第33話 be Scrooged
「ちょっと熱く感じるかも知れませんけど、気にしないで下さいね」と、パジャマにバスローブ姿の女性が言った。左手で男性の右の手首を掴み、右手には真っ白な拳銃のような道具――メディカルガンを持っている。
「それでどうするんですか?」と、少し怯えながら男性が訊いた。子供の頃から注射の類いは苦手だ。
「傷口を埋めるんです」と、メディカルガンを男性の右手前腕部に当てながら女性が言う。
プシュッ。と、メディカルガンの先端からシェービングクリームのような白い泡が射出された。
すると、その泡たちは男性の肌に触れた途端、まるでそう云った生き物でもあるかのように、男性の肌の上を少しの間うろついた後、肌の上に開いた小さな穴――例のマネキンたちによって開けられた小さな穴――の中へと這入り込んで行った。
「で、この後、二、三日もすれば新しい細胞と入れ替わります」と、赤毛の女性は言うと、他に傷を負った箇所がないか改めて男性の体を確認した。「うん。他は大丈夫そうですね」
この様子を横で見ていた小張D (黒パーカー)は、「ああ」と、ちょっと驚いた様子で「あんな量で良かったんですね」と言った。
もちろん、この小張の反省の声は赤毛の女性の耳にも入ったが、この状況と云うか小張のキャラクターと云うかにも大分慣れて来たのだろう彼女は、『それで傷口がやたらと痒いのね』と、思うだけであった。
と云ったところで。
今は、2019年4月11日。木曜日。10時35分。
場所は、石神井警察署・来客用会議室へと戻って来る。
*
と、その前に。
どうも先ほどから補足ばかり書いているような気もするが、一応ここでも補足だけはしておこうと思う。何を補足しておくのかと言うと、この来客用会議室についてである。
と云うのも、先ほどからご覧になっている通り、小張はこの来客用会議室をまるで自室のように使っているワケだが、ここも石神井警察署の所有・共用スペースであることに変わりはない。
ですので、賢明且つ善良な読者諸姉諸兄の中には、
『他の署員の方は入って来ないのかしら?』とか、
『見知らぬ女性及び男性及び別の時間帯の自分自身を会議室に入れても大丈夫なのか知らん?』とか、
『小張さんは上司に叱られたり首になったりしないの?』とか、
そう云った類の懸念を持たれている方もおられるかも知れない。
なので、まあ、そんな皆さまの懸念を払拭しておこうと思い、このような補足を書き始めたワケですが、結論から言うと、この会議室は現在、実際に、ほぼ小張の自室のようなものになってしまっているのである。
と云うのも、昨年の暮れに起きたある事件の関係で、元々の彼女の部屋は現在、絶賛解体&改装中――と云うか修復の真っ最中だからである。
まあ、もともと、この会議室自体、小張の推理目当てに来る人たち――本庁の刑事とか、誰からも相手にされなくなった未解決事件・不可解事件の関係者とか――の専用会議室と云った趣きを帯びて来ていたところだったし、使われていない会議室なら他にもいくつかあったし、この部屋に彼らと小張を閉じ込めておけば累が及ぶのは副署長ぐらいだし……と云うことで、署員の大多数からの快い賛成意見・署名・投票もあり、当該会議室の小張自室化は行われた――と、こう云うワケである。
え?
その『昨年の暮れに起きたある事件』がどんな事件かって?
それをお話しするには今回の事件と同じぐらいの紙数が必要になってくるし、今は流石にそんな余裕も時間も無いので割愛させて頂こうと思うが、まあ、当方備忘の意味も込めて、一応キーワード―だけお伝えしておくと、『クリスマス』と『幽霊』が関わっていた事件、と云うことになる。
え?
それだけだと余計に分からない?じゃあ、このお話の決着が付いたら、また話すことに致しましょう。
だって、先ずはこちらのタイムトラベル緊急事態をどうにかしないと、そちらのお話自体変わってくるかも知れませんから。
*
「では、マネキンたちは小張さんだけではなく、おじさまのことも狙われたんですね?」と、赤毛の女性が訊いた。
「どちらかと言うと」と、傷口の中を蠢くシェービングクリーム様のモノを怪しく眺めながら男性が答えた。「先ず私に襲い掛かって来た、と云う感じでしたね」
*
「たしか」と、小張千春 (D)は言った。「以前、石神井公園でお会いしましたよね?」
2019年4月10日。水曜日。17時35分。彼女が声を掛けた男性は、よれよれの春物のコートを着て、今まさに空飛ぶ奇妙な生物にでも遭遇したかのような顔で地べたにへたり込んでいた。
『石神井公園?』と、男性はしばらく小張Dの顔を見詰めていたが、『ああ!』と、不意に昨年の秋にあった一連の出来事を想い出すと、「長いマフラーのひと?」と言った。
「そうです。小張です。石神井警察署の」
「そうそう。ニュースで読みましたよ。拳銃のトリック」
「あの時は『テグス』を教えていただいて」
「ええ、そう、そうでしたね」と、立ち上がりながら男性は言った。この人は (前の一人と一未確認飛行生物に比べたら)全然まともそうだ。「今日は?お仕事ですか?」
「ええ、」と言い掛けて、小張Dは少し悩んだが、「まあ、パトロールみたいなものです」と、答えた。うん。ウソはついていない。
*
「その直後?」と、会議室のロッカーを開けながら赤毛の女性は訊いた。
「ええ、」と、シャツの袖を元に戻しながら男性が答える。シェービングクリーム様の何かも大分落ち着いて来たようだ。「後ろから急に撃たれました」
「姿は?」
「突然でしたし、後ろからでしたけれど、逃げるときに、一応」
「数は?」
「三人……三体?」
「男性型と女性型?」
「はい。二人は男性でしたね」
「なら、私を襲ったのと同じヤツらね」と、赤毛の女性が言う。彼女は、小張のせいで散乱したタイムパトロールの道具を一つ一つブーツに戻しているところである。「女性型は首の長い?」
「そう……ですね。ツイッギーみたいな格好で」
「ツイッギー?」
「ああ、そうか」と、コートの内ポケットからスマートフォンを取り出しながら男性が言った。「若い人は知らないかも知れませんね」
と、ここで、丁度男性の横に座っていた小張A (蝶ネクタイ)が、自身のスマートフォンを男性に向けながら、「これですか?」と訊いた。画面には、丈の短い若草色のワンピースを着た白人女性が映っている。
「そうそう。確かイギリスか何処かのモデルで」と、男性。
「イギリス?」と、小張Aの方に近付きながら女性が訊いた。「見せて貰えます?」
小張Aのスマートフォンを預かり、その検索結果を見て行くと、見覚えのある丸い顔が出て来た。長い長い首の上に紺色のニットキャップを被らされたヘッドマネキン。
「なるほど」と、女性。「これに別のボディをくっ付けたワケね」
「見覚えが?」と、小張A。
「大学で私を撃ったヤツです」と、女性は答えた。
「最初の公園では男性型が三体だったから、いま確認出来ているのは計四体ですね」と、再び道具を片付けながら女性が言った。「同時に動かせるのは一体までなのかしら?」
「それで、少し気になったんですけど」と、小張D。
「なんですか?」と、女性。
「あのマネキンたち、いま扱っている別の事件で見たことがあるんですよ」
「……マネキンなんて、みんな同じじゃないんですか?」
「それが、」と、机の下に押し込んである大量の資料ボックスの中からその一つを引っ張り出すと小張Dは言った。「このフォルダの事件なんですけど……」
小張Dは、書類を何枚か確認した後、例のパニックルームの写真を女性に渡した。
写真には七体のマネキン人形と五体のおもちゃの人形が写っていた。
マネキン人形のうち三体は行方不明中のオーナーに似せて作られたものだが、残りの四体のうち三体は普通の男性型で、最後の一体は首なしの女性型だった。
「確かに似ている気もしますが、」と、赤毛の女性。「古くないですか?」
「そこなんですよ」と、小張D。「私とおじさまを襲ったマネキンは、新しかったんです」
「……うん?」
「多分、あなたとあの空飛ぶ生物を襲ったマネキンも新しかったと思うんです」
「そう……ですね」
「いくらFRP製のマネキンでも50年も生きていれば古くなるはずなんです」
「あ、」と、赤毛の女性にも小張Dの考えが読めたようだ。
「私たちを襲っているあのマネキンは、1969年からタイムスリップして来たんじゃないでしょうか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます