第54話 ドドドドドドドド、ドッドー……

     *


 カシャカシャカシャ。


 カシャカシャ、カシャカシャカシャ。


 と、水辺観察園の方からバードウォッチャー達のシャッター音が聞こえ、三宝寺池池畔の甘味茶屋の中からは――本物の甘未茶屋の中からは、午後のお喋りを楽しむ客たちのざわめきが聞こえている。


「……行っちゃいました?」と、キツネにでもつままれたような顔で小張千春が訊いた。「行っちゃいましたよね?」


「最後に恐ろしいこと言ってましたけどね」と、こちらは、青色ダヌキにでもつままれたような顔で樫山泰治が答えた。「普通なら消すってことですもんね」


「……何をですか?」


「記憶。今回は消さないってことは、いつもは消しているんでしょ?」


「ああ、」と、得心したような顔で小張。「でも、樫山さんみたいに消しても覚えている人もいますし」


     *


「それも、よく分からないんですよね」野球場の方へと向かう道を歩きながら樫山が言った。「結局、僕は、ウソの記憶を本物だと想っていたわけですよね?」


 すると、これに答えようとしたのか、「《時間も空間もすべて、関係性の中で形作られる》」と、小張が言った。


「…………なんですって?」


「《時間は空間に作用し、空間は時間に作用する。》 《と同様に、物質やエネルギーも時間や空間に作用し、その逆も然り。》 《更に、我々の想念と云うものも、一種のエネルギーである以上、それらが物質に、引いては時間や空間に作用する。と、云うことも十分に考えられるだろう。》」


「小張さん……?」


「大学時代、物理の先生がこんなことを言ってました」


 と、陽射しが強まったせいだろうか、派手な模様の長い長いストールを解きながら小張が言った。


「ちょっと変わった人でしたけど、今回の件で何となく分かった気がします」


「はあ……」と、分かったような分からなかったような声で樫山が返した。「すみません。もう一度言って貰えます?」


     *


「そうそう。見ましたよ、映画」と、信号待ちをしながら小張が言った。


「映画?」


「見た。って言うか、見ていた。って言うか、見ていたことを想い出したって言うか」


「ベレー帽の人の?」


「そうそう。すっかり覚えていなかったってことも、想い出したんですよ」


「……よく分かりませんけど、分かるような気はします」


「わたし、漫画はカトリーヌ・ド・猪熊先生ばっかり読んでたんですけど……」


「え?!」


 と、樫山が小さな声を上げた。突然出た懐かしい名前に多少なりとも動揺したからであった。が、しかし、


『これも長い話になるしなあ……』


 と、口には出さないことにした。


「どうかされました?」と小張は訊いたが、


「いえ、別に」


 と、とぼけたふりで誤魔化すことにした。 まさか子供の頃からの知り合いとは言えないし、そのことは『スーパー・タイガース』のオーナーからも強く口止めされている。


     *


 信号が青に変わり、駅に向かう細い路地へと二人で入った。


「それで、どうでした?」と、樫山。


「え?」


「映画」


「そうですよ!映画!」と、興奮を隠せない様子の小張。


「楽しかったんですね?」


「楽しかったなんてもんじゃないですよ」子供のような顔で小張が言う。「楽しかった!!です」


「わたし、最近は全然見てなくて」


「なら、奥さまも連れて見に行った方が良いですよ」


「還暦前の夫婦が二人で?」


「絶対、感動しますから!」


「そうですか?」


「そうですよ!」と、小張。体ひとつでマネキンたちと対峙したのと同じ女性とは思えない。「一緒に行った同僚なんか泣いてましたからね」


「はは」


「漫画が面白いのは知っていたんですけど、映画はまた格別でしたね」


「そんなに?」


「そんなに!」


「小張さんが子供みたいだ」


「いやあ、やっぱり最高ですよ。ド (*検閲ガ入リマシタ)」


(おしまい……?)

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