第39話 決戦:その1

     *


 2019年4月10日。水曜日。16時45分。練馬区桜台。


 狭く入り組んだ人通りのない路地を少し季節を外した石焼き芋のトラックが通り過ぎて行く。


 プププッ。

 クオン。

 ヒョン。


 そのトラックが通り過ぎるのに合わせるかのように路地の一角が歪み、一瞬、真っ暗な空間に入れ替わったかと思うと、直ぐに元の空間が二人の小張千春を連れて戻って来た。


「ここは?」と、ツイードのジャケットに蝶ネクタイ姿の小張千春 (A)が言った。首には、おじさまに感化されて購入したという野鳥観察用の双眼鏡を掛けている。


「えっと、」と、フロックコートにクラパット姿の小張千春 (B)が、腰に巻いたタイムベルトの目盛りを確認しながら答えた。「4月10日の16時45分。水曜日ですね」肩に掛けた愛用のトートバックからは細長い集音マイクが覗いている。


「ちょっと早い?」と、小張Aがスマートフォンの地図アプリを立ち上げながら訊いた。


「確か、道に迷ってる最中ですよね?」と、Aの立ち上げたスマートフォンの画面を覗き込みながら小張Bが答える。「方向音痴ですから」


「私もね」


「私もですけど」


「じゃあ、」と、二手に分かれた右側の道を指差しながら小張Aが言った。「こっちですね」


「えっと、」と、地図を確認しながら小張Bがそれに答える。「こっちじゃないですか?」彼女が差すのは左側の道だ。


「――そうですっけ?」


「そうですよ。地図がそうですもん」


「じゃあ、そっちですね」


 と、二人は左側の道を選んで歩いて行ったが、数分後、再びここまで戻って来ると、同じようなやり取りを繰り返した後、右側の道へと進んで行った。


     *


「……イヤ、ヤメトコ、ヤッパシ」と、Mr.Bはそう言うと、眼鏡の奥の小さな目を更に丸くしている男性の横をヒラヒラと飛び去って行った。


「あ、」と、まるで漫画の主人公のように地面にへたり込んでいる男性の姿を見ていた小張D (黒コート)は、突然、昨年の秋にあった一連の出来事を想い出し、「テグスの人だわ」と言った。


     *


 2019年4月10日。水曜日。17時15分。この小張Dの様子を、近くのマンションの踊り場から小張Aは眺めていた。


「この直後なんですよね?」と、双眼鏡を覗き込みながら小張Aが言った。


「ですね」と、その横でスマートフォンの画面を確認しながら小張Bが答える。「話が始まる前に襲われたそうですから」


     *


「すみません」と、小張Dが未だ地面にへたり込んだままの男性に声を掛けた。「お尋ねしたいことがあるんですけれど」


     *


「あ、」と小張BがAに言った。「スマートフォンに反応ありました」


「発信源は?」とAが訊き返す。


「音が反響していて……」と、戸惑いながらBが返す。「特定出来ないですね」


     *


「たしか」と、男性に近付きながら小張Dが訊いた。「以前、石神井公園でお会いしましたよね?」


 その小張Dの言葉に男性はしばらく考え込んでいたが、ふと想い出したように「長いマフラーのひと?」と言った。


「そうです。小張です。石神井警察署の」と、小張。男性のショック状態は落ち着いて来たようだ。


「そうそう。ニュースで読みましたよ。拳銃のトリック」


「あの時は『テグス』を教えていただいて」


「ええ、そう。そうでしたね」と、立ち上がりながら男性は言った。「今日は?お仕事ですか?」


「ええ、」と小張Dは、少し言い淀んだ後、「まあ、パトロールみたいなものです」と答えた。


「……『みたい』と言うのは?」と、男性は言い掛けたが、直後、ピシュン、と云う小さな音がし、彼の右耳外縁部を鋭い痛みが襲った。


『??』と男性は思いつつ、ふと女性の方を見ると、彼女の左手の甲からは血が流れている。


 ピシュン、ピシュン。


 と、今度は同じ音が二回聞こえた。音の出所を確かめようと振り返った瞬間、右手前腕部に激痛が走った。


『???』と、男性は奇妙な感覚に襲われ掛けたが、直ぐに自分が何か拳銃のようなもので撃たれたのだと気付いた。後ろを振り返ると、三つの人影があった。


「おじさま!」と、声のする方に目を向けると、例の女性が左の頬から血を流しつつこちらに手を伸ばしている。「つかまって下さい」


 言われるままに彼女の手を取った。


 もう一度後ろを振り返る。


 自分を撃った相手の内二人は男で、もう一人は首の長い女性のようだ。


 ポッ。

 キュオン。

 ヒュン。


 と云う奇妙な音がして、その後周囲は真っ暗になった。


     *


「あ、」と、小張Aが言った。「飛んだみたいです」


「マネキンは?」とB。


「3~4m先ってところですね」と、A。


「よく反応出来ましたね」


「私とは思えないですね」


「司馬さんに鍛えられましたからね」


「厳しかったですもんね、司馬さん」


「時空間の穴は?」


「えっと、」と、双眼鏡の解像度を上げながらAが答える。「もう消えてます」


「なら大丈夫ですね」


「発信源は?」


「やっぱり特定出来ませんでした。マネキンは?」


「動き出したみたい」


「じゃあ、次は」


「空地ですね」


     *


「オイ」と、Mr.Bが言った。「アレ、アイツラジャナイカ?」


 空地の入り口に三つの人影が見えた。赤毛の女性が下ろした髪もそのままにヘルメットを被り、ゴーグルを目の位置に合わせた。


「確かに」と、ブーツの踵から白い杖のようなものを取り出しながら女性が言う。「マネキンのようね」


     *


 2019年4月10日。水曜日。18時40分。赤毛の女性たちがいる空地――から200mほど離れた路地を、小張A&Bは息を切らせながら走っていた。


「だから、あそこは右だって言ったんですよ」と、日頃の運動不足を後悔しながら小張Aが言った。


「さっきは左で間違えたから、」と、息も絶え絶えに小張Bが返す。「今度こそはって思ったんですよ」


 ピシュン、ピシュン。


 と、空地の方から空を切るFRP弾の鋭い音が聞こえた。戦闘は既に始まっているようだ。


     *


 ピシュン、ピシュン。


 と、女性型マネキンの両手から飛び出したFRP弾が赤毛の女性の左太ももと右手首を貫いた。


 カチリ、カチリ。


 と、女性は、左手に持った白い杖のようなもの (タイムコントローラー)のスイッチを何度も押すが、何かが起こる様子はない。


「オイ!」と、Mr.Bが叫ぶ。「時ヲ止メルナリ遅ラセルナリシロ!」


 ピシュン、ピシュン。


 男性型マネキンの一体がMr.Bに向けてFRP弾を発射した。


「フン、」と、その弾を体で受け止めながらMr.B。「ソンナモノガ無定形知的生命体ノぼくニ効クモノカ…………アレ?」


 すると、Mr.Bの体内で止まったFRP弾は、急にその体積を広げると、まるで意志を持った生物のように動き始め、そのままMr.Bごと近くに置いてあった建築資材の山に飛び込んで行った。


「ウソダロ?!」


「Mr.B?!」赤毛の女性が言った。カチリ、カチリ、カチリ。再びタイムコントローラーのスイッチを入れるが時は止まりもしなければ遅くもなってくれない。


     *


「Mr.Bがやられたみたい」と、双眼鏡を覗き込みながら小張Aが言った。「そっちは?」呼吸はまだ乱れたままだ。


「えっと……」と、こちらも呼吸が乱れたままの小張Bがスマートフォンに映る地図を見ながら答えた。「マネキンを操るのとは別の音波が来てます」


「じゃあ、博士の言ってたとおり?」と、A。


「ですね」と、スマートフォンに接続した集音マイクを伸ばしながらBが言う。「タイムコントローラーの動作を邪魔しているようです」


     *


 ピシュン、ピシュン、ピシュン。

 ピシュン、ピシュン、ピシュン。


 と、二体のマネキンから放たれるFRP弾が女性の手足を執拗に狙い撃つ。足を撃つのは女性を逃がせなくするため、手を撃つのはタイムコントローラーを手放させるためであろう。彼女がコントローラーを持っている間は、妨害電波を出すため三体目のマネキンを動かせないのだ。


     *


「うわ、痛そう」と、小張A。「発信源は?」


「二種類の電波が来てくれたおかげで特定しやすくなったハズなんですが……」と、スマートフォンのパッドを忙しく叩きながら小張Bが言う。「ええい!ノーパソ持ってくれば良かった!」


     *


 先ほど撃たれた左太ももから大量の血が流れ出しているのが分かった。


 右手からの出血は少ないので幸運にも動脈は外れてくれたようだ。


 左耳外縁にも痛みがある。


 穴は開いていないようだがいくらか欠けたかも知れない。


 左足の甲と右の脇腹、左上腕部と右の肩の付け根が重傷っぽいわね……Mr.Bには悪いけど、意識が無くなる前に、逃げた方が良さそう。


     *


「ベルトに手を掛けました」と、A。「そろそろ飛びますよ!」


「ええ?そろそろ捉えられそうなんですけど」と、B。「建物が密集し過ぎていて反響音が……」


     *


 ポワッ。

 キュッ。

 ヒュオオン。


 空地の片隅に一瞬、白い空間が現れたかと思うと、赤毛の女性とともに直ぐに消えた。


 ピシュン、ピシュン。

 ピシュン、ピシュン。

 ピシュン、ピシュン。


 ピ……。マネキンたちは、女性が消えた後も暫くの間FRP弾を撃ち続けていたが、《音主》たちからの指示が届くや一斉に撃つのを止め、女性がいた辺りに時空の裂け目が残っていないか探りに行った。


     *


「ダメ……でしたあ」と、心底残念そうに小張Bが言った。「このタイミングが一番発信源を特定出来るハズだったんですけど……」


「じゃあ、」と、双眼鏡を下ろしながらAが言う。「プランB?」


「……やりたくないですけどね」


「私も……」


     *

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