第42話 決戦:その4

     *


 池のほとりに男の子がひとり。幼稚園の年中さんぐらいだろうか、足元にある小石を拾っては池に向かって投げている。


 小石を拾う。

 池に向かって投げる。

 ぽちゃん。

 小石が池に落ちる。

 波紋が起こる。


 また、小石を拾う。

 また、池に向かって投げる。

 また、ぽちゃん。

 また、波紋が起こる。


 またまた、小石を拾う。

 またまた、池に向かって投げる。

 またまた、ぽちゃん。

 またまた、波紋が起こる。


 拾う。

 投げる。

 ぽちゃん。

 波紋。


 拾う。

 投げる。

 ぽちゃん。

 波紋。


 池に様々な大きさの波紋が出来る。波紋と波紋が重なり合い、その動きが一致しているところでは波紋は大きく強くなり、逆の動きをしているところでは互いが互いを打ち消し合っている。


 これが 《波の干渉》。


 男の子が石を投げ込めば投げ込むほど様々な大きさの波紋が出来、干渉のパターンも増えて行く。なかなか興味深い光景が石神井池のほとりに出来上がる。


 が、もちろん、男の子の興味はそんなところにはこれっぽっちもなく、彼はずっと不機嫌な顔で『何故、石は、水の上を跳ねて行かないのだろう?』と思っていた。


「イヤダ!やつ等トハ戦ワナイ!」と、ぼよぼよと云うかぶよぶよと云うかぷよぷよと云った声が聞こえた。


 男の子が後ろを振り向くと、ケヤキ林の向こうから黄色と云うか緑と云うかピンクと云うかクラゲのオバケみたいな格好の何かが、ビューッと云うかヒョーッと云うかギョギョーッと云った感じで、こちらの方に文字通り飛んで来ているのが見えた。


 またその後ろには、まるで大学に通う時のロス・ゲラーのような格好をした女性が、こちらはゼェゼェと云うかフゥフゥと云うかハァハァと云った声で、そのクラゲオバケみたいな格好の何かを追い掛けていた。


「だーかーらー、ハァハァ、作戦が、ヘェヘェ、あるんですよーー」


 なかなかに興味深い光景ではあるが、周囲に他に人はおらず、男の子の興味は水切りにしかないのであって、男の子は再び小石を拾い上げると、池の方に向き直り、その拾った小石を池に投げ込んだ。


 ぽちゃん。


 と、波紋が起こり、直後、「うそ?!」と云う女性の声とともに、


 ボチャン。


 と、ひときわ大きな波紋が起こった。Mr.Bにつかまったまま小張千春 (A)が石神井池に飛び込んだのである。


     *


 さて。


 例えば車で道路を走っていると、ふと道路脇に新しく出来た壁を見掛けてこんなことを考える人がいるかも知れない。


『昔に比べて低くなったよなあ』


 と。


 実は、これは実際に低くなっているわけなのだが、それだけ道路や工場からの騒音が少なくなったのだろうか?


 もちろん、それもあるかも知れないが、壁自体の進化と云うものもある。


 例えば、一番安価でポピュラーなのは音響管式の壁であろう。


 先述の男の子が示してくれたとおり、逆の動きをしている波同士は互いが互いを打ち消し合うように働く。音も波であるから、この理屈が使える。


 仮に、ここで壁に1/4波長の長さの音響管を設けたとする。すると、そこに入った騒音は、管の中を反射して戻って来るころには元の騒音と1/2波長ずれたものになり、新しく入って来る騒音と互いが互いを打ち消し合い、壁表面の音圧を最小にすることが出来る。


 もちろん、実際には、道路や工場からの騒音は低周波から高周波までの広い範囲の音が入り混じったものであるから、壁には複数の音響管を配する必要があるし、どうしても抜け漏れてしまう音もある。


 が、それでも、大昔のくそ高い壁に比べれば施行も容易で美観も損なわず、そしてなにより費用を大幅に下げられるわけである。


     *


「と云うことで、是非とも弊社の遮音壁をお選び頂ければと存じます」


 と言った某社営業マンのセリフが小張Aの頭に残っていたかどうかは不明だが、取り敢えず、Mr.B向けの《波の干渉》レクチャーはこんな風に終わったようだ。


「デ?」と、ずぶ濡れになった体を犬のようにブルブル振りながらMr.Bが言った。「ソレデドウヤッテまねきんドモヲ倒スンダヨ」


     *


 2019年4月10日。水曜日。15時55分。石神井公園テニスコート。周囲に人影はなく、コートの真ん中にはヨレヨレの春物コートを着た男性とタイムベルトを腰に巻いた小張Dが立っていた。


「来ませんね」と、男性が小声で言うと、


「様子をうかがっているのかも知れませんね」と、こちらも小声で小張Dが言った。


 その直後、更衣棟の辺りから、キシッキシッと、イヤな感じを起こさせる数体の足音が聞こえた。


「来たみたいですね」と、小張D。


 彼女は、白いTシャツに黒いパーカーを着て、「デヴィッド・ボウイっぽいね」と秋月に言われた黒のコートを羽織っている。


 腰にはタイムベルト、左手には赤毛の女性から借り出した白い杖のようなものを持っていたが、ベルトにしろ杖にしろ、その本来の使い方をするつもりは小張Dにはなかったし、その必要もなかった。


     *


「シールドの張り方は、タイムベルトの技術を応用させて頂きました」と、ずぶ濡れのジャケットを絞りながら小張Aが言った。


「しーるど?」と、ジャケット絞りを手伝うべきか悩みながらMr.Bが訊いた。「重力しーるどノコトカ?」


「いえ、」と、まったく絞り切れていないジャケットを野外ステージ近くの木の枝に掛けてから小張Aが答える。「問題は強さじゃないんで」


     *


 第二駐車場側の扉が開き、先ずは首の長い女性型マネキンが一体、その後ろに続いて男性型のマネキンが二体、テニスコートに入って来た。


 キィィ。


 と、金属製の扉が閉まるイヤな音が周囲に響き渡る。マネキンたちは、タイムボルテックスの痕跡を多く残す男性と、タイムベルトを付けた小張Dを確認すると、ゆっくりと二人の方へと近付いて来た。


「ちょっと、」と、小張Dは、白い杖を左手に持ったまま両手を前に上げた。腰を少しかがめ、《ストップ》の形を取ると「それ以上は近付かないで下さい」と言った。


 マネキンたちは一瞬ためらったようだったが、また直ぐに歩き出すと、右手を二人の方に向けた。


 桜台で撃たれた記憶が小張Dにも蘇えり掛けたが、それでも彼女は 《ストップ》の形は止めず、「今なら、話し合いでどうにか出来るかも知れません」と言った。


     *


「それから、」と、これまたずぶ濡れのブーツを脱ぎながら小張Aが訊いた。「なんて言いましたっけ?あの光学迷彩の布」


「かめれおんしーとカ?」と、Mr.B。


「そう。そのカメレオンシート」と、小張A。ブーツの中を覗いて見ると小さなカニが出て来た。「あれのパーツが入出力にピッタリだったんです」


     *


 ピシュン。


 と、小さな音がして、一発のFRP弾が小張Dの左耳をかすめて行った。撃ったのは首の長い女性型だ。


「いいですか?」と、それには動じず小張Dが続けた。


「ここは、私の管轄です。我々警察官は 《個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもって》その責務としています」


『?』と云うマークがマネキンたちの頭の上に浮かんだ気がしたが、そもそも彼らに人間の言葉は分からないし (マネキンだから)、遠くでこの話を聞いている 《音主》たちにも意味不明の文言であろう (宇宙人だから)。


 が、しかし、


「更に、」


 と、そんな彼らの事情なんかは知ったこっちゃないとでも言いたげに彼女は続ける。


「我々警察組織の活動は 《厳格に、この前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない》のです」


     *


「でも問題は時間なんですよ」と、シャツの裾を絞りながら小張Aが言う。「それでマネキンを止められたとしても、本体を見付けられないと同じことの繰り返しになっちゃいますから」


     *


「その上で私は、」


 と、引き続き演説と云うか警察法の読み上げを続ける小張D。


「《警視総監、警察本部長、方面本部長又は市警察部長の指揮監督を受け、その管轄区域内における警察の事務を処理し、所属の警察職員を指揮監督する》を、しなくてはならないワケですが、その行動においては――」


 ピロン。


 と、ここで男性のスマートフォンが鳴った。

 

 と、同時に、小張Dは演説と云うか警察法の読み上げを止め、マネキンたちは更に大きな『?』マークを頭の上に浮かべることになった。


 男性は、小張Dにもマネキンたちにも恐縮した様子でスマートフォンを取り出すと、「ちょっとすみません」と言いつつメールをチェックした後、その画面を小張Dの方に向けた。


 メールの差出人は小張千春本人で、そこには短く『見付けました』とだけ書かれていた。


     *


「ジャア、別働隊ガ本体ヲ見付ケテカラ、まねきんヲ止メルンダナ?」と、Mr.B。


「ええ。位相転換にはあの白い杖の機能を応用させて頂きます」と、小張A。


 ちなみに、これはまったくの余談だが、小張Aはここで、水を絞るためにシャツを脱ぐことを提案していた。


 それに対しこのお話の作者は、『それではサービスシーンみたいになってしまう』と、強硬に反対した。


 そこで、互いに紳士的と云うか淑女的に話し合った結果『ここで急に陽射しが真夏並みに強くなったことにしましょう』との妥協案が提出され、双方相譲る形で、その案に落ち着くことになった。


 であるからして、『せめてそれぐらいは……』と、サービスシーンを期待される向きの読者もおられるかとは思うのだが、まあ、こう云うこともお話作りには起きるってことでもろもろご承知置き頂きたい。


 はい。余談終了!


     *

「いいですか?」



 と、《ストップ》の形を崩さないまま小張Dが言った。

「石神井町その他練馬区の西部と西東京市東町の一部は私の管轄です。もし未だここにいて、ここの人たちを少しでも傷付ける可能性があるのならば、相応の処置を取らせて頂くことになります」


『桜台は違うんですか?』


 と、男性は一瞬思ったが、小張さんも大分盛り上がって来ているようだし、考えてみれば免許証の更新の時は練馬警察署に行ったよなあ……的なことを思い出し、結局黙っておくことにした。


 ピシュン。


 と、再び小さな音がして、一発のFRP弾が、今度は小張Dの右頬をかすめて行った。撃ったのはやはり首の長い女性型だった。


「お話は、よく分かりました」


 と、小張Dが言った。


 と同時に、カチリ。とタイムコントローラーの位相転換スイッチの入る音がした。


 と同時に、テニスコートにいたマネキンたちは一斉に動くのを止めた。


     *


「つまり、」と、小張Aが続けた。「安全装置を外したタイムベルトでテニスコートの周囲にシールドを発生させ、そこを宇宙人たちのマネキン操作音波が通るようにします。と同時に、カメレオンシートの入出力機能とタイムコントローラーの位相転換機能を利用して逆波形にした操作音波を出して、新しい操作音波と相殺させてしまうんです」


     *


「止まりましたよね?」


 と、小張Dは恐る恐ると云った感じでマネキンたちに近付くと、彼らが完全に沈黙したのを確認してから、改めてポーズを決めて、


「私が、小張千春です」と、言った。

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