどうなのか、持ち帰って一晩検討させてほしい。友達にも相談したい。

 城の裏口から入って板張りの廊下を進んでいくのは、テンションがあがらないでもないけど、これは恋愛の高揚とは違う気がするんだけど。

「うっわ、意外」

 彼の部屋に入って驚いた。中が洋室にリフォームされていたのだ。

「城、台無しじゃん」

 そうは言ったものの、どんな部屋に住んでいようが彼の評価が覆ることはなく、結局のところ、彼とは七年付き合って結婚した。

 さらにいえば、このときの出来事がきっかけで、私は卒業後に研究とはまったく関係のない不動産業界に就職し、三十で独立して城専門の賃貸不動産会社を立ち上げた。

 人生って、本当に何があるかわからない。

 だから「うちくる?」なんて軽い誘いには、注意した方がいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る