第44話 少年の決意……七月剣の場合①

 早朝。


 まだ日の昇っていない薄暗い市街地の中を、風を切るような速さで駆け抜けていく。


 剣道を始めた小学生の頃から、毎日こうして走っている。


 まだ冷たい朝の空気が頬を指す。


 それに対抗するかのように、体は熱く、鼓動は早くなっていく。


 俺は、この時間が、この感覚が好きだった。


 誰もいない街の中を颯爽と駆け抜け、ぼやけた脳をクリアにするこの感覚が。


 血が全身に巡り、気分良く一日を始められるこの習慣を、すごく気に入っていた。

 

 しかし、今日はいくら走っても気分が晴れず、腹の中に渦巻く重苦しい感情に全身を支配されていた。


 それが何で、何に悩んでいるのかは自分でも検討がついている。


 “人間関係”。


 それは自分一人では解決できず、どれだけ頑張っても全員が幸せになるのは難しい、生きる限り永遠に頭を悩まなさなければいけない類の事柄だった。


 我ながら、そういった類の悩みへの向き合い方は上手な方だと思っていたのに。


 こうも悩んでしまうと、自信をなくしてしまう。


 おそらく、向き合わなければならない相手が複数人もいたからだろう。


 一介の高校生には、流石に重すぎる。


 そう思ってしまうくらいに、ここ数日間での人間関係の変化は異常だった。


 生まれて初めて、こんなにも自分以外の誰かと真剣に向き合ったと思う。


 『森原真鈴』、『式守有希』、『百瀬香奈』。


 皆が皆、似たような想いを、各々違った形で、真っ直ぐにぶつけてくれた。


 正直、三人の事をそのような目で見ていなかったので、驚いた。


 けれど、三人とも真剣で、本気で。


 そんな真っ直ぐな想いに触れて、思い知った。


 人を好きだと思う気持ちがどれだけ儚く尊いかという事を。


 そして、自分の気持ちを伝えるのがどれほど恐ろしいのかという事を。


 知ったからこそ、俺も真剣に向き合った。


 考えて、考えて、考えて。


 そうして悩んだ結果は、やっぱり期待に応えられるようなものではなくて。

 

 可愛い後輩だけれど、尊敬する先輩だけれど、大切な友達だけれど、それは“特別”

 ではなくて。


 だからこそ、俺はキッパリと断った。

 

 その想いには応えられないと。


 俺の『特別』は別にいるのだと。


 真っすぐで純粋な想いだからこそ、中途半端には向き合えないと。


 そう、告げた。


 ひどく自己中心的で、独善的な判断だったと思う。


 けれど、三人は怒ることも、非難することもせず、それどころか、「頑張れ」と俺の背中を押してくれた。


 それがどれだけ辛い事なのかは、察しの悪い俺でも容易に想像できた。


 なぜなら、俺にも好きな人がいるからだ。


 もし、俺が同じ立場で、同じ状況に置かれたとしたら。


 必ずしも三人と同じような対応を取れるかは、正直疑問だった。


 だからこそ、余計に俺も頑張らなければならないと、そう思った。


 三人の想いを無駄にはできないと、そう思った。




 俺が、本当に向き合わなければならない相手。


 俺がその人に向ける想いは、三人の物とは比べ物にならないくらいに薄汚く、自分勝手で曲がりくねったものだと思う。


 絶対に間違っていると、そう想いを寄せることは周りの全ての人間の迷惑になるんだと、自分でもよく理解もしていた。


 けれど、止められなかった。


 溢れる想いに踏ん切りをつけることができなかった。


 茨の道だと、分かっているのに。




 そうして、柄にもなく素直に想いを伝えた結果は散々なもので。


 相手にしてもらえなかったどころか、俺の趣味趣向を矯正するとまで言われてしまった。


 まぁ、話をする機会は増えたし、その人のアドバイスのおかげで三人とうまく向き合えることができたから、良かったは良かったのだけれど。


 誤魔化されたというか、あしらわれた感じが否めないというか。


 やっぱり、もう一度想いを伝えるしか手段はないんだと思う。


 三人としっかり向き合って、分かった。


 俺のあの人に対する気持ちは、“本物”だという事を。


 あの三人が、純粋無垢な気持ちを向けてくれたみたいに。


 俺もまた、三人のように、真っ直ぐ、正々堂々な気持ちを伝えなければならない。


 あの人に、俺は……




 俺は、『桜庭先生』に、もう一度告白する。

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