第4話

 翌週、私は東京、藤宮氏のコンサートにいた。彼は有名な作曲家になっていた。彼の軌跡をたどると銘打ったコンサートは、私には少しわからない前衛的な音楽から始まった。その後、合唱曲が数曲入り、耳にしたことのある映画音楽がかかった。最近は劇伴と呼ばれる映像に音楽をつける仕事もしているのです、と藤宮氏は言った。コンサートだけあって笑顔は絶やさなかったが、それでもどこか人を寄せ付けない印象なのは変わらなかった。


 コンサート後、ホールの前で藤宮氏はファンらしき人たちに囲まれていた。

「いつもありがとうございます」と如才なく頭を下げる藤宮氏に周囲の女性がはにかんでいた。私はファンの列の最後尾についた。

「お待たせしてしまいましたね」


 何人ものファンの対応をした後だというのに、藤宮氏は疲れた様子を見せず笑った。ファンに見せる笑顔に私の心に黒いものが渦巻いた。本当は何も聞かないつもりだった。


「先生の楽譜はどこへ行ったら手に入りますか。家にあった楽譜を弾いてみたんですが、他のも知りたくなりました」

「家に? なんの曲かな」

 藤宮氏は不思議そうな顔をした。私はバッグからクリアファイルに入れたあの楽譜を取り出した。

「君は誰だ。その楽譜は外には出していない」

 明らかに警戒していた。私の心は凪いだまま、狂暴なものが生まれていた。

「鈴木咲綾と言います。旧姓山際優子の娘です」

 藤宮氏はまじまじと私を見た。

「ああ、そうか。あの時の大きくなったな。今日は、山際くんは」

 藤宮氏は私の後ろに視線をやった。


「死にました」

「死んだ?」

「はい、突然でした」

「……そうか、いつ」

「一週間前です」

「こんなところにいていいのか。色々と忙しいだろう」


 藤宮氏は眉を顰めた。そうか、この人も喪ったことがある人なのか。いたわりのにじむ言葉にちょっとおかしくなった。ここ数日で上っ面の言葉と労りの違いをいやというほど理解していた。頑張れも、ご愁傷様も意味をなさない現実というのがこの世にはあって、そんなときにはどんな慰めも役に立たないということを知っている人間の言葉だった。

 狂暴な何かが鎮められていく。


「大丈夫、じゃないかもしれないですが。一応家には父がいるので。お世話になった人たちにお礼を言って回ろうかと」

「僕は何も―」


 嫌味を言ったつもりはなかったが、藤宮氏は目を伏せた。そうすると白髪の混じり始めた髪がロビーの明かりで白く見えた。しばらくして藤宮氏は顔を上げた。


「今日は、どこに泊まるんだ」

「まだ」

「気にならなければ家に泊まるか?」

「はい」


 私は頷いた。本当はホテルをとっていた。だけどもし、何かが知れるのなら聞きたかった。

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