第12話 私にだけうるさくない重低音


朝刊の配達が終わり、

朝の6時。



優子さんが作ってくれたご飯を

みんな食べている。




ご飯は配達がある時にしかない。

朝刊を配れば朝食があり、

夕刊を配れば夕食がある。




昼ご飯はもちろん無く、

月に一回の朝刊の休刊日にも

ご飯は無い。




優子さんが唯一休める時間だ。




本当にありがたい。

自分の母親に食事の文句を

言っていたのがバカみたいだ。




自分の食べるご飯を自分以外の人が

準備してくれる。




それが奇跡だと気付いた。




毎日の奇跡。

一日二回の奇跡。

月に一回だけ休む奇跡。




そんな奇跡を噛み締めて

飲み込んでいた。




今朝は雨だったので

みんな遅く、

食堂は少し混んでいた。




みんな黙ってご飯を

噛み締めている。




「ただいま」

「おかえりー!」

「なんだ、いっぱいか。チッ」




目つきの悪い攻撃的な先輩が

食堂を覗いて「チッ」っと言って

すぐ2階の階段を上がっていった足音が

聞こえた。




わざわざ見たのではない。

音が大きいから聞こえてくるのである。





どうやら食堂の真上が部屋らしく

なんか頭上がドタドタと言っている。




そしていきなり始まった。





物凄い重低音。

多分音量を最大か80%くらいまで上げて

ベースを弾き始めたようだ。




消防車のホースから

勢いよく出る水くらいの勢いで

アンプから重低音が鳴り響く。




私の正面に座って

ご飯を食べていた女の子達が

嫌な顔をした。




私も奇跡を忘れた。




でも私は何とも嫌な感じはしなかった。

むしろ喜んだ。




このお店にいる全員、

音楽系志望なのかな?




この爆裂な重低音のベースギターに

合わせて誰かドラムでも叩き始めるのかな?




結構腕がいい。

チョッパーとか言う技を使って

弦を思い切り指で殴りつけている。

弦を切りたいんだな。






優子さんが珍しく小さい声で言った。

「寂しいやつ。人がいっぱいになったら

弾き始めるんだよね。」






そらそうだ、と私は思った。

ライブの客は多いほうがいい。






ただ彼は聞きたくない人達に向けて

弾いていた。





みんな迷惑そうだった。

そうか。

あの先輩は迷惑がられているのか。

あちら側に行かないように気を付けよう。

私にもその気(け)がある。

まだ女の子達に嫌われたくない。




女の子達が話すのが聞こえた。




「大野先輩だったっけ?怖いよね、あの人。」

「ほんと、ほんと。」




大野というらしい。

叩きつけている指が見てみたい。

指サックは外したのだろうか。




鳴り止まないベース音に

みんな食事のペースが早くなった。




早くこの場を去りたくなってきたのだ。

なるほど。

彼はライブがしたかったわけでは無く、

早くご飯を食べたくて

みんなを追っ払っていたのだ。




じゃあ音量は最大だろうな。




彼が有名になった時のインタビューの

光景が浮かんだ。




「大野さんはどこでその黄金のベース音が

出せるようになったんですか?」




「これはですね。猫が嫌がる音というのがありましてね。

その超音波的な周波数があるんですよ。それと同じように

人間にも食事が喉を通らなくなる超重低音の周波数があり、

それをヒントにして出来たのが、この【大野チョッパー】です。」






雨の日は【大野チョッパー】が聞けるかも。






〜つづく〜

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る