劇的カレー犬
「嫌なことでもあったの?」
飼い犬のマセタが肩を丸めてしょんぼりしていたので、心配して声をかけた。
「そうなんですよ」
舌を出しながら、マセタは答える。彼は知り合いの家で生まれて、我が家に引き取られて八年を共に過ごしている。焦げ茶色の毛が綺麗で愛らしい。そんな彼が落ち込んでいたら、我が家の雰囲気も自然と暗くなる。
「隣町にあるお気に入りのカレー屋さんが、街の方に引っ越すらしいんです」
たまに一匹だけで散歩に出かけていると思ったら、そんなところに通っていたのか。聞けば犬好きの店主さんが、タダでカレーをくれるのだという。
「え、マセタってカレー食べられるの?」
「大丈夫です。玉ねぎは抜いてもらってるんで」
玉ねぎは抜いても、ルーに溶け込んでいるだろうし、そもそもスパイスとか、もっとダメなものがたくさん入っているだろう。
「人気が出て、もっと広くて綺麗な場所に移転するのはおめでたいことなんですけど、あんまり遠くなると、犬の脚では通えなくなってしまって」
「なるほどねえ」
行くだけなら簡単だけど、日が暮れるまでに帰ってこれなくなってしまう。
「じゃあさ、今度うちでもカレーつくるから、それでどうかな?」
私の精一杯の提案に、マセタが勢いよく、ワン、と吠えた。
「お店の味が、家庭でつくれるわけがないでしょ!」
犬にカレーの味について説教されてしまった。
「店主さんは、インドで七年間フレンチの修行をして、それでようやく日本で店が持てたんです。素人がちょっと真似したくらいで、あの味が出せると思わないでください」
僕の舌を満足させるには、生半可な技術じゃ足りませんよ、となぜか誇らしげに犬は言う。
「なんだよ、そもそも塩分が多いから、犬はカレーを食べちゃダメなんだぞ」
会話をしながら、心配になってスマホで調べておいた。やっぱりダメらしい。
「帰りに医者に寄って、薬ももらってるから平気でーす」
「そこまでして、その店のカレーが食べたいか……」
というか、勝手に医者にまで行っているのか。保険はきかないと思うけど、支払いはどうしているのだろう。
「決めました、僕、インドに行きます!」
突然の宣言に驚き、目を白黒させてしまう。インドに行って修行するくらいなら、店の移転先まで通った方がよっぽど近いのではないか。
「それでは、行ってきます!」
犬は行動が早い。私が止めるより先に、マセタは家を飛び出して、成田空港へ向けて走り出していった。
八年後、連絡を受けて空港へ迎えに行くと、手荷物検査場から、ターバンを巻いた犬が出てきた。修行を終えて帰ってきたマセタは、やっぱり誇らしげだった。
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