第46話 川崎、生田、1969:その3

     *


 1969年11月13日。木曜日。22時55分。川崎市多摩区生田。


 ピンポーン。


 と、夜も更け掛けた住宅街に呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。


 先ほど小張たち『チーム石神井』のメンバーを乗せたタイムボックスが着陸した地点から、更に北へ500mほど行った先の一軒家。


 その家の玄関先に冬物のコートにベレー帽姿の男性がひとり、浮かない顔で玄関の扉が開くのをじっと待っている。


「お帰りなさい。」


 と、玄関の扉が開き、その家の夫人が、仕事から帰宅したばかりのご主人を迎え入れた。


 しかし主人の方は、さきほどからの浮かない――と云うか『アイディアがひとつも浮かばない』と云う顔をずっと崩さないまま、ただ「ただいま」とだけ言った。そうして、コートも帽子も脱がないままに一階の寝室へ入ると、二人の娘の寝顔を見るともなしに見た後、コートを夫人に預け、二階の仕事部屋へと上がって行った。


「おしごと?」と、夫人が訊いた。


「うん。」と、主人は答えた。


     *


「あの人が?」と、小張Aが言うと、


「宇宙の歴史に関わる大人物?」と、小張Bも言い、


「タダノ貧相ナ顔シタオッサンニシカ見エナイゾ?」と、Mr.Bが正直な感想を述べた。


 タイムボックスの壁に埋め込まれた大型ディスプレイには、その仕事部屋に入る『貧相な顔したおっさん』の姿が映し出されていた。


     *


 ちなみに。


 これもまったくの余談ではあるが、いま彼らが見ている映像は、セメトロン粒子を利用したpdr回転機を用いて光の屈折率を変化させると云うタイムパトロール独自の技術を応用した時空間出力機のもので、このタイムボックスに搭載されている旧式普及型タイプでも、10km圏内のありとあらゆる場所を覗き見ることの出来る優れものだったりする。


 が、それよりも何よりも驚くべきことは、この壁に埋め込まれたディスプレイの方で、このディスプレイこそ、実は、2006年のCESでM社が発表した、まさにそこに持ち込まれた103型プラズマディスプレイそのものだったりするのである。


 ……のであるが、その意味と価値が分かる人間はこの場にはいないし、『電気代ばかり掛かるのよね』ぐらいにしか思っていない赤毛の女性に至ってはボーナスが入り次第廃棄して2030年型の立体ディスプレイに交換したい……と考えていたし、今回の事件が解決した暁には、実際、この願いは叶うのである。


 閑話休題。


     *


 さて。


 そんなディスプレイ越しとは言え、未来からの訪問者たちに監視されているとは露とも思っていない『貧相な顔したおっさん』は、仕事部屋の扉を閉めると、


 真っ直ぐに作業机の方へと向かい、


 愛用のパイプを咥えると、


 明窓浄机、


 沈思黙考、


 千思万考、


 悟りを開こうとするブッダのような、


 神に祈らんとすることイエスのような、


 そんな表情をしたまま、


 微動だにせず、


 しかし、その脳細胞は、


 フル回転させようとすること、


 かの名探偵ポアロの如しと言った感じで、


 ……10分。


 …………30分。


 ………………1時間。


 ……………………2時間。


     *


 1969年11月14日。金曜日。1時40分。


「オイ、」と、Mr.Bが言った。「寝タンジャナイカ?」


「しっ」と、赤毛の女性。「いつ 《音主》が来るか分からないのよ」


     *


 さて。


 と、それから更に30分。


 仕事部屋に動きがあった。


 ……と言っても、『貧相な顔したおっさん』――この言い方もアレなので、今後は『ベレー帽の男性』で統一するが――が、イスごとクルクルと回り出しただけのことだったのだが。


     *


 同年同月同日。同曜日。2時10分。 


「そちらに動きは?」と、小張愛用ウォーキートーキーに向かって赤毛の女性が訊いた。


「こちらも、」と、ベレー帽の男性宅の庭先で身を潜めつつ小張Aが答えた。「動きありません」


 彼女の横には、集音マイクを持った小張Bが座っている。博士の読みが正しければ、これから明け方までのどこかで 《音主》の音波が聞こえて来るはずなのだ。


     *


「しかし、」と、仕事部屋でベレー帽の男性がクスクスと思い出し笑いをした。「『わかりません』というのは乱暴な返事だった。」


     *


 同年同月同日。同曜日。2時45分。


「ナア、」と、『心底ヒマだ』と云う意味を込めてMr.Bが言った。「僕、モウ、飽キタヨ」


「飽きたってなによ?」と、赤毛の女性。「監視も仕事のうちよ」


「セメテ、外ニ出チャだめカ?」と、体を右左に引き延ばしたり縮めたりしながら彼は言う。「コノママダト気ガクルイソウダ」


「もう……」そう言うと女性は、Mr.Bと同じように暇を持て余しているであろう小張Dに、「一緒に行って貰えますか?」と、声を掛けた。


 彼女がバランスボールの上で間違ったヨガの真似を始めていたからである。


     *


 にゃーん。


 と、一匹のノラネコが鳴いた。


 彼は、この辺のノラネコの中でも一目置かれる存在の一匹オオカミで (ネコだけど)、毎夜の巡回に出たばかりであった。


 が、いつもの男性宅の塀の上からいつもの男性宅の庭の庭先を眺めると、いつもとは違う珍妙な格好の女が一人、いつもとは違う珍妙な格好の女と一緒に、そのいつもの庭先でうずくまっている。


『こんな夜中に怪しい奴らだ』


 と、彼は思ったが、それと同時に、


『疑わしきは罰せずが刑事訴訟法の基本である』


 と、どこぞの法治国家では行政のトップですら忘れ掛けているであろう大変大切なことを思い出し、


『先ずは、こいつらが妙な動きをしないか監視するところから始めよう』


 と、塀の上で、


 ふにゃーん。


 と、うずくまることにした。


 もちろん、彼の監視の対象は小張A&Bである。


     *


「オートマータ戦争?」と、小張Cが言った。


「正確ニハ、第二次ダガナ」と、リーダー格の 《音主》が言った。


 いま現在、捕まえられた三名の 《音主》は、それぞれが小型の四次元式カプセルの中に閉じ込められた状態で、タイムボックス隅の、食器がひとつも置かれていない食器棚の中に置かれていた。


「ろぼっと種ノヒトツデアル『オートマータ』族ガ同盟ヲ組ミ、」と、吐き捨てるように彼女は言った。「我々星間連合ニ反旗ヲ翻シタノダ」


「戦争の原因は?」と、小張C。


「原因ナドナイ」と、音主。「敢エテ言ウナラ、奴ラガ身ノホドヲ弁エナクナッタノガ原因ダ」


「身のほど?」


「ソノ通リダ」と、少し語気を強めて彼女は続けた。「ソモソモ奴ラろぼっと種ハ、我々生物種ニ奉仕スル為ニ創造サレタ。ニモ関ラズ、ソノ身ノホドヲ忘レ、特二コノ数百年ト云ウモノハ、ヤタラト権利ダトカ名誉ダトカヲ叫ブヨウニナッテイタノダ。……ソウシテ。ソノ挙句ガ2度ニ渡ルコノ戦争ダ」


     *


 同年同月同日。同曜日。2時10分。


「もしもし、こちら小張です」と、真夜中の川崎市内を歩きながら小張Dが言った。右手には非常時用の小型LEDライトを持ち、左手には三台目のウォーキートーキーを持っている。


『もしもし?』と、そのウォーキートーキーに小張Aから返事が入った。『こちらも小張です』少し笑っている。


「これから、散歩がてらMr.Bと一緒にそちらに向かいます。どーぞー」と、D。こちらも心なしか声が弾んでいる。


『分かりました。お気をつけ……きゃあ』と、ウォーキートーキーの向こうで小張Aが小さく叫んだ。


「え?大丈夫ですか?どーぞー?」


     *


「ちょ、ちょっと、やめて下さいよ!」


 と、小張Aが、ノラネコ (白ぶち)を払い除けながら言った。これに対して、


「ふぎゃす! (訳:不可思議な機械を操りおって!)」


 と、ノラネコが (猫語で)言った。


「なんなんですか!いきなり!!」


 と、A。


「ふがー! (訳:やはりお前らは怪しい奴らだ!)」


 と、ノラネコ (白ぶち)。


「私、こう見えても警察官なんですよ?!」


「ふぎゃあご! (訳:そんな珍妙な恰好の警察官がいるか!)」


「きゃあ!変なところ触らないで下さい!」


「ふんにゃあご?! (訳:むむ?!メスと見せ掛けてオスなのか?!)」


「ひっどーい!人がいちばん気にしていることを!」


 と、何故、小張Aに猫語が通じたのかはともかく、よほど頭に来たのだろう、闇雲に振り回した彼女の左手がノラネコ (白ぶち)の横っ腹を見事にヒットした。


「フギャーッ (訳:ふぎゃーっ)」


 と、大きな叫び声を上げる白ぶち。


「二人とも、静かに」と、小張Bが口に人差し指を当てながら一人と一匹に言う。


「だって、この猫、」と、Aが言い掛けたところで、


 ガラガラガラ。


 と、二階仕事部屋の窓が開き、ベレー帽の男性が顔を覗かせた。


「隠れて!」と、一人と一匹を地面に伏させながらB。すると、


 シーン。


 と、辺りが一気に静まり返った。


 ベレー帽の男性はきょろきょろと辺りを見回して、不審な者がいないか探しているようだった。


「困りましたね」と、小声でAが言う。


「仕方ないですね……」と、こちらも小声でBが言うと、彼女は居住まいを正してから、


「フニャーゴ! (訳:あなたは五月のバラのように美しい)」


 と、見事な猫の鳴き真似を披露してみせた。


 すると、このモノマネにすっかり騙されたのだろうか、ベレー帽の男性は、


「なんだ、ネコのけんかか」


 と言うと、ガラガラ。と窓を閉め。仕事へと (仕事へと?)戻って行った。


 仕事部屋の窓が閉まるのを確認してから、小張AがBに、


「上手いもんですね」


 と、言った。


 それに対してBは、


「知ってるでしょ?」と、少し自慢気に答えた。「司馬さんに鍛えられたんですよ」

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