第25話 少女の恋……式守有希の場合⑦

「会長は西校舎の方探してください! 俺はその他全部見て回るんで! 見つけたら連絡くださいね!」


「うん!」




 そう約束し、私と七月君は二手に分かれた。


 物凄い勢いで走っていく彼に負けないように、私も遅い脚をパタパタと動かしながら廊下を走った。


 とにかく目についた空き教室を見て回った。


 走っている最中に脳裏に思い浮かぶのは、七月君や生徒会の皆の姿だ。

 

 ここ数週間、皆本当に頑張ってくれたと思う。


 だからこそ、こんなことで皆の頑張りを無駄にはしたくなかった。


 絶対に、この文化祭を、私達の最後の仕事を成功させてみせる。


 その一心で、段々重くなる足を必死に動かした。


 そうして、西校舎の教室を粗方見て回り、見つけられず、最後の望みで向かった屋上の扉の先に、四人の男女の影を見つけた。


 いた!


 役員の子から聞いていた特徴と合致する四人の男女。


 そのうちの二人は、私も何度か目にしたことのあるサッカー部のエース君とチア部の新人ちゃんだった。


 この子達だと、そう胸を撫で下ろし、走って切れた息を整える。


 しかし、安堵するのも束の間、屋上の雰囲気の異常さに気圧される。


 何やら、サッカー部のエース君ともう一人の男子生徒が揉めているようだった。




「何してるのあなた達!」


「うるせぇ! 黙ってろ!」




 ひょろひょろの声で私がそう叫ぶと、サッカー部の男子がそう声を荒げた。


 胸ぐらを掴み合い、もみくちゃになりながら、二人の男子が叫びあっている。


 二人の女の子は、ただただ怯えて、何もできないような様子だった。




「や、やめなさい!」




 必死に止めようとするも、高校生の男の子に力で勝てるわけもなく、ただ途方に暮れるだけ。


 どうしよう……と、また弱気な気持ちに心を支配されそうになる。


 企画のためにも、ここまで頑張ってくれた皆のためにも、そして、自分のためにも。


 私が何とかしなくちゃいけないと、そう分かっているはずなのに。


 体は重く、足はガクガクと震えていた。


 怖いと、そんな感情に全身が押しつぶされそうだった。


 男子に本気で怒鳴られたのなんて初めてだった。


 その時点で、私の心は折れかけていた。


 どうせ、私にはどうすることもできない。


 そんな言葉が、脳裏を過る。


 あぁ、私はまた、自分の無力さに打ちひしがれて、悔しい思いをするのか。


 私はまた、一人で抱え込んで、結局何もできないままでいるのか。


 私は……また……




 ……違う。




 私は、一年前の何もできない弱虫なんかじゃない。


 この一年、本当に色々な事があった。


 辛い事、悲しい事、苦しい事。


 何度も涙を流したし、何度も諦めかけたこともあった。


 でも、私は乗り越えた。


 生徒会の仲間や、先生や、友達や両親、色んな人に支えられて、生徒会長の仕事を全うした。

 

 それは、それだけは、覆しようのない事実だ。


 それに、人に頼る事だってできた。


 ずっと、私には無理だと思っていた。


 そんな、心の底から頼れる人に、甘えられる人には出会えるはずがないと、そう思っていた。


 けれど、違う。


 彼は、七月君は、この一年間、ずっと私の側にいて、支えてくれた。


 ずっと、私のために頑張ってくれた。


 私は教えてもらったんだ。


 人を頼りにする大切さを。


 信用し、信用される関係性の暖かさを。


 私は言った。


 彼に、助けてほしいと。


 彼は何の疑いも持たず、ただ頷いてくれた。


 まるで、それがさも当たり前かのように。


 だから、私も、そんな澄んだ気持ちには絶対に応えなければならない。


 彼は言った。


「生徒会最後の大仕事、絶対に成功させましょう」と、そう言った。


 その言葉を、裏切るわけにはいかない。


 会長として、先輩として、そして、彼に想いを寄せる一人の人間として。


 私は……私は……




「い、いい加減にして!」




 震えた私の声が、屋上に響く。


 一瞬だけ、その場にいた全員の視線が私に向いた。


 緊張を必死に隠し、私は続ける。




「もう時間ないんだよ? 生徒会の企画始まっちゃうのに……それは……今しなきゃいけないような事なの?」


「……こいつが俺の女に手出したんだよ!」


「出してねぇよ!」




 私の問いかけに、サッカー部のエース君が答えた。


 もみ合いをしていたもう一人の子も、声を荒げる。


 そのまま、彼らの話を聞いた。


 どうやら、サッカー部のエース君とチア部の新人ちゃんは、実は付き合っていたらしい。


 しかし、一年生のクラス代表として生徒会企画に出場した新人ちゃんと、そのクラスメイトの男子が仲良くしている様子に、エース君は嫉妬。


 同じくクラス代表として出場を決めていた二年生の女の子に取り持ってもらい、この屋上で話し合いの席を設けてもらったらしい。


 そうして、痴情のもつれは拗れに拗れ、殴り合いにまで発展する羽目に……


 呆れて物が言えなかった。


 そんな子供じみたエゴのぶつけ合いで、どれだけの人間に迷惑を掛けるのか。


 ……いや、でも、私がこんな企画を考えなければ、こんな事態には発展しなかったのかもしれない。


 いずれにしろ、彼らを説得して、仲を取り持ち、企画が行われる体育館に引き戻す責任が私にはあった。




「話は分かったから……後でゆっくり話そう? ね? 私も相談に乗るから……」


「うるせぇ! 元はと言えばお前ら生徒会がくだらない企画考えるからこんなことになってんだろうが!」





 彼の言葉が、私の心の深いところに突き刺さる。


 酷い言いがかりなのは理解している。


 それでもひるんでしまうのは、心のどこかで罪悪感を覚えてしまったからなのだろう。

 

 けれど、私は言葉を止めなかった。




「ごめん、気に障ったのなら謝るよ。でも、今は時間がないの……だから……」


「ふざけんな! どうせ真面目なだけで何がウケるかも分からないような奴らが考えた企画だろ? そんなの潰れたって支障ねぇよ! 生徒会なんて何の取り得もない陰キャ共の集まり……」




 彼の暴言を全て受け止めて、何とか説得しようと、そう思っていた。


 けれど、生徒会の仲間を悪く言われた瞬間に、もう我慢は効かなくなっていた。


 私の、心のダムが決壊する。




「う、うるさい! 自分たちの関係性が弱かったからこんなことになったんでしょ! それを生徒会のせいにされたって……そんなの知らないよ! 私の事はいくら悪く言ったって構わないけれど、生徒会の子達を悪く言わないで!」


「て、てめぇ!」




 私の叫び声に呼応して、サッカー部のエース君がこちらに突っ込んでくる。


 振りかぶった拳が、私に向けられる。


 咄嗟に、顔を両手で覆った。


 痛いのは嫌だった。


 死ぬ程怖かった。


 でも、後悔はなかった。


 私は、強くなったんだ。


 私は、成長したんだ。


 人の目を気にせず、誰かのために自分の意見を貫くことができたんだ。


 よくやった、私……






 鈍い音が、屋上に響く。






 拳を向けられたはずなのに、固い物を蹴り飛ばしたような音だった。


 恐る恐る、目を開く。


 不思議と、痛みはなかった。


 私はどこを殴られたんだろう。


 体をまさぐってみるも、やっぱり痛いところはない。


 前を見る。


 サッカー部のエース君が、わき腹を抱えて地面に転がっていた。


 えっ! と、驚愕の声をあげる。


 一体何が起こったのだろう。


 そう、混乱しながら周りを見た。

 

 そうして、合点がいく。


 私の隣に、珍しく息を切らせた猛獣がいた。


 そう、彼だ。


 “七月 剣”である。




「はぁ……はぁ……会長……えっと、こいつらですよね? 何があったんですか?」


「えっと……」




 真剣のようにギラついた視線で、彼が問う。


 味方であるのは分かるんだけど、それでも、彼の纏う殺気に、私でさえも委縮してしまっていた。


 恐らく七月君が蹴り上げたであろう、横腹を抑えて唸っているサッカー部のエース君を横目に、戸惑いながら事情を説明する。


 彼は全ての事情を聞き終えると、ゆっくりと息を吸って、叫んだ。




「んな事あとにしろ! もう時間がねぇんだよボケぇぇ!」


「「「「「ひっ……」」」」」」




 屋上に、いや、校舎全体に彼の声が響き渡る。


 私も、エース君も、新人ちゃんも、揉めていた男の子も、二年生の女の子も、皆ドン引きしていた。

 

 彼には逆らない方がいい。


 そう、本能が叫んでいた。


 しかし、彼の怒りは収まらなかったみたいで、その足をゆっくりと進めて、エース君の下へと近づいていく。


 まずいと、そう思って、割って入ろうと体を動かした。


 きっと、七月君は私のために怒ってくれているのだろう。


 どんな理由があったとしても、女の子を殴るような行為を、あの七月君が許すはずがない。


 優しくて、正義漢の強い子だから、なおさら。


 そう思ってくれるのは嬉しかったけど、これ以上相手を傷つけるような事をしまえば、七月君が悪者扱いされてしまう。


 それだけは、何が何でも避けたかった。




「七月君、待っ……」


「ご、ごめんなさい! 私が悪かったんです!」




 そう、私が七月君を制止するべく声をあげた瞬間。


 別の声が覆いかぶさり、その声の主に、その場にいた全員の視線が集まった。


 声をあげたのは、チア部の新人ちゃんだ。


 エース君を庇うように寄り添い、心配そうに介抱している。




「ごめん……わたし……不安にさせるような事させちゃったよね……本当にごめん……まさか、こんなに大切に想われてるだなんて知らなくて……」


「お前……」




 泣きながら謝る新人ちゃんを、エース君が必死に慰める。


 そのまま二人は何やらいい雰囲気になり、さっきまでの喧嘩が嘘だったみたいにイチャイチャしだした。


 え、えぇ……


 そんなに簡単に仲直りできるなら、最初っからそうしてよ……


 そう、心の中で愚痴ろうとして、やめた。


 何故なら、私の周りにもっと不満を抱えてそうな人達がいたからだ。


 新人ちゃんのペアの男の子と、エース君のペアの男の子の顔を見た。


 歪んでしまうくらいに眉間にしわを寄せ、唇を噛んでいた。


 七月君の目を見た。

 

 人殺しの目をしていた。


 ま、まずい……また揉め事に発展する前に、何とか丸く納めないと……




「と、とりあえず一件落着……というか、お互いの疑いは晴れたみたいだから、詳しい話は後でゆっくり……ね? ほら、時間もない事だし、今は文化祭を楽しむ事だけを考えよ?」


「そ、そうですね……」




 そう七月君が肯定し、私達は体育館に戻ることになった。


 危ない危ない……企画が中止になるどころか、危うく暴力事件に発展するところだった……


 冷や汗をかきながら、屋上の扉を閉める。


 時間が余裕がなかったため、私達は走って校舎を移動した。


 イチャイチャカップル、もみくちゃにされた男の子と、ただただ巻き込まれた女の子、廊下を走るのを黙認する生徒会長と、不機嫌な副会長。


 その光景は、あまりにも異様で。




「ぷっ……あはは……」




 私は思わず、笑ってしまった。


 きっと、七月君が来てくれなかったら、こんな風に笑えるような結果にはなってなかったと思う。


 やっぱり、七月君は凄いやと。


 改めて、そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る