第49話 川崎、生田、1969:その6

     *


「行ってきまあす。」


 と、ベレー帽の男性が、妻子に手を振りながら飛び出して行った。つい数時間前までの、陰々滅々・暗然気鬱・湿っぼいこと梅雨時の洗濯物の如し……と云った表情からは一転、すっきりと晴れ渡った今朝の生田のこの空のような顔をしている。


 時に西暦1969年11月14日。金曜日。08時55分。後の銀河の歴史を大きく変えるであろう偉業は、この日の朝に始まったのである。


     *


「どうです?」と、勝ち誇った顔で作者が言った。「これなら話が分かるでしょ?」


     *


「やっと終わったみたいね」


 と、赤毛の女性は一人ごちた。タイムボックスの中に他のメンバーの姿はない。


 彼女は、《音主》たちの入ったカプセルの方へと近づくと、その横に置いておいたフェイズシールド発生装置を取り上げ、ブーツの踵に戻した。


 ピロン。


 と、ソファの上のヘルメットが鳴った。博士からの映像通信だった。モニターに切り換える。映像データのやり取りも復活したようだ。


『수고하십니다. 에이전트P。』と、開口一番博士が言った。画面には博士の自慢のアバター (カワユイ三毛猫タイプ)が映っている。


『小張씨 & 다른멤버는?』と、博士が訊いた。『겨우 만날 수있다.생각했던에도 불구하고?』


「あの、博士」と、女性が答えた。「顔がアバターモードの上、《バベル》が機能していません」


     *

 

 コトコト。ポロン。


 コトコトコト。ポロンポロン。


 コトコ……、ポロ……。


 不意に、人形の動きが止まった。通勤通学のピークはとうに過ぎていて、彼のいる公園も、その周囲の通りにも人影はまばらにしかない。


「止まりましたね?」と、小張Aが言うと、


「仲間が消えたことに気付いたんじゃないでしょうか?」と、小張Dが答えた。彼女たちは今、人形に近付きすぎないよう、公園から少し離れた林の陰から彼を監視している。


「追い掛けなくても良いんですよね?」と、A。「歴史は元に戻るんですから」


「確かにそうなんですけど……」と、Dは何かを言い掛けたが、隣にいるAの首元の真っ赤な蝶ネクタイを見て、「そっか、土曜日からでしたね」と、言った。


「そうですよ」と、A。「秋月さんとこれから映画だって時に呼び出されたんですから」


「ああ、」と、呼び出した自分と呼び出された自分を想い出しながらDが言った。「でも、楽しみが残ってるってことで」


「どうでした?面白かったですか?」と、A。


 するとDは、「それは、」と、口元に人差し指を当てながら、「ネタバレ禁止です」と言った。


     *


 え?


 なに?


 なんですって?


「まだよく分からない」?


 ……何がですか?


「『後の銀河の歴史を大きく変えるであろう偉業』とはなにか?」?


 ……ええーーっ、そこ?


「説明していないじゃないか!」?


 でも、川崎市ですよ?


 1969年ですよ?


「それがなにか?」?


 ベレー帽の男性で、1969年の生田ですよ?


「分からないよ!」?


「もうちょっとキチンと説明しろ!」?


「読者フレンドリーじゃないのもいい加減にしろ!」?


 …………えーっと (滝汗)。

 で、でも、これ以上は色々と制約があって……。



「それをどうにかするのが物書きだろ?」?


「ここまで書いておいて何をいまさら」?


「時間を戻すなり話を宇宙に持って行くなり何でもいいから手だてを考えろ!」?


 …………えーっと (大滝汗)。


 じゃ、じゃあですね。


 あんまり直截的な書き方は出来ないので、ここで再び、例のお医者さまに出て来て頂きましょう。……え?


「例の医者とは誰だ?」?


「どこの医者の話だ?」?


「박사님 누구???」?


 ほら、あの、長寿命のお医者さまですよ。


     *


 さて。


 と云うことで。


 発展途上惑星・地球 (当時)が星間連合及び銀河に与えた大きな影響の一つ『ロボット種の地位及び権利の向上』についての補足である。


 が、ここでも三度、件のお医者さま (当時972才)のインタビュー記事を使用させて頂こうと思う。


 これなら、制約の範囲内であろうから。



《(…)え?「青と白のペインティングの意味」?


 困ったな。知らないのかい?


 背中の丸いベルの意味は?


 それも知らない?


 曲がりなりにもジャーナリストだろ、君は?


 え?


「ググっても出て来ない」?


 あのっ……まあいいか。


     *


(…)じゃあ、良いかい?


 繰り返しになるけれど、僕はこの900年間、宇宙のありとあらゆる場所で様々なロボット達を見て来たワケだが、僕ら一族も含めた生物種の連中は、放って置くと彼ら彼女らを労働用か戦闘用に特化させてしまうものらしい。


 しかし、例の (*検閲ガ入リマシタ)未開惑星である地球においては、特にその (*検閲ガ入リマシタ)なニホンと呼ばれる (*検閲ガ入リマシタ)な島国においては、どうも事情が違ったらしい。


 つまり、その島国のロボット設計者たちには明らかに、彼ら彼女らを 《人類の良き隣人・友人》として製作すると云う意思があったワケだ。


(…)で、そうして、例の『そんな簡単な方法で良かったのかタイムトラベル事件』を契機とした地球の連合加盟に合わせ、彼らの医療チームが考え出した統一の制服と云うか正式のペインティングが、『青と白のボディに黄色いベル』と云うものだったんだよ。


 うん?


 由来?


 そうそう。


 それで、その時、僕も彼らに訊いてみたんだよ。


「そのペインティングの意味するところは?」


 すると、彼らのひとりが答えた。


「《人類ノ良キ隣人・友人》デアロウトスル意思ノ現レデス」


「由来は?星の色かい?」


「イイエ、違イマス」


「じゃあ、歴史上の偉人とか?」


「人類デハアリマセンガ、似タヨウナモノデス」


 そこで彼らが見せてくれたのが『(*検閲ガ入リマシタ)ん』と云う漫画の本だったんだ。


 その本を読んで僕は、『なるほど』と思ったね。『地球人はこうやって、子供の頃からロボット差別をなくす教育をしているんだ』とね。


 その本があったからこそ、1万4千人の兵士を救う看護師ロボットや無血開城を成功させる専守防衛型ロボットが生まれたんだ。ってね。


 そう。


 その本の主人公こそが、青と白のボディに黄色いベルのロボットだったってワケさ。》


     *


「ひっどーい!」赤毛の女性が叫んだ。「博士だからって言って良いことと悪いことがありますよ?!」


 タイム通話を介した博士との会話はいつの間にかヒートアップしていたようだ。


「시끄러워!빨간 머리 앤!!」と、博士が言った。


「それは人種差別です!!」と、罵られた髪の毛の色以上に顔を真っ赤にしながら女性が怒鳴った。


「시말서는 몇 장 필요하세요?!」


「それは……私が悪かったですけど」


「이해했다면、小張 씨 데려 오세요!!」


「ですから、皆さん、現場に行っていてですね……」



 トントン!

 トントン!


 と、ここで突然、タイムボックスの扉を叩く音が聞こえた。


「小張 누나?!」と、博士。


「違うと思いますけど……」そう言いながら、女性は扉の方に近付いて行く。


 トントン!

 トントン!

 トントン!


 と、再び扉が叩かれた。いやに急いでいる風だ。


「はいはいはいはい」と、扉の音に合わすように女性もつい急ぎ足になる。そうして、


 カチャリ。


 と、女性が扉を開くと、


「す、すいません」と、ベレー帽の男性が息を切らせて立っていた。「こ、これは、電話ボックスですか?」


 バタン!!


 と、驚いて女性は扉を閉めた。


「뭔가 있었습니까?」


「れ、例の、ベレー帽の男性です」


「들켰나요?」


「バレてはいないと思いますが……」


「냉정하게 대처하십시오.」


「そ、そうですね」と、女性。「……少し静かにしておいて下さい」


 カチャリ。


 と、再び女性がタイムボックスの扉を、今度は少しだけ、開いた。


「はい?」扉の隙間から顔をのぞかせた格好で女性が訊く。「何か御用でしょうか?」


「じ、じつは、急いで仕事の電話を入れなければいけないのですが、」と、息を整えながら男性が再度訊ねる。「……これは、電話ボックスですか?」


「電話?」


「電話ボックスに見えるんですけど……」


「ああ、」と、扉に付いた小さな小箱を開けてから女性が言った。「このタイプは、ここに入っているんですよ」


「ありがとうございます!」と、ポケットから小銭を取り出しながら男性。「あれ?お金はどこに?」


「ああ、それは」と、小箱の外側に書かれた『FREE FOR USE OF PUBLIC』の文字を示しながら女性が言った。「無料なんです」


「へえー」と、感心した声の男性。


「イギリス式でして」


「へえー」


「あの……それよりもお電話は?」


「ああ!!そうだった!!」


 パタン。


 と、今度は静かに、女性がタイムボックスの扉を閉めるとモニター方から博士の声がした。


「남성은?」


「同僚の方と電話中です」


「식은 땀을 긁었다 네요」


「カメレオン機能が壊れてるんですよ」


「왜 전화 박스에 한합니까?」


「小張さんがそれが良いって」


「영국 전화 상자?」


「まあ、」と、今更ながら自分の馬鹿さ加減に気付きながら女性は言った。「普通はないですよね」


     *


「《そこで女の子は、カカシのペンキの顔にはキスはせず、代わりに柔らかいワラをつめた体を抱きしめてあげることにしました。》」


 そう言いながら小学生の女の子が一人、公園の方へと歩いて来た。


 《音主》と云うか、彼が操っている人形の方に近付こうと、公園に向かっていた小張A&Dだったが、その女の子の声に気付くと、再び林の方へと戻って行った。


「《そうして気がつくと、女の子自身も、愛すべき仲間たちとの悲しい別れを前に、涙を流しているのでした。》」


 女の子は、そこで喋るのをやめて、公園の隅に置いてある二つのブランコの左側に座った。


     *


 トントン。

 トントン。


 と、ここで再び、タイムボックスの扉を叩く音が聞こえた。


「小張 누나?!」と、博士。


「いや、ベレー帽の人でしょ?」そう言いながら女性は、再び扉をカチャリ。と開けて、その隙間から顔をのぞかせた。


 扉の外にはやはりベレー帽の男性が立っていて、女性の顔を確かめると彼は、「ありがとうございました」と、お辞儀をしつつ言った。「おかげで助かりました」


 それに対して女性は、「いいえ。」と微笑みながら返すと、「お役に立ててなによりです」と、言った。


「本当にお代はよろしいんですか?」


「ええ。公共の電話ですから」


「へえー、」と、感心したように女性とボックスを見廻してから男性が訊ねる。「……つかぬことをお伺いしますが」


「……はい?」


「これはイギリスの交番みたいなものですか?」


「まあ……そうですね」


「あちらでは、みんなこんな色なんですか?」


「赤もありますが……まあ、たまたま」


 まさか、自分のイメージの産物とは言えない。


「あなたは、イギリスの方?」


「……ええ、まあ」


「警察の方?」


「あー、いえ、でも、知り合いにはいますよ。警察の人が四……一人ほど」


「へえー」と、男性。この通勤途中に現れた少し不思議な物体から興味が離れないようだ。「日本語もお上手ですよね?」


「あの、」と、少し困った感じで女性が言った。「……お仕事よろしいんですか?」


 そう言われて男性は、「ああ!そうだ!!」と、現実に引き戻された顔になると、踵を返して駅の方へと走り出した。


 そうして、しばらくすると後ろの方から、


 ギギギギギギギギギーーーーー。


 と云う奇妙な音が聞こえたので驚いて振り向くと、そこにあったハズの電話ボックスが、その中にいた女性ごと消えてなくなっていた。


『でも、確かに……』と、一瞬男性は思ったが、直後、駅の方から聞こえて来た踏切の音に我に返ると、再び踵を返し、駅の方へと向かって行った。


『青い電話ボックスね……』と、思いながら。


     *


 キイ。

 キイ。


 と、手に持っていた小さな花束を落とさないよう注意しながら女の子はブランコを漕ごうとしていたが、どうしても上手く漕ぐことが出来ず、最後には漕ぐのを止め、ブランコの上でうずくまってしまった。


「《……別れがつらいわ。カカシさん。》」


 小張たちの方からハッキリとは見えなかったが、どうも彼女は泣いているようだった。


「どうします?」と、Aが訊いて来たので、Dは、「一応……声だけ掛けますか」と、言った。


 それから、二人が再び公園の方に近付こうとすると、その公園の隅で佇んでいたおきあがりこぼし人形が、


 コトコトコト。ポロン。ポロン。

 コトコトコト。ポロン。ポロン。


 と、女の子の方に向かって歩き出した。


 その人形の歩く音に、女の子は顔を上げると、彼の方を見て微笑んだ。


「さかえー!!」と、坂の下から女の子を呼ぶ女の人の声がした。


     *


 ギギギギギギギギギーーーーー。


 と云う奇妙な音が、小張A&Dのいる林の中で響いたと思った瞬間、彼女たち二人はタイムボックスの中にいた。


「そろそろ、戻りますね」と、赤毛の女性が言った。


 他のメンバー達は既にタイムボックスの中に戻っていた。


「『さかえ』って呼ばれてましたよね?」と、小張DがAに訊いた。


「はい?」と、意味も分からないままにAが答えた。「たしか、そう言ってたと思いますけど?」


「なら、これで分かりました」そう言って、小張千春は満足げに微笑んだ。

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