第29話 日高前署長

「2019年?」と、Mr.Bは訊き返した。


「そう。今から50年後の4月」と、ヘルメットのゴーグルを上げながら女性が答えた。


 今は1969年10月22日。水曜日。23時31分。博士が送ってくれた改造コードのおかげでヘルメットを通して周囲30㎞・前後50年間の時空間の歪みや傷を大雑把にではあるが観測出来るようになっていた (もちろんヘルメットの今ある場所 《時点A2側》に限られるが)。


「少なくとも、その頃まではこの辺りにタイムボルテックスの流出跡が見られるようね」


「50年ッテノハ長イヨナ?」


「人間の時間にしたらね」


「イズレニセヨ、未開拓時代ダヨナ」と、Mr.B。「れべる5未満ノ」


「そんなに大昔でもないわよ」と、若干怒った口調で女性が言う。「私が大学に入った年だもの」まあ、星間連合非加盟の件はそのとおりなのだが。


「場所ハ?」と、MrB。地球未開拓時代の件はこれ以上言わない方が良さそうだ。「戻ルノカ?」


「いいえ」と、立ち上がりながら女性が言った。「ここから東に6~7㎞ほど行った辺りが一番流出の頻度が多いみたい」ズボンに付いた土を払いながら彼女が続ける。「先ずは2019年の4月に行って『何か』あるのか探しましょう。そこから更に未来に行くか過去に戻るかは、その時に考えれば良いわ」


 まるで子供の頃に見たタイムトラベル映画のようなセリフを喋っている自分に気付き女性は少し恥ずかしくなったが、その時、


「そこに誰かいるのか!」


 と、突然、何者かが彼女の横顔を懐中電灯で照らした。


 池畔に立つ朱色の小さな社に女性の影が浮かび上がる。彼女やMr.Bの方から相手の顔は見えない。声の主は続けて、


「公園から奇妙な物音や不審な話し声が聞こえるとの通報があった」


 と、言った。声は若く少し震えているようだったが、どうも警察官のようだ。


 以前にもお話したとおり、この時代、大学紛争は終息し切っておらず、未だ闘争華やかなりし頃の記憶がこの警察官にも残っていたのだろう。声の震えの理由はそんなところかも知れない。


「先ずは、大人しく、」と、今にも腰の拳銃を抜きそうな雰囲気で男性が続ける。「その神社の中から出て……」


 が、次の瞬間、女性はフイッと消えてしまっていた。きっと、50年後の未来に飛んで行ったのだろう。


「あれ?」と、男性が言った。ピーッ。腰に付けた警察無線が鳴った。「はい。日高です。あー、いえ、怪しい人物等は見当たりませんでした」


『女が突然消えた』と言ってバカにされることを怖れたのか、それとも女性の起こした時空流の影響で記憶が飛んだのか、それとも彼本人の波風立てない資質のせいなのか、それは結局分からないが、この日の女性の記憶も記録も結局残されることはなかった。


 が、その代わり、と言っては語弊があるが、彼はこの40年ほど後に石神井警察署の署長として着任する。そうして、交通課すぐ横の自動販売機の前に相応のスペースを確保すると、小さな丸テーブルと数個の椅子を置き、署員及びご本人の憩いのスペースを作ることになるのだが、まあ、やっぱり、これはまったく別の話であろう。

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