第2話 春に焦がれて②

 更衣室で着替えを済ませ、白衣を身に纏い保健室へと向かう。


 その道のりの途中で、様々な音色が私の耳を撫でた。


 朝練をする野球部の掛け声と、コンクールを目前とした吹奏楽部の鬼気迫る演奏の音が学校全体に響く。

 

 そこに、何かしらの理由で早く登校してきた生徒達の声が重なって、賑やかで、それでいて少しうるさいくらいの青春のメロディーが私の体を包み込んでいく。




 私は、学校という場所が持つこの雰囲気が大好きだ。


 ノスタルジーというか、何と言うか、遠い昔を思い出すようなこの感覚にいつも焦がれている。


 キラキラとした若者達の姿を見るのも好きだった。


 多分、多少の憧れもあるんだと思う。


 私自身、世間一般で言う“青春”とはかけ離れた学生時代を過ごした人間。


 だから、より“青春”というものに執着し、より“青春”というものに強い興味を抱いているのだ。




 ひとえに“青春”と言っても、その在り方には多くの種類がある。


 部活に打ち込むのも青春。


 勉学に励むのも青春。


 バイトに精を出すのも青春。


 友達と遊び尽くすのも、一人孤独に何かに向き合うのも、それが何だって、その人にとって大切で、夢中になれるものなのであれば、文句なしに“青春”と呼んでしまっていいのだろう。


 いずれにしろ、何かに熱中し、ひたむきに頑張っているのであれば、その全てを“青春”と呼んで差し支えないと私は思う。


 結果よりも、過程が大事。


 何かを求めて、何かに縋って行動したこと自体に意味があると、私はそう思う。


 多分、私は全力で頑張る人を見るのが好きなのかもしれない。


 いや、そんな人達を応援するのが好きなのかも。


 無意識の内に、自分には存在しなかった“青春”というものを、他の誰かから分け与えてもらおうとしているのかもしれな……


 ……そんな依存的な生き方をしていて、私は大丈夫なのだろうか。


 唐突に自分の半生を振り返り、将来が不安になった。


 私の人生って、一体…………




「……先輩、私、ずっと前から先輩の事が好きでした……」

 



 そう、少しだけ落ち込みかけていたその時だった。


 不意に、そんな刺激的な言葉が私の耳の中に入ってくる。


 ドキッと、良い年をした大人の女の心臓が跳ねる。


 咄嗟に物陰に隠れて、声がした方向を覗き見た。


 武道館の前に、青い道着を着た男女が二人。


 服装から察するに、剣道部の生徒達だろう。


 背の小さい女の子が、俯きながら先程の言葉の返事を待っている。


 耳まで真っ赤になっているあたり、相当な勇気を振り絞ってその言葉を口にしたのだろう。


 見てるこっちまで恥ずかしくなってくる。


 一方で、告白を受けたであろう男子生徒は、未だ微動だにせず、直立不動でその女の子を眺めていた。


 どこかで見たことのある後ろ姿。


 何かを言おうとして、不意に見せたその横顔。


 その過程で、瞬間的に、私の視線と彼の視線がぶつかり合う。


 それで、私は彼が何者なのかを知り、絶句した。


 盗み聞きをしていた事を追及される前に、急いでその場を後にする。


 年甲斐もなく焦りながら、パタパタと遅い脚を動かして廊下を進んだ。


 運動不足のせいか、すぐに呼吸が乱れてしまう。


 心臓が、おかしなリズムの鼓動を刻む。


 ……いいや、多分、この動悸は運動不足のせいではないのだろう。


 告白を受けていた彼の正体に、私は動揺していたんだと思う。




 し、知り合いだった……




 道着を着た彼は、保健室に良く来る『七月剣ななつきつるぎ』君という男子生徒だった。


 担当の生徒を持たない私にとって、保健室に頻繁に顔を出す彼は何かと目につくというか、他の生徒達よりもほんの少しだけ特別で。


 教師として、一人の生徒に肩入れするのは良くない事なのだけれど、それでも、校内の人間で一番気兼ねなく話せる間柄というか何と言うか。


 仲がいいと、勝手に私がそう思っていた。


 故に、そんな生徒の普段とは違った一面、私の知らないプライベートな部分を覗き見てしまったことに対して、動揺してしまっていた。




 “青春”には様々な形があると私は言った。


 それは決して間違いではないのだろう。


 人それぞれ、沢山の想いがあり、沢山のこだわりがある。


 けれど、“青春”という言葉を耳にした時、多くの人がイメージするのは“恋”という事象に対してだ。


 例に漏れず、私もそう。


 “青春”といえば“恋”。


 そんな言葉の自動変換が、私の脳内で勝手に行われてしまう。





 そして、ここからが問題だ。


 何が問題なのかというと、それは私の教師という立場と、趣味趣向の関係性だ。




 私はそう言った事象に関すること、つまり“学園ラブコメ”的なことが大好きなのだ。




 昔から映画や漫画や小説など、様々なフィクションの世界のお話に没頭し、焦がれてきた。


 友人や芸能人などのゴシップを聞くのも好きだった。


 自分以外の誰かが幸せそうにしている状態を見ることに幸福を感じ、満足感を得てきた。




 この学校に赴任して一年半。


 学校にはそんな“青春”がありふれているはずなのに、何故か、それらを目にする機会には恵まれなかった。


 けれど今日、初めて、その光景を目撃した。


 しかも、良く知っている生徒のものをだ。


 それが何を意味するのかは、言わなくても分かるだろう。

 

 正直、ドキドキしてしまっていた。


 私って、教師失格だ……


 そんな罪悪感に飲み込まれそうになりながら、心の中ではキャーキャーと煩わしいほど歓声を上げ、私は廊下をパタパタと歩いた。


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