5 千代さんを、守りたい


 精神科医せいしんかいの大門はふと、気が付いた様で言った。

 「ああ、もう、四時だ。二時間も話し込んでいたな。すまない。つい、中学生相手に、深い話をしてしまったよ。」


 ああ、二時間も話していたのか。

 やっぱり大人は面白い。

 

 「いえ、いいんです。勉強になりました。」


 面白い話がきけて良かった。

 

 「利口りこうな子だね。」


 大門だいもんは感心した様子で、微笑ほほえんだ。

 つづけて、いった。

 

 「ま、もう帰りたまえ、君はどこに住んでいるのだね。大丈夫なのかい。時間のほうは。」

 

 「かなり押してますね。家に着くころには、六時頃です。育て親が夕飯ゆうはんをつくって待ってます。はやく、帰らないと。」

 大門は安心した様子でいった。

 

 「君にも、帰りを待っていてくれる人がいるんだね。」

 

 「はい、僕の育ての親はいい人で良かったです。」

 

 鈴音さんも、堂本さんも、よかったといった風に胸をなでおろした。

 

 「いい人に巡り合えてよかったね。」

 鈴音さんは、言葉を口にした後、ポケットから携帯電話を取り出して、言った。


 「連絡先だよ。一応交換しておこう、何かあったときに連絡してきてくれ。」

 

 「ありがとうございます。」

 

 堂本さんも携帯を取り出すと、連絡先を交換した。大門さんにしても同様だ。

 

 「じゃあ、帰ります。ありがとうございました。さようなら。」



 刑務所けいむしょから出ると、私は、歩いて徒歩、20分ほどの駅に向かった。

 

 駅に向かう途中の街の喧騒けんそうはどこか、よそよそしくて、心地いい。

 

 誰も僕のことを知らない街で、私は歩いている。

 

 風が心地よくて、別世界に来た感動を覚えていた。


 私の住んでいる、場所は、人口の減少で、年々、過疎化かそか一途いっと辿たどっているのだ。


 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。

 

 電車に揺られているとき、ふと、実の母親のことが気になった。


 吉兵衛のやつは、クソビッチの碌でなしだと、いってはいたが、実際はどうなのであろうか。

 

 実の母親にも会ってみたいという気にもなってきたのである。


 明日、学校終わりに、吉兵衛の寺にでもよって、実の母親の話でもきこうとも考えたのであった。

 

 電車の中は、窮屈きゅうくつで、私は嫌いだ。


 誰かが、いつ、どのような事件を犯すのか分かったものではなかったので、常に警戒けいかいしているのだ。

 

 僕が、まだ幼稚園ようちえんに通っていたころに比べて、ずっと、国の治安は悪くなっていた。

 

 スマホいじっている、中高生がいる。

 

 受験勉強じゅけんべんきょうか、期末試験きまつしけんの勉強かはわからないが、英単語帳えいたんごちょうを読んでいる、もさもさ頭の男子高校生や、仕事帰りのスーツを片手に持ったポロシャツ姿のサラリーマン、買い物帰りの子連れの母親、景色を撮っているのか、首に一眼レフのカメラを持って、一人ポツンとしている、若者。

 

 いろんな人が、電車に乗っていて、降りていく。

 

 変わらない日常だ。

 

 誰もが一度は体験するであろう、変わらない日常だ。

 

 僕は、電車から降りると、家へ向かって歩き出した。

 

 いつもの帰り道だ。

 

 ひとけの少ない道だ。電柱があって、ちらほらと道路脇どうろわきに家々が立ち並んでいる。

 

 日常に帰ってきた感覚を覚える。

 

 僕の住んでいる家には、千代さんが住んでいる、住んでいるというよりも、僕が千代さんの家で暮らさせてもらっている。

 

 千代さんと、僕は二人暮らしだ。

 

 千代さんは、35歳の未亡人みぼうじんで、夫を亡くしている。

 

 子供はいない。

 

 千代さんは、21の時に僕を川で拾ったのだという。

 

 一体、いくつの時に結婚し、未亡人になったのだろう、と不思議に思えた。

 

 女は16から結婚できるが、はやすぎはしないだろうか。

 

 今の千代さんをみる限り到底とうてい、何も考えずに、誰かと付き合って結婚する人にはみえなかったし、できちゃった婚だったとしても、子供がいるはずなので、変なのであるが、きいても、教えてくれなかった。

 

 もともとは、違う街から、移り住んできたみたいなので、千代さんは結構、謎な人物だったのだ。 

 

 「ただいまー。」

 家の扉を開けた。

 

 「あら、お帰り、少し遅かったわねえ。どこへいっていたの。」

 千代さんは、とても綺麗な人で、大年増おおとしまの女性で、誰がみても、美しいと思える美貌と魅力を持っていた。

 

 どこか、さみしそうな千代さんをみると、僕は、千代さんを守りたいと思える。

 

 「ま、ちょっと、友達と遊んでいたんだ。」

 嘘だ。


  本当は実の父親に会いに行っていた。


 けれど、ぼくには、到底、育ての親の千代さんに、実の親に会ってきただなんて、言えなかった。


 千代さんは、少し上を向いて考えたのちに、一息ついていった。

 「ふうん、何か隠してなあい。君。まっいっか。おかえり そうちゃん。」

 

千代さんは、僕のことを、そうちゃん、と呼ぶ。中学二年生にもなると、少し照れくさくて恥ずかしいが、千代さんだったら、いいかなあ、とも思うのであった。


いつも通りの食卓で、僕たちは、他愛たあいのない、話をして、テレビをみて、


笑いあった。


いつも通りだ。


幸せな日だなあ。

 

僕は、ずっと、続けばいいと思った。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

喧騒・・・物音や人の声の騒がしいこと


窮屈・・・空間や場所にゆとりがなく、自由に身動きがとれないこと


未亡人・・・夫と死別または、離婚し、再婚していない独身の女のこと。


大年増・・・30後半から40歳くらいの女。

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