第38話 《フォースとともにあらんことを》

 さて。


 例えば、ここに 《コハリ》という名のイヌがいる。そろそろ二才になるボーダー・コリーのメスで、西武新宿線・井萩駅にほど近い小林さん夫婦のお宅で飼われている。


 この 《コハリ》は、他のボーダー・コリーと同様頭が良く運動能力も高いのだが、生まれ持っての性格なのか『気が付くといなくなっている』ことが多く、彼女の散歩に付き合うには小林夫人はお年を召され過ぎていた。


 そこで、《コハリ》を散歩に連れ出す役目は自然と旦那さんの方が担うようになり、毎日午後の三時近くになると、ハーネスを持った小林さんが彼女に「コハリ!」と呼び掛け、二人で近くの公園へ行くのが日課となっていた。


 もちろん、夫人の方も 《コハリ》のことを好いていて、なんだかんだと彼女の世話を焼くし、毎晩六時過ぎになると「コハリ」と呼び掛け、ちょっと奮発した夕飯を彼女に与えていた。


 さて。


 小林さんのご主人が「コハリ!」と呼び掛けた時、《コハリ》は『やった!散歩だ』と思い、シッポを振りながらご主人の下へと駆け寄って行く。


 また、小林夫人が夕方「コハリ」と呼び掛けた時、《コハリ》は『やった!ご飯だ』と思い、シッポを振りながらご夫人の下へと駆け寄って行く。


 すると我々人間は、不思議なもので、『彼女は自分の名前が分かっている』と思い込んでしまいそうになる。


 だが、これは多分間違いだろう。


 何故なら、我々人間以外の動物は、振動数に頼って言葉を聞いているからである。


 男性である小林さんの声は低く、女性である小林夫人の声は高い。この二人がそれぞれ同じ犬に 《コハリ》と呼び掛けたとして、当の 《コハリ》本人は、この二人が同じことを言っているとは思わないハズだ。


 何故なら、彼と彼女は別々の周波数の音を 《コハリ》に投げ掛けているのだから。


 さて。


 ここまでを読まれて『?』となった方は、中学・高校時代に読んだ生物の教科書を思い出して頂きたい。そう。あのカタツムリの形をした耳の解剖図である。


 あのカタツムリの中には細長い三角の膜が入っていたはずだが、あの膜の上には更に有毛細胞と呼ばれる感覚細胞が載っていたはずで、しかもその有毛細胞の毛の長さや数は膜ごとにそれぞれ違っていたはずである。


 つまり、鼓膜を伝ってカタツムリのところまでやって来た音は、その高さ (振動数)に応じて、それぞれの三角の膜を――それぞれの有毛細胞の小さな毛を、都度共振させることになるのである。


 同じ高さの音が入って来れば、いつも同じ膜の同じ部分が振動し、脳はそれを「ああ、この前と同じ音だね」と判断する。


 が、逆に、同じ 《コハリ》と云う言葉であっても、違う高さの音が入って来れば、脳は「ああ、この前と違う音だね」と判断する。


 つまり、耳の構造から考えると、違う高さの 《コハリ》を同じ意味だと捉える我々人間の方がいびつであり、音の高さによって言葉を判断している人間以外の動物の方が普通なのである。


     *


『ここまではよろしいだろうか?』と、机の上のヘルメットが言った。


「大変よく分かりました」と、小張全員を代表して小張Aは言ったが、もちろん、読み上げられているだけのテキストが返答をするはずもない。


『小張さんと云う方は、なかなかどうして鋭い質問を投げ掛けてくれるので、ついつい返答を打つこちらの手にも力が入ってしまうが、十分なお答えを返せているだろうか?』


「もちろんです!」と、今度は小張Cが代表して答えた。「前回の航時法第四条の成立過程におけるトリトロンメタジウム崩壊仮説の影響は手に汗握りました!」


「あの、」と、このやり取りを傍で聞いていた男性が、隣で白い杖のようなもの (タイムコントローラー)にアルミホイルを巻いている女性に訊いた。「あなたも、理解されているんですか?」


 訊かれた赤毛の女性は、即座に「いいえ」と答えると、「ああいうのは、博士に任せてますから」と言った。今度は、光学迷彩の布 (カメレオンシート)を分解しないといけないのだ。

「ですよねえ」と、男性は言うと、再び博士からのテキストメッセージにはしゃぎまくる小張たちの方を向いた。


     *


 と言ったところで。


 小張たちがいったい何の話を博士から聞いているのかというと、前にカメガエルのところで「この続きはまた後ほど」としていた、『音の高低を聞き分ける能力を進化・発展させた種族・文明』に関する話を聞いているのである。(ね?覚えていられたでしょ?)


 で、その博士の語るところによると、これらの種族・文明について星間連合では、いわゆる『ソニック派』と云うカテゴリーを設けており、それぞれの文明の成長レベルに応じて、更に一類から六類にまで分類することにしているそうである。


 で、今回の 《音主》族と云うのは、その中でも『特一類』に分類され、その文明程度は、狩猟採集における獲物の捕獲・果実の採集はもちろんのこと、宇宙船の製造や超光速航行によるタイムトラベルまでをもソニック技術のみで行えるほどらしい。


 で、また彼ら 《音主》族の特に右派は、星間連合への加盟をしてはいるものの、銀河統一の野望は捨て切っていないようで、なにかと領土拡張・歴史改竄・異民族浄化の機会を窺っているとのことだった。


     *


『つまり、今回の一件も、一部の右派が暴走した結果ではないか?との見方が、本部の中でも優勢になって来ている。

 また、歴史の改竄が既に済んでしまっていること、小張さんやおじさまへの襲撃の仕方が泥縄的過ぎること等から、タイムトラベル技術の奪取は本来の目的ではないのではないか?と云う意見も出て来ている。

 しかしながら、では、1969年の東京と云う未開・野蛮な土地 (失礼!)において彼らが一体何をしようとしていたのか?実際に何をしたのか?については、調査が難航しているのが正直なところだ。

 と云うのも、大学生たちによる内戦ごっこが流行っていたぐらいで、歴史的にはあまりにも重要性のない時間と場所であって、これと言った資料がほとんどないからなのだ。

 なので、今回のそちらの作戦が上手く行き、マネキン及び本体の 《音主》族を一体でも捕えられることが出来れば、何かしらの手掛かりが掴めるかも知れない。

 タイムパトロール隊員でもないおじさまや小張さんを巻き込んでしまい、大変心苦しいところではあるが、是非とも、引き続きのご協力をお願いしたい。』


 と、ヘルメットは読み上げたが、「巻き込んでしまい」のところで赤毛の女性は首を傾げた。『どちらかと言えば、私の方が巻き込まれていないかしら?』


『さて、それでは、』と、ヘルメットが言う。『最後に、うちのタイムパトロール隊員への連絡事項があるので、出来れば、二人だけにして頂けないだろうか?』


 そうヘルメットが言うのを聞いて、赤毛の女性は、読み上げ機能を一時停止した。


「じゃあ、我々は」と、小張Aが訊いた。「外に出ていましょうか?」


「あ、いいえ」と、会議室のドアを開けようとする小張Cを引き留めながら女性が言った。「これで、大丈夫ですから」


 ヘルメットを被りゴーグルを目の位置にまで下ろすと外部に音は漏れなくなる。


 そうして女性は、窓際のソファまで行くと、そこに深く腰を下ろして座り、読み上げ機能の一時停止を解除した。


『気を遣わせて済まない。』と、ヘルメットが言った。ゴーグルの向こう側では小張たちが超音波ネジ回しを使いながらスマートフォンの改造をしている。


「気を遣わせた」との博士の言葉通り、それ以降のメッセージは、女性が想像していたよりもかなり切迫感を伴ったもので、歴史の削除及び乱渦流発生による各時代への影響とその詳細な被害報告、並びに、最悪のシナリオである『時空間そのものの消滅』の可能性について伝えていた。


 ゴーグルの向こう側では小張たちがにこやかに彼女に手を振っている。


 彼女は、いつの間にか固く組んでいた両の手を解き、小張たちに手を振り返した。ゴーグルのおかげで、悲壮感を帯びた目は見せずに済んだ。口元はきちんと微笑んでいられたように思う。


『以上。プレッシャーを掛けるつもりはないが、君と、君の仲間たちが唯一の希望になり掛けているのも事実だ。是非とも、そちらの作戦を成功させて頂きたいと思う。』


 と、ヘルメットが言った。


 その後、一瞬音声が途切れたので、女性が読み上げ機能を停止しようとすると、


『最後に、君たちの時代にあったと云う祈りの言葉を書いて、このメッセージは終わりにしたいと思う。』


 と、まるで追伸のような形で音声が流れた。


『《フォースとともにあらんことを》。』


 女性は、ゴーグルを下ろしたまま、プッと笑った。

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