猛毒少年にご用心

星 太一

良薬か、劇薬か

「居た!」


 銀に光る月が印象的な冷たい夜。風に吹かれながらは立っていた。


 黒々とした大波に今にも吞まれそうな小島。その上に建つ不釣り合いな程大きく豪奢な館。この物語のタイトルにもなっている「人形館」、舞台そのものである。そのバルコニーに立っている男に少年は用があった。極めて重大な用が。

 息を切らしながら掌を合わせ、その中にしまってある己が武器、「突壊棒とっかいぼう」を取り出す。自慢ではないが、運命局の中では結構腕の立つ方だ。たかが一本の棒きれ、されど一本の棒きれ。突壊棒は棒術の為の一品で、その昔、さる武神がその力の最大限を込めて整えたとか言われている。ステラリノで一番固い針葉樹で作られており、自分の身長以上もあるそれは一般人が持つには結構重い。更には神のご加護を抱く「運命神ファートムの守護紋様」が先端に彫り込まれている為、この武器自体が持つ防御力・攻撃力は常人の想像以上と思って良い。使い方次第では如意棒を上回る。後はどう使ってやるか、それだけだ。

「諦めて大人しく観念しろ! お前の正体はもう知れているんだ、『シナリオブレイカー』!」

「……」

「最初からずっと見ていた」

「……」

「確かに主人公が途中で変更されている。これは運命の書には無い記述であり、故に重大な犯罪となる」

「……」

「僕はテメェの仕業だと思ってる」

「……」

「何とか言ったらどうなんだ」

「……」

 終始無言を貫き、バルコニーに寄りかかりながら呆っと月を見上げる彼に苛立ちを覚え、背中に突如、棒を突き付けた。

「何とか言ったらどうなんだ!!」

「……」


「最悪、関係のない人間が死ぬんだぞ!!」


 ――現に死んでいる。

 しかし、それでも目の前の彼は決して答えない。

 代わりにギラギラと光る「黒い蛇の瞳」を、腹ごとこちらに向けた。

 噂に聞くその「瞳」に思わず息を呑む。

 何だろう。物凄く、どこか、何かが、若しくは全てにおいて、異様。

 無意識の内に強く握り直した。


「運命局、第八管理部所属の戦闘員。名もなき少年。この物語での仮称は『平 凡太郎』。そうですね?」


 やがて語り出したのは弁解でもなく、自分の事でもなく、のこと。

「普段はモブとして、専ら序盤で殺される。面白い職業もあったもんですね」

「訂正。一番最初に死ぬんです」

「強いこだわりとかあるんですか? 見せ場も殆ど無い癖に?」

「僕は能で言う所のシテとかワキみたいなものだと思ってる」

「なるほど、極めているのですね。それは実に見事。プロの仕事って訳だ、人ひとり死ぬっていうのも」

「そうそう……ってちがーう!!」

 急に違う話を振ってくるなよ! 調子が狂うじゃないか!

 彼の喉元に鋭く棒を突き付けて事態の深刻さを嫌でも理解してもらう。

「その話をしているんじゃない! 今は警告をしているんだ」

「警告?」

「そうだ。『紙』に戻りたくないだろ、お互い」

「ふふ、まあ」

「なら素直に警告を飲め。この物語が破綻する前にここから立ち去るんだ」

「そうしたら、貴方はどうするんですか?」

「運命の書に従うまでだ。探偵の復活を経て、そのままあるべき終幕へと向かう」

「……」

「偽探偵の退場を以てして」

「……ほう?」

 その瞬間の蔑むような目。銀の月、タールの暗闇。

 明らかに、空気が変わる。

 その途端。己が喉元を今にも打ちそうな棒を突如として掴み、彼は狂気の笑みを零した。


「やれるモンなら、やってみろよ。正義の味方風情が」


「……!」

 反応時間はわずかにコンマ一秒、首の骨を砕かんばかりの突き。しかし、肝心の手応えを感じない。

「ハァハハハ!」

 相手は黒いすすのように霧散して、直後には目下数メートル下の庭に立っているのだ。

「クソ!」

 バルコニーを跳び越えて、一直線。彼の脳天に質量と重力ごと棒をぶち込む。しかし衝撃波すら彼を捉えることはなくまた霧散した黒いすすは元のバルコニーに戻って、そこでニタつく微笑をこちらに向けて、逃げる。

「待て!」

「フフフ……アハハハ!」

 完璧振り回されてる。

 こういう時ほど自分に魔法があればと思わないことはない。こういう相手には大体自分が押し負ける。そうして毎回、周りの座敷童達に標準的に備わる魔法の存在を羨むのだ。例えば、黒耀の守護魔法。最近は洗練された為か青くなっていたが、それでも昔から絶大であったことに変わりはなかった。ナナシのだって。あれさえあれば紋様を頂くこともない、武器さえ無くてもいい。戦場を選ばない、相手も選ばない。負けもない、逃げもない。観念だって――。


『それは君に信心がないからでしょ? 羨むのはやめて、早く先生から名前を頂いたら?』


 ――否。

 否、もうやめにしよう。これは自分で決めた道じゃないか。

 いつものヤツを胸のうちで繰り返し、棒高跳びの要領でバルコニーを越える。勿論、棒は携帯したままだ。

 バルコニーのあるその部屋の扉の向こうで相手はご丁寧にも待っていた。その鼻につく態度が気に食わなくて、息が上がるのも構わずに相手の懐に突っ込んだ。

「アアアアア!!」

 それでも手応えはさっぱり。また霧散して向こうの方へと逃げていく。

 その先は大広間。――まだ人間が全員揃っていた時にパーティをやった、あの部屋。

 どこまで馬鹿にすれば気が済む。

「いい加減にしろ、逃げる位なら戦え!」

 歯を擦らせながら相手を追いかける。付かず離れずを保ちながら逃げ続ける彼に無茶苦茶に棒を振る。


 の神の紋様を頂きながら、キャラクタに攻撃が当てられなかったのはこれが初めてだった。


「ファートムの紋様も大したことないんですねェ」

 気付けば自分の肩に顎を乗せて、全く、余裕のあることだ!

 遠心力を存分に利用して彼を叩こうとするが、お決まりの逃げで、代わりに自分の背中を思いきり打ってしまった。

「ウ!」

「アヒャヒャ! ……痛そう」

 涙目だけで済ますことが出来るのは自分の実力不足じゃない、運命神の紋様のおかげだ。

「ンヒヒヒ、ンヒ。先程までの威勢はどこへ行ったんですかぁ、ンヒヒ」

「煩い」

「私が死ぬんですよねぇ? ヒヒ」

「黙れ! 気が散る!!」

 落ち着け、落ち着け。型を乱すな。基本が崩れれば堅固な城さえも崩れる。

 こういう時は別の角度から相手を見るのだ。即ち――悪魔の可能性。

 偶にいる。遊戯だなんだと言ってキャラクタに近付く奴が。大体は運命の書も許容している「契約」というものが大半だが、今回はそんな報告は受けていない。

 若し本当に彼が悪魔なのであれば、遊び半分で干渉しているということ。全く腹立たしい。腹立たしい! アイツが相手だと余計に腹立たしい! あのギラギラ野郎めが!

 腰巻にしまっておいた硝子の小瓶を取り出し、棒にさっと中の液体を振りかける。ヘーリオス様の慈愛と加護に満ちた、特製の聖水だ。紋様が青白く、淡く光り出す。それを見て相手の表情がガラリと変わった。

「ぃよし」

 矢張りか。

 棒を演舞のようにくるりと回して、次いで構える。

 狙うはその心臓! ――もう一つ、「封神の累丸」を取り出し、相手の足下にぶつけ、聖光をぶちまける。

「ギャ!」

 怯んだ彼の両脚を直ぐに魔法陣が捉え、縛る。次いで腕に聖光が絡み、駄目押しで封神の陣を抱く壁に張り付けた。

 そう、そうだ。

 この瞬間を待っていた!

「観念しろ、シナリオブレイカー!」

「ぐ」


「闇に戻り、己が幼稚さを反省しろ!!」






 直後。

 確かにそれは胸を捉え、貫通した。


「え」


 の、胸を。


 * * *


「で、君は死んだって訳」


 神殿の鐘が鳴り響いた。

 その瞬間、目が覚めたように我に返る。

 目の前に手錠で繋がれた我が両腕。その先に伸びている鎖の端を弄ぶのは少年の姿をした「厄災」。王様でも座るような立派な革の椅子にふんぞり返って良いご身分だ。

 名をディアブロと言う。俗にいう悪魔王。

 生まれた時は数百歳の老翁の姿をしていたが、歳を経て徐々に若返っているという。今はどうでも良い話ではあるけれど。

「どう思う?」

 しわがれた、しかし凛と張る王の声が神殿内にこだます。

「どう思う、と言われましても」

「まあ、そりゃね。コメントに困るでしょうよ」

 そう言って、彼は足を組んだままこちらにピッと人差し指を向けてくる。

 そして一言こう呟いた。


「だって、現に生きてるもんね」


「誰の加護も頂かない無力な座敷童が」

「……」

「あの時、『陰』を体内に取り込んで」

「……」

「尚も生きている」

「……」

「分かる? これね、あり得ないの。一般人が悪魔を召還した時に魔法陣を破ってしまい、頭からグワッ! と襲われたのにまだ生きてる的な? 要はそんな感じなの。あり得ない訳よ」

「……」

「ね。どうして? あの時何があった」

「……」

「ねえ。聞いてる?」

 少し、沈黙が走った。

 待ってみても反応を示さない。この後も十中八九そうであろうと判断した王は真っ赤な唇を湿らせながら微笑を浮かべ、

「じゃあ話を一旦変えます」

と高らかに宣言した。

「それじゃあお二人さんはこの子、どうしたい」

 そうして話が振られたのはこのに同席する他二神。

「まあ、結果・処置云々は今は置いておいて……まずは何よりも先に契約の打ち切りって所だろうな。それが物語、ひいてはベネノの救済に繋がる」

 先に言葉を発したのは運命神ファートム。天使長であり、上司。

「ふむふむ。アンタは?」

「出来れば軽い刑罰で済ませてやりたい。あれはどうしても騙されたようにしか見えなくて」

 次いで述べたのは天界の支配者、ヘーリオス。慈愛に満ちた美しき女神。

「おお、お優しいっ! 流石はヘーリオス!」

 勢いよく立ち上がり、ディアブロはこちらへ歩み寄ってくる。

「でも。コイツ、犯罪者だから。騙されただの何だのより、最終的にやったかやらなかったか。加担って言葉、知ってる?」

 思いっきり首に手を回し、パッと見れば仲良しの兄弟だが、相手が悪魔王となるとその意味は途端に変わってくる。


「甘えと優しさの意味を履き違えないでね。コイツは既に四つの物語世界を破綻に追い込んでんの」

「……」

「分かってる?」


 肝が冷える。


「しかし、『陰』の特性の一つに『支配・被支配の関係を強制的に繋ぐ』というものがあるでしょう」

「あるね」

「とすれば、彼の意識外で犯罪行為をさせられているというのには」

「ならない。支配・被支配の関係が完璧に繋がれた時点で、相手の体は『陰』の持ち主の物になる。そうすればこうやって意識ばっちりでここにいることもないんだよ、どんだけコイツの肩を持ちたい訳?」

「……しかし、余りに酷いではありませんか」

「どこが?」

「例えこれまでの過ちが彼自身の意識によるものであったとしても、その発端は半ば強制的なものでした」

「……」

「それまではとても真面目な良い子だったじゃないですか」

「……そうやって、かばう元気があるのなら最初から無理にでも加護を与えておくべきだっただろう」

「……」

「それが下の者を守る義務というものだ。相手の意志を一々守ってやろうなんて温いことも言ってられないからね」

「……」

「出来ないのなら、死神の所へ送ってどこか別の物語世界に転生させてあげるべきだったんじゃないか」

「ええ、ええ。分かっているんです。本当はそうしてあげるべきでした」

「……」

「でも、出来なくて」

「ぬるいよ」

 零れる水晶の涙を隠すように顔を覆った。こうなってしまえば、流石の悪魔王でもこれ以上の言及は出来ない。苦い顔をしながらそこに立ち続ける運命神をちらりと見やって、深い溜息を零し、ディアブロは犯罪者に向き直った。

「分かった、分かった。個人の意志云々をここで聞いた僕が馬鹿だった」

「ごめんなさい」

「なら、改めて汝ベネノに問おう」


「自分は良薬か、劇薬か」


「どちらを自称する?」


 僕は。


「僕は――」


 * * *


 それは、世界を変える物語。

 僕は、猛毒に生まれ変わった。


(つづく)

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