第48話 川崎、生田、1969:その5

     *


「行ってきまあす。」と、ベレー帽の男性が、妻子に手を振りながら飛び出して行った。つい数時間前までの、陰々滅々・暗然気鬱・湿っぼいこと梅雨時の洗濯物の如し……と云った表情からは一転、すっきりと晴れ渡った今朝の生田のこの空のような顔をしている。


 時に西暦1969年11月14日。金曜日。08時55分。後の銀河の歴史を大きく変えるであろう偉業は、この日の朝に始まったのである。


     *


「やっと終わったみたいね」と、赤毛の女性は一人ごちた。タイムボックスの中に他のメンバーの姿はない。


 彼女は、《音主》たちの入ったカプセルの方へと近づくと、その横に置いておいたフェイズシールド発生装置を取り上げ、ブーツの踵に戻した。


 ピロン。


 と、ソファの上のヘルメットが鳴った。博士からの映像通信だった。モニターに切り換える。映像データのやり取りも復活したようだ。


『수고하십니다. 에이전트P』と、開口一番博士が言った。画面には博士の……


     *


 え?


 なに?


 なんですって?


「いきなり過ぎて話が見えない」?


 ……ああ、そう言われてみれば……確かに。若干?唐突過ぎたかも知れませんね。


「若干なんてものじゃない!」?


 ……でも、大体分かりません?


「分かるか、バカ!」?


「もうちょっとキチンと説明しろ」?


「読者フレンドリーじゃないのもいい加減にしろ!!」?


 …………えーっと (汗)。


 じゃ、じゃあ……そうですねえ。


 それでは、小張Bが庭先で 《音主》の音波を拾ったところまで戻ってみましょうか?それならキチンとした説明が出来ると思いますんで……。え?


「読んでみないと分からない」?


「いいからさっさと時間を戻せ!」?


「お前だけが分かっていれば良いってもんでもないだろ!!」?


 …………確かに (大汗)。


 えーっと。


 そ、それでは。時間はこれより4~5時間ほど前に戻りまして、1969年11月14日。金曜日。04時11分。


 場所は、川崎市生田。ベレー帽の男性の自宅庭先まで戻らせていただこうと思いますが……これで如何でしょうか?


     *


「しっ」と、人差し指を口元に当てながら小張Bが言った。目は、スマートフォンの代わりに持たされたPPIスコープの方を見詰めている。「《音主》の音波です」


「数ハ?」と、Mr.Bが訊くと、若干拍子抜けした様子で小張Bが、


「一つ……だけですね」と、答えた。


 顔を見合わせる一同。


「じゃあ、」と、小張Dが言うと、


「博士の読み通り?」と、小張Aが続け、


「……みたいですね」と、小張Bが答えた。


「アーア、」博士の自慢気な顔を想い出したのだろう、『心底煩ワシイ』と云う顔をしたMr.Bが「仕事ダケハ出来ルンダ、アイツ」と言った。


     *


 コトコトコト。ポロン。


 コトコトコト。ポロンポロン。


 と、何かが家の中を歩いて来る音がした。家の者の気配はしない。二階仕事部屋の男性はもちろん、一階寝室の奥さまも、その娘さんも赤ちゃんも、みんなまだ夢の中であった。


     *


「それじゃあ、」と、床の上に置いてあった紙袋――例の区役所通りの模型店の名前が入った紙袋――を持ち上げながら小張Cが言った。「私もそろそろ行きますね」


 が、呼び掛けたつもりの女性からの返事はなかった。


 そこで小張Cは、少し声を大きくして、先ほどの言葉を繰り返した。「それじゃあ、私も、そろそろ、現地に行きますね」


 そう再び呼び掛けられた、赤毛の女性は、やっと気付いたのだろうか、見るともなしに凝視していたモニターから目を離すと、小張Cの方を振り向き、


「え?ああ、そうですね」と、言った。目線は、小張Cではなく、彼女の持つ紙袋の方に注がれているようだった。


「よろしくお願いします」と、彼女は言うと、少し考えてから、タイムボックスの隅で押し黙っている男性に声を掛けた。「おじさま?」


 先ほどの 《音主》との対話がよほど心に堪えたのだろうか、声を掛けられた男性の方も、明け方近い生田の町を映し出す巨大なモニターを見るともなしに凝視しており、自分に向けられた言葉に気付いていない様子だった。


「おじさま!」と、再び赤毛の女性が言った。


 そこで男性は、やっと我に帰ったのか、モニターから目を離して、彼女の方を向いた。「え?っと?呼びました?」


「小張さんと一緒に行って貰えますか?」と、女性。


「一緒にって?現地に?」


「ええ。まだ1~2時間余裕はあると思いますが、道に迷われても困りますし」


「でも、」と、男性は言いながら、部屋の反対隅に置かれている 《音主》たちの入ったカプセルを見た。「一人で大丈夫ですか?」


 この男性からの問い掛けに、女性は一瞬返事を躊躇ったが、それでも、二コリ。と微笑むと、二人に対して、「もちろん、」と言った。「タイムパトロールですから」


     *


 ガチャリ。


 と、玄関の扉の開く音がして、中から一体の人形が現れた。


 濃いピンク色をした丸い体に首には薄いピンクのリボンを巻いて、少し歩くたびにポロンポロン。と、可愛らしい音を立てている。


「あれが?」と、小張Aが言うと、


「銀河の命運を握る?」と、小張Bが続け、


「運命のおきあがりこぼし?」と、小張Dが言った。


「マア、」と、悟り切った表情でMr.Bが答えた。「歴史ナンテ、大体コンナモンサ」


     *


 それからしばらくして、生田の配水池の辺りで小さな 《裂け目》が出来た。


 何故、ベレー帽の男性宅ではなく、こんな離れた場所に 《裂け目》が出来たのかは分からない。


 分からない。が、ひょっとすると、こう云うことこそ 《神の御業か悪魔の所業か》と呼ばれる現象なのかも知れない。


 何故なら、ここに 《裂け目》が出来たおかげで、この配水池に身を潜めていた 《音主》三体と彼女らの操るマネキン三体が2019年の桜台に飛ばされることになったからである。


 そう。


《運命のおきあがりこぼし》と、それを操る 《音主》一体を、この地・この時代に残したまま。


     *


「おつかれさまです」と、塀の向こう側で小張C (コンバース)が言い、


「早かったんですね」と、塀のこちら側で小張B (クラパット)が言った。


「おじさまに付いて来ていただいたので」と、小張C。「道に迷うことなくこれました」


「人形ハ?」と、Mr.Bが訊いた。「ソレト、かめれおんしーとモ」


「はい。」と、男性が塀越しに人形の入った紙袋をMr.Bに渡した。「そう言えば、もう二人の小張さんは?」


 そう言われて見れば、塀の向こうに小張A (蝶ネクタイ)と小張D (黒パーカー)の姿がない。


「アイツラナラ、」と紙袋の中身を確かめながらMr.Bが言った。「人形ヲ追ッテ行ッタヨ」


「放っておいても良いんですよね?」と、塀の向こう側から男性が訊いた。「フレックスタイムがどうとかで」


「僕モソウ言ッタンダケド、」と、カメレオンシートの影響で体が半分見えなくなったMr.Bが答えた。「モトノ時代ノ事件ニ関係ガ有リソウナンダト」


     *


 トトトト、トトトト、トットー。


 と、タイムボックスのエンジン音が静かに響いていた。


「オ前ハ行カナイノカ?」と、リーダー格の 《音主》が訊いた。


「タイムフラックスが働かないよう注意しているから、」と、赤毛の女性が答える。「ここにいる貴女たちが消えることはないでしょ?」


「ダカラ見張リ役ト云ウ訳カ?」と、続けて 《音主》が訊いた。


 だが、女性はこの問いには答えず、代わりに、ブーツの踵から、スマートフォン大の銀色の箱のような物を取り出した。


「……ソレハ?」


 すると女性は、この問いには躊躇いもせず、


「これは、フェイズシールド発生装置」


 と、答えた。


「そにっく技術ノ一ツカ?」


「本来は爆発等から身を護るために使用するんですけどね」と、女性。「安全装置を外したので、別の使い方も出来るそうです」


「……何ノ話ダ?」


「タイムフラックスが働かないよう注意しているから、ここにいる貴女たちが消えることはないハズでしょう?」


「……貴様ハ、たいむぱとろーるデハナイノカ?」


 再び女性は、《音主》からの問いには答えず、代わりに、手に持っていたその装置を 《音主》たちのカプセルの横に置いた。


 そうして、その手前の小さなソファに腰を下ろすと、


「念のためよ」


 と、静かに、脅すように言った。


「でも、今、私が、本部と引き離されているのも、事実よね」


     *


「ママー」と言いながら、女の子が台所に入って来た。「ポロンちゃん知らない?」


 母親は朝食の準備をしながら、


「知らないわよ」と、答えた。「昨夜はどこに置いたの?」


「寝るときはいっしょだったの」と、女の子。


「だったら、お布団のお部屋にあるはずでしょ?」


「ううん」


「なら、別のお部屋に置いたんじゃない?」


「ううん。ゆうべもいっしょに寝たもの」


「でも、それなら、お布団のお部屋にあるはずでしょ?」と、テーブルにお皿を並べながら母親は言う。「お人形さんは勝手に出歩いたりしないんだから」


「……でも、」と、女の子が何か言おうとした時、二階の仕事部屋からベレー帽の男性の叫び声がした。


 その叫び声は、近所の方々が警察に通報してもおかしくないレベルのものだったが、先般お見せしたとおり、この家の夫人は相当にタフな精神の持ち主である。


「あら、お父さんも起きたみたいね」と、平然と言ってのけると、「丁度良いから、一緒に探してもらいなさい」と、女の子に父親の方へ行くよう促した。


 こちらは朝食の準備がまだ終わっていないのである。


     *


 ドダドダドダ。


 と、二階からベレー帽の男性が駆け降りて来る。まるでこの世の終わりのような表情だ。


 すると、彼の走り込む先、つい先ほどまでは何もなかった (ように見えた)空間に、一体の、ピンク色をした、おきあがりこぼし人形が現れた。


『え?』


 と、一瞬男性は思ったが、時すでに遅く、彼は、思い切りその人形にけつまづいてしまった。


 ドッタン。と、男性のすっころぶ音がし、


 ポロン。と、人形の起き上がる音がした。


 そうして、丁度この様子を見ていた女の子は、(父親ではなく)人形の方へ急いで駆け寄ると、彼女を抱き上げてから、


「パパ!」と、言った。「ポロンちゃんをけとばしちゃだめ。」


「あのー」と、この一部始終を横で見ていた小張Cが訊いた。「これで良いんですよね?」


 彼女の姿は、カメレオンシートの陰に隠れてまったく見えない。


「ラシイナ」と、同じくカメレオンシートで姿を消したままのMr.Bが答えた。


 彼らの目の前では、ポロンポロンと音を出す人形を前に、ベレー帽の男性が、中空を見詰め何かを想い付こうとしていた。


「これだけ?」と、小張C。


「マアナ、」と、Mr.B。「歴史ガ本当ニ動ク時ッテノハ、大体コンナモンダヨ」

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