Page:05 安全委員会
「おはようございます! 安全委員会です!」
メガホンを通した機械的な、けれど可愛らしい女児の声が朝の住宅街に響く。その時刻は決まって、朝の7時45分から八時五分までの20分間。ここいらでは有名な、小学校の安全委員会の女児による交通安全の呼びかけだった。
「横断歩道は手を上げてから渡りましょう! 車の運転は、スピードの出しすぎに気をつけましょう」
この活動について、地域に越してきたばかりの人達は口を揃えて熱心な小学生を讃え、関心した。一体どんな小学生が呼びかけを行っているのだろう?
その好奇は、地域に長く住む人達にはないものだ。彼等はもう口を閉ざし、話題を出さないようにする他なかった。聞かれれば一言、会いに行くなら勝手に行け、と冷たく言い関わらないことだけは明確にした。恐れにも似た感情で歪む人の顔は、明るいはずの委員会活動には似つかわしくなかった。
「道路を渡る時は、右、左、右を見てから歩いて渡りましょう!」
小学校の前にやってきて初めて、その異様な光景が分かる。安全委員会なんてものはこの学校には存在しない。とっくに、廃止されてしまったのだ。
「オはよゥごzいまsす! あんぜんィいんkkカッいデス!」
離れたところから聞けば熱心な女児の声に聞こえたものが、近づいてみればそれは巨大な怪鳥の鳴き声だった。雀でもない。烏でもない。鸚哥のような、鸚鵡のような、兎に角、色柄の派手な巨鳥が電柱に止まっている。
小学生達は鳥に襲われないように顔を伏せ、帽子を深く被り、交通ルールに違反しないように鳥の声に従っている。横断歩道では手を上げる。右、左、右と顔が動き、遊ばずにきっちりと歩いて校門へと向かう。正門に立つ教師に促され、逃げるように校舎へ走り去る。異様な光景だ。
……そんな朝の横断歩道に、スピード違反の車がやってくる。子ども達は何かを悟るようにランドセルを道に放り出すと、壁に背をつけて背筋を伸ばした。ぎゅっと目を瞑る。まるで、授業中に先生に八つ当たりでもされて、どうか自分じゃありませんようにと祈るように。
「sス、スクールゾーンの法定速度は30km/h! スピード! 落とせ! スピード! 落とせ!」
巨鳥がけたたましく鳴くと次の瞬間。
「きゃぁぁああぁあああ!!!」
女児が一人、巨鳥に拐われて。そして。
スピード違反の車のボンネット目掛けて。
――バンッ!!
……大きな音を立てて、車は止まった。ボンネットを大きく凹ませて。道路に転がり落ちた小さな肢体は動かない。子供達は恐怖にすくみ、悲鳴を上げるかと思われた。
思われただけだ。しかし実際は、子供達は事故現場を見ないようにしながら、努めて落ち着いて同じように登校する。後からやって来た児童も、帽子を深く被って手を上げて、右、左、右。それは、とても異常だ。
そうして時間がやってくる。8時5分だ。事故に遭った車は煙を上げ、女児は起き上がることはない。怪鳥は遺体を見下ろしながら、自棄にハッキリと鳴き声を上げた。
「それでは、今日も1日元気に、安全に気をつけて過ごしましょう! 安全委員会でした!」
告げた怪鳥が、何処かへ飛び去っていく。恐らくは自身も安全に気をつけて、右左を確認して、ゆっくりと。それを見送った教員達は、漸く警察と救急車に連絡した。この光景は異常だが、これがこの地域の日常だ。
……その昔、とは言ってもまだ百年も経ってない頃。安全委員会に所属する熱心な小学生の女児がいた。小学生は、在校生達が安全に登校できるように雨の日も風の日も、毎日、正門前の横断歩道のところでメガホンを使って、たった1人で交通安全の呼びかけをした。
呼びかけをしたが、改善されることはなかった。児童は横断歩道を渡らずに道路に飛び出したり、通りかかる車も住宅街にも関わらずスピードを出した。教員は誰1人それを咎めなかった、これが地域性だと言った。彼女は毎日の呼びかけの他にポスターも書き、プリントを配り、お昼の放送での声かけもした。児童も教員も地域住民も、何も変わらなかった。
何も変わらない毎日を過ごしていた女児は、安全委員会の活動中に酒気帯び運転の車に轢かれた。両足が砕け、2度と自分の足では歩けないだろうと言われた。しかし、女児の尊い犠牲あってか学校では交通安全を呼びかけ、登下校の指導に動いた。車椅子に座る彼女は、やっと交通安全の大切さが伝わったのだと思った。
けれど、1ヶ月もすると安全運動をしなくなる。生徒達は当たり前のように道路に飛び出し、教員は咎めず、スピード違反も元通り増えてきた。安全委員会の彼女は考えた。何をしても安全に気をつけてもらえなかった皆が、安全に気をつけてくれる方法は1つだけ。
彼女は、車椅子ごと道路に飛び出して、車に轢かれて死んだ。事故を装って死んだ。皆の安全を守るために。そうして死んだ彼女は怪鳥となって、決まった時間に電柱に止まる。安全を守らない人が現れると、生徒の命という尊い犠牲を出して、交通ルールを守らせるのだという。
それが、ここの地域性。
彼女は今もそう思い続けている。
「おはようございます! 安全委員会です!」
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