環獄の一片~SSまとめ~

迷昧 捺

Page:01  終わらない、わたしの。

 本を1冊手にとって、表紙を開いた。自棄に新品めいた艶やかな紙で、不思議と指に馴染んだ。

 この本は不思議な本。最初は少ない物語が、次に開けば2話、3話と増えていく。読めば読むだけ増える物語と、それに準じて分厚くなるページ。だから時々、目次に目を通す。今日もまた、物語が増えていた。慎重に、紙を摘まんで持ち上げた。

 物語の1つ1つから、その登場人物を思わせる匂いがする。ページをめくるだけで、隣にいるような気配までする。今日読む物語はどんな登場人物なのか、どんな匂いがするのか、緊張しながら捲っていく。

 今まで読んだ話の匂いが、慎重に紙を捲っていく過程で鼻を擽る。


 1話目は、恋する傷ついた女の子の話。歪なトラウマと愛情を隠した、甘い苺のパフェの匂い。女の子は飾り付けの魔女になり、この世に飾らないものなんて存在しないと宣う。


 2話目は、家を失くした男の子の話。大切な人を救うことはできない、冷たい消毒液の匂い。男の子は嘘つきの清掃員となり、この世に正直者は1人もいないと嘯く。


 3話目は、見えないものを見る女の子の話。ただ好きなことができれば満足だった、噎せそうな絵の具の匂い。女の子は影絵の影となって、この世の全てを自らのキャンバスにすると漂う。


 4話目は、空の美しさを知った男の子の話。俯かずに前に進むことを決めた、澄みきった風の匂い。男の子は人々を見下ろす太陽となって、この世にある不要な物も全てを愛そうと笑う。


 5話目は、食欲を突き詰めた女の子の話。どこか仄かに暗くて報われない、煙たい御馳走の匂い。女の子は満たされない給仕となり、この世界は常に空腹であることを訴える。


 6話目は、温かい火に魅せられた人の話。星の海を信じて溺れても頼りになる、アロマキャンドルの優しい匂い。その人は美しいカンテラ持ちになって、この世界を僅かでも照らす光となることを誓う。


 7話目は、世界から逃げ出す地球外生命の話。誰かの言いなりを嫌って逃げ込んだ、埃っぽい書庫の匂い。生命体は色褪せたフィルムに擬態して、この世界全てが誰かの台本として書かれていることを嘆く。


 8話目は、向上心以外を捨て去った女の子の話。親も友達も踏み倒してただ高みを目指して辿り着く、雨に湿気った森の匂い。女の子は温室の蝶となり、あまりに退屈な世界に悪態をつく。


 9話目は、十字架を背負って生まれた男の子の話。どれだけ背を向けて関係無いふりを決めても染み付いた、緊張感のある木造建築の匂い。男の子は下品な一対の口唇となって、全ては嘘で覆い尽くされることで幸福になるのだと唾を吐く。


 そして、やっと辿り着いた新しい物語。

 「おはよう、わたしの――」

 10話目は、一生を賭けた人魚の話。全てを失っても水面を目指す、爽やかな海の匂いがしている。読み進めていくと人魚は濡れ輝く月へと変わり、この世の全ては愛に帰結すべきだと謳う。


 匂いを持ったページは異のある形となって、わたしの周りで好き好きにさんざめく。命を捨てても、人を保っても、物語の欠片であるページ達は、他でもないわたしに消滅を望まれずに存続する。謂れのない罪に、規則に、囚われて、誰かの歓声を求め続ける人形となって。


 「まだ、終わらせない。愛するわたしの――」


 ここは図書環獄。終わった話の行き着く、物語の小さくて大きな墓場。

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