再現ビデオ

「喜べ、妊娠したぞ」


 緑のたぬきを啜っていたひろむは顔を上げる。

 頬杖の彼女が唇で笑った。


「わたしと君の子だ。責任を取ってもらうぞ」


 ちゃぶ台に置かれたのは婚姻届けだ。

 目が糸の愛らしい笑顔、守ってあげたい、けれど。

 鞄を手に腰を上げた。


「わるい、面会にいってくる」

篠田しのだひろむ、忌み嫌う君の父と同じ外道に堕ちるのか」


 背中に刺さった鋭い声に、ひろむは玄関扉にかけた手をとめた。戻って座り、署名捺印。

 手品のように婚姻届が消えた。


「今日からこの部屋は事務所だ、君が帰る家じゃない」


 彼女の家の鍵を受け取った。


「仕事を持ってきた」


 差し出された紹介状を鞄にしまう。


「この仕事を片づけたら君の故郷に戻ろう」

「そんな金はない」

「わたしの貯金があるし、君ならニューヨーク州司法試験に受かるだろ。向こうで育ったわけだし」


 部屋の隅、積まれた円盤を指す彼女。


「いつまでも安い仕事は続けられない、だから言葉を忘れないよう洋画を聴いているのだろ」


「わたしと君の子だ、六ヶ月で喋り始める。父さま、お髭が痛いです。母さま、お乳がおいしゅうございます、父さま——」


 夢見る彼女を残し、拘置所に向かった。



「新婚さん、いらっしゃい」「お久しぶりです、先輩」


 かつて在籍した法律事務所の一室、篠田しのだは案件に耳を傾ける。


 人気俳優が強姦した。被害者は示談を拒否、実刑を望んでいる。

 芸能事務所としては執行猶予でおさめたい。収監されては違約金を払うことになる。


「それで、本当の依頼は」

「実刑にしろ」


 篠田しのだはソファに沈んだ。


「相変わらず金に汚いですね」

「天界に住まう裁判官を導いて正義を執行する、死神の君なら朝飯前だろ」


 被害者の処罰感情をくすぐり、裏金を懐に。

 裁判は演劇でしかないと小馬鹿にする先輩らしいが。


「コイツはチンピラ以下の屑だ、表舞台から消す」


 指で弾かれ飛んできた宣材写真は野性的な顔だった。


「報酬は、」

「結婚祝いも含めて三千万円、消費税は別だ。麗子ちゃんを大事にしろ」


 篠田しのだは先輩と握手を交わした。



「弁護士の篠田しのだひろむです」


 名刺を交換、芸能事務所のソファはやわらかい。供の助手が書類を配る。


「マスコミを使った性交同意の刷り込みは、そちらにおまかせするしかないですが」

「先生、本当に弁護士ですか」


 社長に役員どもがニヤニヤ笑う。


「別案もご覧になりますか」

「先生、これでいきます」

「それでは、よろしくおねがいします」



 二週間後、篠田しのだは助手を連れて芸能事務所に向かった。

 マッサージ店個室での再現ビデオを鑑賞、全裸の熱演、そこまで求めていない。


「先生、どうですか」


 本人が主演はいいとして、本番、無修正、さすがに常識はある、よね。


「いいですね、最後の打ち合わせを始めましょう」



 USBメモリをノートPCに挿して、


「では、再現ビデオをご覧下さい」


 小法廷に喘ぎ声が響く。

 篠田しのだは目を疑った。


 本番、無修正。


 傍聴席の怒号を、しなる雪肌せつきの絶唱が消し飛ばす。


「静粛に! 静粛に! ビデオを止めろ!」


 木槌が飛んできた。

 篠田しのだは首を振って交わす。


 ぐったりの女優、振り向いた賢者が止まる。


「、以上です」



 弁護団の主席、篠田しのだは声なく嗤う。


「——を懲役四年に処する」


 傍聴席から歓声と怒声があがる。

 証言台の前、野人の肩が震え出した。

 知らない異国の呪詛が篠田しのだに突進するも刑務官に制圧され、閉廷。



 会見から、芸能事務所の金ぴか社長の恨み言をたっぷり浴びて、篠田しのだはボロアパートに戻った。

 ちゃぶ台は小さな祭壇、真ん中の遺影に缶ビールとお菓子を供える。

 こんな蒸し熱い夜でも、祝いはあれに限る。

 赤いきつねと緑のたぬきも供え、湯を注ぐ。

 鞄が唸った。仕事用の携帯電話を耳にあてる。


『先生、ありがとうございました』


 被害者の女性からだった。力及ばず減刑を詫びる。

 赤いきつねを啜る。

 また鞄が唸った。私用の携帯電話、麗子からだった。

 鳴り続ける携帯電話を無視、応えない遺影に話しかける。


「姉ちゃん、やっぱり普通の父親になるのは諦める。もう少しだけ全力で走ってみるよ」


 瞬間、原始の恐怖を感じて背筋が伸びる。

 気がつかなかった、ガラス窓に映るのはゆらりと迫る妊婦さま。


「よく聞こえなかったぞ。もういちど誓え」

「普通の父親になれるよう努力します」

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