第41話 決戦:その3
*
もう初夏と言っても差支えのないような日差しを浴びて、ケヤキの木たちが黄緑色の花を存分に咲かせていた。2019年4月10日。水曜日。14時55分。石神井公園。けやき広場。
彼らケヤキの木たちはその花や実をとても高い場所に咲かせるため、あのバカみたいな人間たちがそれを見ることはかなり稀なことである。
『もちろん、わざわざここまで登って来たり、逆に空から落ちて来たりする更なるバカがいた場合は別だけどな』
と、けやき広場でもひと際背の高いケヤキの木――通称ボブは、この後自身に (文字通り)降り掛かるであろう災難のことなど思いも付かない様子で隣のカワイコちゃん (ケヤキ)に言った。
その直後。
ブブッブブブ。
と、ボブの頭の上で奇妙な音がした。
『いったい何の音だ?』と、不審に思ったボブが空を見上げると、真っ黒な空間が徐々に姿を現わそうとしているところだった。
『なんだ?これは?』と、彼が思う間のなく今度は、
グウウウオオン。
と云う気持ちの悪い音が辺り一面に拡がり、その真っ黒な空間のの中から珍妙な恰好をした人間の女がふたり姿を現した。
『こいつは?』と、その人間の顔をよく見てみると、いつも公園のあっちやこっちでドタバタガチャガチャしている女のように見えたので、ボブはとてもイヤーな気分になった。
「あれ?」と、女のひとりが言った。「テニスコートじゃないですね?」
すると、もうひとりの女が「と言うか、私たち浮いてません?」と、相手の肩に置いた手の力を強めながら言った。
ボブは、『ああ、ちくしょう』と、思った。『だから人間はキライなんだ』
「きゃああああ」
タイムベルトが形成するフォースフィールドの影響でしばらくの間は地球よりも時空間側に引き寄せられていた小張A&Bだったが、そのフォースフィールドが弱まりある一点を越えた瞬間、地球の重力が否応なしに彼女たちを地面の方へと引き寄せた。
災難なのはボブである。体重 (*検閲ガ入リマシタ)kgの人間が二人、頭の上2mの位置から落っこちて来たのだ。せっかく咲かせた花や実を落とされ、小さな枝も何本か折られた。
『こう云うことのないよう進化したんじゃなかったのか?』とボブは人間たちを呪い、来るべき人類との最終戦争へと想いを馳せた。……が、まあ、その戦争が始まるまでには、更に一千年ほど待たなければいけないんだけどね。
ドシン。
ミシッ。
ミキキ。
ボキ。
きゃあ!。
ドッ。
ゴツン。
いたっ!。
メキ。
ミキ。
イテッ!
…………ドン。
と、小張A&Bが地上に墜落した時、幸か不幸か、この広場に他に人影はなく、彼女たちを見咎める人はいなかった。
(いたらまた善意の市民が『おたくの小張さんが……』と、副署長あたりに陳情してくれたことだろう)
「大丈夫ですか?」と、Bの上から体をどけながらAが訊いた。彼女、と云うか月曜日の自分がクッション役になってくれたおかげだろうか、土曜日の自分にはキズひとつ付いていない。
「大丈夫ではないですけど……」と、仰向けに倒れたままでBが返した。「ケガはないようです」まるで他の誰かがクッションになってくれたみたいだが、「それより、ここは?」
ケヤキのボブの頭の上では、シュウウウウウ。と云う細く長い音が鳴り続けていて、黒い空間はまだ閉じそうにない。
「あれ、石神井池ですよね?」と、腰をさすりながらAが言った。
「あっちは、ふるさと文化館じゃないですかね?」と、地面に寝転んだまま首だけを右に曲げてBが言った。
「オイ……」と、別の誰かが言った。
「お稲荷さんがあそこですから」と、ふらふらと立ち上がりながらAが言った。
「テニスコートは……」と、上空にある黒い空間を見詰めながらBが言った。
「チョット……」と、また別の誰かが言った。
「ヤマザクラの方を周るか、コンビニの方に出るか……いま、変な声出しませんでした?」と、A。
「観察園を抜けて……声?」と、B。そう言われてみれば、先ほどからお尻の辺りがムズムズしている。
「イイ加減ドイテクレ!」と、小張Bのお尻の辺りで怒鳴る声がした。
「きゃあ!」と、驚いたBはガバリと飛び起きると、Aの元へと駆け寄り、「いま、いま、お尻の辺りになにか……」と言った。
「《ナニカ》トハ何ダ!」と、地面に圧し付けられへしゃげた形のままMr.Bが言った。「重タイオシリシヤガッテ!」
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「なんですって?よく聞こえません」と、小学校の頃から愛用しているウォーキートーキーに向かって小張Dが言った。
こちらはテニスコート横の石神井公園第二駐車場。敵を迎え撃つための道具を残りのメンバーで運んでいるところである。「今、どこなんですか?」
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「私の方は、」と、同じく小学校の頃から愛用しているウォーキートーキーに向かって小張Aが言った。
「いま、野外ステージの方に向かってます」空から落ちた直後の全力疾走のせいで息は切れ切れである。
「例の、黄色、と緑、の……ハアハア、すみません」と、一度立ち止まり息を整えてからAが続けた。
「……Mr.Bを、追い掛けてます」
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「Mr.Bが?」と、テニスコートの扉を開けながら小張Dは言ったが、その瞬間、例の熱力学の第一・第二法則のせいで忘れていた記憶が急に想い出さされた。「私の背中に、張り付いて来たんでしたね」
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「そうです」と、再び走り出しながら小張Aが言った。「で、その後 《穴》から出て来たマネキンたちに驚いて逃げ出しちゃったんです」
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『大丈夫?』と、カワイコちゃん (死語)のケヤキが訊いた。
『まさか、まだ四匹も落ちて来るとは』と、足元に散乱した小枝たちを見ながらボブは言った。『せっかく育ってたのにな』
『また育て直せば良いじゃない』と、カワイコちゃん (死語)のケヤキ――通称アディーは言った。『アタイ、応援するからさ』
『アディー……』
『ボブ……』
そうして二人は、初めてお互いの気持ちに気が付くと、顔を見詰め抱き寄せ合い愛を確かめようとしたが、如何せんケヤキの木だったので、それは叶わなかったし、叶うとしてもそれもやはり、更に一千年ほどの時間を待たなければいけなかった。
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「分かりました」と、赤毛の女性と小張Cを手招きしながら小張Dが言った。「なら私は、コンビニに向かいます」
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「ねえ、」と、隣の席に座る畑中健乃の肩を軽く叩きながら秋月佳奈子が言った。「あれコハッちゃんじゃない?」
2019年4月10日。水曜日。15時20分。Mストップ石神井町五丁目店駐車場。巡回帰りのパトカー内でのことである。
「どこ?」と、畑中。
「ほら、あそこ」と、秋月。彼女が指差す先には、野鳥観察園からのゆるい坂道を、まるでオバケかエイリアンにでも追われているかのようのような勢いで駆け降りて来る小張Bがいた。
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『こんなに走ったのは子供の頃以来ですね』と、小張Bは子供時代を懐かしく想い出そうとしたが、よくよく考えると、つい何年か前にも同じような全力疾走をしていたことの方を先に想い出し、そちらの記憶に懐かしさを感じようとしたが、これもよく考えてみると、あんまり良い思い出でではなかったので、仕方なくひとり苦笑することにした。「あの時は大量の羊でしたけど」
野鳥観察園への道を通り過ぎ、そのまま坂道を下って行く。タイムベルトからはマネキンを誘き出すための音波が出続けているハズだから、やつ等はAやMr.Bではなく私の方に向かって来るハズだ。
細い坂道を下って行くと急に視界が開けた。生産緑地地区の畑が広がっているおかげだ。左手前方のコンビニに交通課のパトカーが停まっているのが見えた。
と、ここで、例の熱力学の第一・第二法則のせいで忘れていた記憶を小張Bは想い出した。『そう言えば、木曜日の私が取りに来るんでした』
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「大丈夫?」と、今にも倒れそうな様子の小張Bに向かって秋月が訊いた。
「だ、だいじょうぶです」と、タイムベルトを腰から外しながらBが答える。「――水かなんかあります?」
「よかったら」と、秋月に続いてパトカーから降りて来た畑中が水の入ったペットボトルを差し出して言った。「飲みかけだけど」
「ありがとうございます」と、Bは言うと、畑中から受け取った水を一気に飲み干した。「お代は後で」と、畑中にことわってから彼女は、秋月の方に向き直って、「これを預かって貰えませんか?」と、タイムベルトを差し出した。
「なに?これ?」と、一応受け取りながら秋月は訊ねた。「あと、なんで走ってんの?」
「理由は、」と、呼吸を整えながら小張Bは返した。「それも後で」そうして、また走り出すと、先ほど乗り越えたばかりの柵を飛び越え、今度はテニスコートの方へと向かって行った。
*
走り去る小張Bの後ろ姿を見ながら、秋月も畑中も頭上に『?』のマークを浮かべていたが、畑中が、
「なんだったんだろうね?」
と言い、それに対して秋月が、
「さあ?」
と、答えたのを合図に、二人はパトカーへと戻った。
直後、パトカーのリアウインドウをノックする音が聞こえた。黒いコートを羽織った小張千春 (D)だった。
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