10 死んだと思ったが、首だけで、命を繋ぎとめていた。

 どれだけ眠っていたのかはわからない。

 

 私は意識を取り戻すと、液体の中にいた。

 

 むろん、首からしたはない。

 

 助かったのか。

 

 一体だれが僕を生かしたのか。

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 目を開けると、薄暗うすぐらくてせまい部屋にいた。

 

 「おう、目を覚ましたか。」

 

 吉兵衛きちべえだった。

 

 どうして吉兵衛がいるのか。

 

 「災難さいなんだったな。創戦そうせん。ま、命が助かっただけありがたく思え。お前を、あの場から、救い出すのは大変だったんだぞ。」

 

 液体の中にいた、透明な、円柱状えんちゅうのカプセルの中にためられていて、僕は中にいる。

 

 「どうやって僕を助けたのですか、普通だったら死んでいますよ。」

 

 首から斬られていたので、声帯もなくなったはずなのだ、どうして話せるのであろうか。

 

 「御前を助けるのに莫大な金はかかったが、幸いなことに、御前の脳が脳死するまえに、橋 冬一の奴が、自動修復液じどうしゅうふくえきをぶっかけたのさ。黒世の奴は、震えていた。きっと、御前の実の父、阿僧祇あそうぎ 草野丞くさのすけのことが、トラウマで、ptsdを引き起こしたんだろうなあ。」

 

 自動修復液体とはいったい、何なのであろうか。

 

 「自動修復液なんてきいたこともありません。」

 

 「ああ、だろうな、一般には普及してねえ薬剤やくざいだからね、非常に高価なものさ。一ミリリットルで、10億の代物さ。」

 

 どこで、入手したのであろうか、高価な液体だ。

 

 「ま、こうなることは実はわかってたのさ。歓楽街かんらくがいに行って生きて帰ってこれるやつなんざああ、まれだ。だから、おめえが、歓楽街にいきゃあ、こうなるのは知ってた、知ってて行かせたのさ。ま、殺されても、多少のことじゃあしなねえように保険はかけておいたがね、冬一の奴に、おまめえが、死にそうなときは、自動修復液体で命をつないでやってくれっていっておいたからね。」

 

 「どこで、入手したんです。」

 

 「ああ、価格が上がる前に、大量に買っておいた、のが、あるんだ。自動修復液は万能薬ではねえんだ。あくまで、神経細胞を活性化させて、長持ちさせられるだけの薬品、開発されたのは、10年ほど前さ。実用化には至らなかったし、今じゃあ、本当の富裕層ふゆうそうが独占してる。」

 

 「へえ、だとしても、どこに、うん十億の金があったんですか。」

 

 「実は、俺あ、大金持ちの子供だったんだ。いわゆる、世界の中でも、別格のね。産まれも実は外国なんだ。親の遺産が腐るほどあったってわけだ。」

 

 はじめてきいたことだった。

 てっきり、親も、僧侶をやっていて、親の寺を引き継いだのかとばかり思っていた。

 

 「初耳だ、吉兵衛さんの親は、てっきり、滅魔大明神寺めつまだいみょうじんでらの僧侶だったのかとばかり思っていました。」

 

 「だろうね。」

 

 吉兵衛は、仕方のないことだといった様子であった。

 

 「儂は、かつて、金持ちの別格べっかくの富裕層だったころ、外国に住んで、悪さばかりしておった。金持ちは、許された。犯罪を犯しても、誰も儂を責めなかった。むしろ、歓迎された。権力で、み消せたんだ。だけれど、ある時ふと、思ったのじゃ、いいのじゃろうか、と、いつしか、神や仏の存在を信じるようになっていた。仏や神の神髄を知って、精神を充足させようとしたのじゃな。ちょうど、二十年ほど前のことじゃ。」

 

 吉兵衛は、何歳くらいなのだろうか。

 

 40くらいだろうか。

 

 若くみえなくもないが、わからない。

 


 「へえ、滅魔大明神寺はいったい、いつからあったんですか。」

 

 「寺は、前の僧侶から受け継いだんだ。孤独な僧侶でね、後継ぎもなかったんだ。八崖 扇形いう、名前の僧侶でね、ちゃんとした人だったよ。」

 

 かつて、吉兵衛が犯した、数多くの犯罪。

 罪から逃れるためには、神や仏を信じることくらいしかできなかったのかもしれない。

 

 「深刻な顔だな。おいらが、過去にやったことは、悪魔あくま所業しょぎょうだった。幼い男女の子供をおかした、麻薬まやくで、人の人生をめちゃくちゃにした。嫌いな人間は皆殺みなごろしにしたんだ。」

 

 どうして、吉兵衛は、言わなくてもいい、過去に犯したあやまちを僕なんかに、打ち明けるのであろうか。

 

 「俺はア、生きていていい存在なのだろうか。いつも考える。捕まってもいい存在なんだって、裁かれなくてはならない存在なんだって、思える、どうしようもなく、恐ろしい、感覚におそわれる、神や仏に、祈り、聖人面せいじんづらをしているが、本当はコワいだけなんだ。」

 

 あの、吉兵衛も、また悩んでいたのだ。

 

 「はあん。時代によって、何が悪で、何が正義かは変わってしまう。吉兵衛のおっさんは、普通だったら、ムショいきで、拘置所こうちじょ行き、で処刑だっただろうな。けれど、僕は別に何とも思わない、吉兵衛さんは吉兵衛さんだ。昔のことなんてどうだっていいんだ。大事なのは、今がどうかだよ。」

 

 吉兵衛は、泣いた。

 どうして、吉兵衛が泣いたのかはわからなかった。

 

 「儂は、御前の実の父を助けたかった、母もな。もうどうしようもないことじゃ。」

 

 「いい大人が、かっこ悪い様だな。吉兵衛。薄汚うすぎたない僧侶が御前にはお似合いだよ。」

 

 「ま、俺の力だけでは、あの二人をどうすることもできなかったが、御前なら、何か変えられるかもしれんと思っておったのじゃ。お前の実の母、黒世は、草野丞に、やられてのち、オカシクナッタ、気が狂ってしまった。儂の前にも姿を現さなくなってしまった。心に深い闇を抱えておるのじゃ、深い心の闇が、あやつを、悪の道に走らせてしまった。」

 

 吉兵衛は、上を見上げた。

 

 遠くから足音がきこえた。

 

近づいてくる

 

 「吉兵衛さん。彼の容態ようたいはどうです。」

 若い、白衣姿の男だった。

 

 「ああ、そこそこナイスじゃよ。」

 

 そこそこナイスとはなんだ、そこそことは。

 

 「おい、創戦、儂の右横に立っておる、白衣姿の男が、御前を治療し命を繋いでくれたのじゃぞ。やぶ医者の得手ノえてのぼう 八景はっけいさんだ。」

 

 「どうも、創戦くん。僕は、医師免許いしめんきょを持っているので、やぶ医者ではありませんよ。ははは。ま、医者というより、医療研究者いりょうけんきゅうしゃとでも、いいましょうか。」

 

 「いいや、御前はやぶ医者だ。人を救ったことなんてない、極悪非道あくぎゃくひどうな、やぶ医者じゃあ、ないか。法外な金をとらないと、ちゃんと治療もしない。人の命は金だと思っている節のあるやぶ医者だい。こいつの治療も幾らかかったか。」

 

 「へへへ。普通の病院じゃあ、できない治療ですからねえ、へへへへへ、適当に直しておいて、また病院に来させることで、もうけてやるんです、癌治療がんちりょうももう、可能なんですが、あえて、完全には治らない抗がん剤治療だとか、手術をするんですわい。ゲロゲロ。バー。」

 

 「かー。質の悪い、お人だことー。」

 

 また、変な人が出てきてしまった。

 

 どうして、こう、僕の周りには変な人が集まるのであろうか。


 特殊とくしゅ人が集まるのであろうか。

 

 「世界中の金持ちたちが、どうしても、助けたい命を救うときに、得手ノ坊先生の手を借りるのじゃ、彼は、闇医者やみいしゃじゃ。まだ、実用化されていない、実証されていない治療を行う、試験の終えていない、最新の治療薬を使う。悪魔の医者じゃ。」

 

 悪魔の医者。

 

 本当に、漫画の世界によくある、医者がいたものなのだなあ。


 と感心していた。

 

 ずっと、世界は僕が思っているより、広くて、知らないことで、溢れている。

 


 僕は、得手ノ坊先生に、疑問に思っていたことを、たずねた。

 「あの、はじめまして、得手ノ坊さん。賀籠六 創戦です。どうして僕は、声帯がないのに、話せるのでしょうか、一生体はもとに戻らないのでしょうか。」


 

 首だけになった僕。

 

 体はもうない。

 

 どうすればいいのであろうか。

 

 千代さんは、きっと僕のことを心配している、ミルカさんも、賢も、学校の友達も。

 

 

 得手ノ坊さんは、答えた。

 「残念だが、いつも通りの変わらない日常を送るのは難しいだろうね。体は、機械人形の身体で代替はできる、人間の肌と遜色そんしょくのない素材で皮が貼ってあり、弾力もあるのだが、健康診断だとか、怪我をしたときだとかに、御前が普通でないことが外部にバレてしまうリスクがある。」

 

 ああ。普通の学生生活は終わるのであろうか。

 

 幸せだった、当たり前の日常が日常でなくなる音がした。

 

 「中学校じゃあ、健康診断だとか、検査があるだろ、心電図もクソもねえ、機械の身体じゃあ、厳しいわなあ。電池が切れると、死ぬから、コマめに、充電もしなきゃならねえと来る。」

 

 もう、厭だ。

 

 ひどい。

 

 ひどい。

 

 ひどい。

 

 死んだ方がましだ。

 

 「深刻な顔をするなよ。死んだ方がましだって、顔してるぜ。おめえ。大丈夫さ。検査の時は、検査機けんさきだませばいい。ほら、偽造心臓そぞうしんぞうだ。偽装血管ぎそうけっかんだ。人間の身体は偽装できる。騙せる。嘘をついて生きていけ。大丈夫だ。うまくやれるさ。」


 得手ノ坊さんは、僕の肩に手をまわして、僕を励ました。

 

 もう、中学校にも通えないと思っていた。

 

 千代さんの待つ家にも帰れないと思っていた。

 

 けれど、まだ、手はあった。

 

 若干強引じゃっかんごういんな手だけれど、確かに、うまくやれれば、大丈夫な手だ。むしろ、いい手だ。

  

 話をきいていた、吉兵衛が口を開いた。

 「おめえが。留守になっていたのは、本の10日ほどだ。どうにでも、説明はつく。」

 

 ああ、まるで、十年以上の時に感じられたが、たったの、10日程度しか、経っていなかったのか。

 

 にしても、中学生が10日以上も、いなくなったと来れば、大騒ぎだろう。

 

 育て親の千代さんにも言っていないことだ、どう説明すればいいのやら。

 

 「女と遊んでたって言えば、いいじゃあないか、旅に出てたでもいいか。」

 吉兵衛が厭な笑みを浮かべた。

  

 女と遊んでいないし、仮に遊んでいたとしても、中学生が学校を休んで、育て親から姿をくらませてもまで、することではないし、未成年が、大人の女と、10日も家を空けて遊んでいるのは犯罪ではないのだろうかと思った。

 

 「犯罪だよ。架空の女じゃないか、仮にいたとしても、女側が警察に捕まっちゃうよ。監禁してたんじゃあ、ないかってね、旅にしたって、寝泊りするお金も、ごはんを食べるお金ももっちゃいないよ。」


 大人の詭弁きべんなのだ。

 

 子供には使えない大人の詭弁だ。

 

 「冗談だよ。ったく。」

 吉兵衛はつまらなさそうにいった。

 

 子供が、大人と恋愛をすることは許されない。

 

 任意であったとしても、逮捕されるかもしれないことだ。

 

 学校は恋愛においては、自由にみえて、不自由なのだ。

 

 まだ、認識がはっきりしていない、判断能力がしっかりしていない、子供が、大人に言いくるめられて、悪いことに巻き込まれないためである。

 

 子供は子供らしくしておけということであるし、むしろ、僕のような早熟すぎる子供の方が珍しいのだ。


 世の中、異性と遊ぶのが好きな人間で溢れているが、面倒くさい不純異性交遊を楽しめるだけのエネルギーに感心するし、むしろ、結構なことだと思った。

 

 インターネットの普及によって、ネットで出会う人間が増えてきたし、中学校で不純異性交遊ふじゅんいせいこうゆうをしている、人を知っている、ネットで知り合った、大人の女としているのだ。


 お小遣いをもらえるらしい。

 

 まだ働けない子供からすれば、大人の女性とできて、お金ももらえるとなれば、得しかないのであろう。

 

 少年のことが好きな女や、少女が好きな大人が世の中にはいるのだ。

 

 誰にも言えない、趣味しゅみなのであろう。

 

 「じゃあ、どうするんだよ。何か、いい、言い訳でも思いついたか。」

 吉兵衛は困った様子で、いった。

 

 わからない。

 

 どう説明すれば、10日間の失踪しっそうを説明できるのか。


  僕が出した答えは、一つだった。

 「だんまり、を決め込むよ。」

 

 つまり、口を開かないということだ。

 

 決して口を開かない。

 

 何があったのかも言わない。

 

 元通りの日常を何もなかったことにして過ごすのだ。

 

 「ふうん。お前らしい、答えだね。」

 吉兵衛は、うなずいた。

 

 黙秘権もくひけんだ。

 

 都合の悪いことは黙っていればいいのだ。

 

 便利な権利だと思う。

 

 僕は嘘つきにはなれない。

 

 僕は正直ものだ。

 

 できるだけ、嘘をつかずに、済ませられればと思う。

 

 時に、人間にとって、嘘は必要かもしれないけれど、愛のある、優しい嘘に限られる。

 

 「御前は、真面目過ぎる、いい意味でも悪い意味でもな。もう少し、自分勝手に、羽目を外して生きていてもいいんだぜ。俺なんて、本来、生きていることさえ、許されちゃあならねえ存在なんだ。」

 吉兵衛は心配そうに、僕をみた。

 

 「僕は、そういう人間なんだ。」

 

 「君の嘘は、悪い気がしない。君は自分を犠牲にした嘘しかつかないんだね。早死にしちゃうよ。」

 

 吉兵衛は、昔そうとう、悪いことをしていたのであろうと、思った。

 

 吉兵衛が若い頃は、犯罪ばかり犯していたのであろうと、思った。

 

 だからこそ、吉兵衛は現在、仏や神に仕えているのかもしれなかった。

 

 若い頃の反動で、丸くなったのかもしれなかった。

 

 「僕は普通になりたい。普通に生きていられれば、それでいいんだ。」

 

 「そうかい。」


 吉兵衛と僕が話し込んでいると、得手ノ坊さんが、話を遮って割って入ってきた。

 「おい。おめえら、どうでもいい下らねえ話は、やめなあ。機械人形の身体ができた、さっそく、創戦くんの、脳の神経回路につなげるよ、しばらくの間意識を失うが、じきに、意識が戻ってくるはずだ。」

 

 いったい、どういう技術力があれば、できるのかもわからないが、別の身体を動かすことができるようになるらしい。機械の身体と首を繋げて動くようにするのだ。

 

 麻酔ますいをかけられると、僕は意識を失って暗闇に、沈んでいった。





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円柱・・・平面上に,平行な2直線 a,bをとり、aを軸にして回転したとき、bがつくった回転面のこと つまり、デカルト平面において、aぶんのxの2乗足す、bぶんのyの二乗=1の方程式で表せる図形のこと。


声帯・・・脊椎動物の咽頭と気管の狭間に位置する喉頭の上部にある気管で、発声を司る。


自動修復液・・・架空の液体で、実験動物反逆日記という作品においては、細胞を活性化させ、長持ちさせる液体。


PTSD・・・心的外傷後しんてきがいしょうごストレス障害を意味する英語Post Traumatic Stress Disorderの略。命の安全が脅かされるような、戦争、天災、事故、犯罪、虐待ぎゃくたいなどにより、強いストレスを感じることで、発症し、苦痛や、生活機能の障害をもたらす。


神経細胞・・・神経系を構成する細胞、機能は情報処理と情報伝達に特化している。ニューロンともいう。


僧侶・・・仏の道を教え広める者、他の宗教を教えるものにおいても用いられることもある。


富裕層・・・一定以上の比較的大きな、経済力、購買力を持った人たちの事。


薬剤・・・薬のこと。


神髄・・・そのものの本質。


聖人・・・徳が高く、人格が高潔で、他の模範となる人の事。


容態・・・病気の具合


黙秘権・・・供述したくないことに対して、沈黙する権利、沈黙して不利益を受けない権利。


やぶ医者・・・適切な診療能力や治療能力を持たない 医師


闇医者・・・医師免許を持たず、非合法で医療行為を行う医者


偽造・・・偽物のこと。


心臓・・・血液循環の要となる器官のこと。


血管・・・血液を送るための管


趣味・・・繰り返し行うこと、熱中すること、物の持つ味わいや趣を観察すること。


失踪・・・行方ゆくえ知れずなこと。


神経回路・・・ニューラルネットワークのこと。神経細胞にゅーろんが複雑に作用しあいつくられている回路で脳の基盤。


不純異性交遊・・・結婚前の男女がしてはいけないとされている行為のこと


詭弁・・・間違っていることを正しいと証明すること。

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