第28話 カメガエルと人形

     *


 さて。


 ここでいささか唐突だが、オーストラリアに住むカメガエルの一種についての話を少ししておきたいと思う。


 このカメガエルのメスたちも、他の有性生殖を行うメスたち同様、産卵期になると『いい男選び』を始める。彼女たちの『いい男』の基準は若干変わっていて、それは『自分の体重の約70%の重さのオス』と云うことになっているらしい。


 普通に考えると、たとえオスよりもメスの方が大きいカエルであっても、そのメスは、他の多くの動物たちと同じように、なるべく大きくてより強いオスを繁殖の相手に選びそうなものだ。何故なら、その方が自分の子供も大きく丈夫に、つまり、より生き残り易くなるからだ。


 ところが、このカメガエルは『自分の体重の約70%の重さ』と云うやや小さめのオスを選ぶ。何故か?


 実はそれは、このカメガエルの産卵行動と関係している。


 彼女たちは、数多いるオスの中から任意の一匹を選ぶと、先ずは彼を背中の上に乗せ、そのまま池の真ん中にある産卵場所まで泳いで行き、産卵を始める。


 そうして、それから約7時間と云う長い時間を掛け、水中に生えている植物の茎に産卵し続けるワケだが、彼女たちはこの間ずっと、相手のオスを背中に乗せ続けるのである。


 つまり、もし何かの間違いで自分の体重に比して重過ぎるオスを繁殖の相手に選んでしまった場合、彼女たちはその産卵の途中で力尽き、矢尽き刃折れて、最悪溺れ死んでしまう可能性すらあるのだ。


 だからこそ彼女たちは『自分が溺れ死なない程度に大きくて強いオス』を『いい男』の基準とし、それが大体『自分の体重の約70%の重さのオス』と云うことになるワケである。うーん。これはかなり賢明な選択基準である。


 さて。


 しかし、ここで新たな疑問が生じる。それはつまり、『彼女たちはどのようにして【体重約70%のオス】を見極めているのか?』と云う疑問なのだが……、こんな話をしているうちに、どうも練馬区の方で動きがあったようだ。なので、この続きはまた後ほどにさせて頂こうと思う。覚えていられたらだが。


     *


 と、云うことで。


 現在の時刻は2019年4月10日。水曜日。18時35分。Mr.Bとヘルメットの女性が、練馬区桜台に到着してから二時間ほどが過ぎた頃である。


     *


「オーイ、何カ見ツカッタカ?」と、Mr.Bがヘルメットの女性を呼びながら言った。


 呼ばれた女性の方は、住宅街にポツンと出来た空地の真ん中、そこに置かれた工事資材の上に座り込んでいる。


「全然だめ」と、女性が膝に乗せたヘルメットのホログラム機能をオンにしながら言う。「タイムボルテックスが流れ出た形跡ならそこかしこにあるんだけど」


 桜台周辺の地図が空中に浮かび上がり、「この赤くなってる部分がその形跡ね」と女性が続ける。「この辺の住宅地が一番多く見えるけど、駅前もそうだし学校や公園にも形跡が残ってて、よっぽど長い間流れ出ていたんじゃないかしら?」


「ソレデ裂ケ目ハ?」


「それが見付からないのよ」


「コレダケ漏レ出テイテ?」


「小さな裂け目がたくさんあったのか……」


「人工的ナ裂ケ目ガアッタカ?」


「これだけ集中して小さな裂け目が出来るとは考え難いんだけど……」


「1969年ノ 《分岐》ノ影響ガ50年経ッタココデモ残ッテイルノカ?」


「そう。しかもこっちの――《時点A2側》の2019年でね」


「ジャア、」


「くやしいけど、博士の予想が当たってたってことね」と、頭の上でまとめていた髪をほどきながら女性が言った。近くの家から夕餉の食卓の匂いと温かな団欒の空気が漏れ出て来ている。


『何故、この場所なのかしら?』と、肩まで伸びた見事な赤毛をかきあげながら女性は思った。今回の任務は頭の混乱することばかりである。ひょっとして、とても大切な何かを見落としてはいないだろうか?『ひょっとして、《こちら側》にいることが影響していないかしら?』


 乱渦流の影響が皆無だったため 《時点B1》から 《時点A2側》への移動はスムーズに出来た。が、その結果、自分が本来いるはずの 《時点A1側》との距離は更に大きくなっている。本来なら直ぐにでも気付いて良いような『何か』を想い出せなくなっている可能性はないのだろうか?


「オイ」と、そんな女性の思索を遮るようにMr.Bが彼女に声を掛けた。「アレ、アイツラジャナイカ?」


 空地の入り口に三つの人影が見えた。女性は、ヘルメットのホログラム機能をオフにすると、下ろした髪の毛もそのままにヘルメットを被り、ゴーグルを目の位置に合わせた。三つの人影に生体反応は見られなかった。


「確かに」と、《見た目より中が広い》ブーツの踵から、白い杖のようなものを取り出しながら女性が言った。「マネキンのようね」

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