第27話 4人いる?

「でもそれは、熱力学の第一法則と第二法則に反します」と、小張千春は言った。「だって、エントロピーの増大は情報の減少を意味しているんですから」


 ……と、突然こんな事を言われても『?』となってしまう読者の方もおられるだろうから、もう少し噛み砕いた説明を試みてみよう。


     *


《無から有は生じない》とはよく言われることだが、例えば永久運動を探求し続ける町の発明家 (ドクター・エメット・ブラウンとか,)の心を捉えて離さないのは、この反対の夢 《無から何かを取り出す》と云うシナリオだ。


 しかし、実際のところは、先に小張も言ったとおり『熱力学の第一法則及び第二法則』があるため、永久運動をし続ける機械、所謂 《永久機関》は実現出来ない。と、言われている。


 では、この『熱力学の第一法則及び第二法則』と云う小難しいヤツらが一体何を言おうとしているのかと云うと、それは、もの凄く色々なことを端折って書くと、


『閉じたシステムにおいては、そこに入れた以上のものは取り出せない。』


 と云う、大変に常識的且つシンプルな考えを言おうとしているのである。


 つまり例えば、どこかの発明家が物凄く効率の良い機関を作ったとしても、その機関には必ず何らかの摩擦や非効率性が含まれているため、常にいくぶんかの廃熱 (エントロピー)が発生し、いつか遠くない未来で、その機関は必ず動くのを止めるはずである。


 そうして、この廃熱 (エントロピー)と情報との間にも同様の関係性が存在しているわけで、それが小張の「エントロピーの増大は情報の減少を意味している」と云う発言につながる。


 つまり、情報がただで得られると云うことは、熱が冷たい水から温かい水に流れ込むようなもので、前章でご紹介した小説家の奇跡は、先ず起こり得ないのである (少なくとも、閉じたシステムにおいては)。


 だから、どんなに頭をひねってみても、どんなに担当編集者に尻を引っ叩かれたとしても、アイディアが出ない時は絶対に出ないし、それを毎月毎週当り前のように出せと言われても、それは毎月毎週奇跡を起こせと言われているようなものなのである。


 しかしながら、世の人々、特に編集者と呼ばれる人種においては、この辺りの物理法則を理解することは大変に骨の折れる、不可能事に近いことらしい。


 であるからして、ここから先は単なる個人的な祈り・願いであるのだが、もし読者諸姉諸兄の中に『将来は編集者にでもなろうかしら……』等と云う奇特な考えを持たれている方がおられるようであれば、先ずはこの辺りの物理法則を十二分に理解して頂き、将来どこかの漫画家なり小説家なり脚本家なりの担当に付かれたとしても、あんまりしつこくせっついたり追い掛けたり真夜中にメールを打ったり朝っぱらから電話を掛けたりしないであげて欲しいんですよね、うん。どうせ、アイディアなんて出る時は出るし、出ない時には絶対に出やしないんですから……と、なんの話をしていたんでしたっけ?


 そうそう。小張千春の話をしていたのだけれども、そもそも、彼女は一体誰と話をしているのだろうか?


     *


「それが、その法則は守られるんです」と、小張が答えた。「実際、ここに連れて来られるまで、私も忘れていたんですから」


 それを隣で聞いていた小張が補足するように続けた。「もっと言うと、これから起きることも覚えていないといけないはずなのに、想い出していないんです」


「でも、」と、やはり納得のいかない顔で小張が言った。「今、知ってしまっていること自体、第二法則に反してしまわないんですか?」


「それについてはずっと考えていたんですけど、」と、彼女の向かい側の席に座っていた小張が口を開いた。


 ――と、ダメだ。


 こんな書き方では読者の方々も一体なんのことやらさっぱり分からないであろう。

 なので、少し書き方を変えてもう一度この場面を振り返ってみたいと思う。


     *


「でもそれは、熱力学の第一法則と第二法則に反します」と、古めかしいツイードのジャケットに蝶ネクタイ姿の小張千春は言った。「だって、エントロピーの増大は情報の減少を意味しているんですから」


 この小張の質問に対し、「それが、その法則は守られるんです」と、グレーのクラバットにフロックコート姿の小張千春が答えた。「実際、ここに連れて来られるまで、私も忘れていたんですから」


 それを隣で聞いていた小張千春――彼女は薄い茶色のスーツに赤いネクタイを絞めている――が、グレーのクラバットにフロックコート姿の小張千春の発言を補足するように続けた。「もっと言うと、これから起きることも覚えていないといけないはずなのに、想い出していないんです」


「でも、」と、やはり納得のいかない顔で古めかしいツイードのジャケットに真っ赤な蝶ネクタイを首に巻いた小張が言った。「今、知ってしまっていること自体、第二法則に反してしまわないんですか?」


「それについてはずっと考えていたんですけど、」と、彼女の向かい側の席に座っていた小張千春が黒いパーカーのジッパーを閉め直しながら口を開いた。


 ――と、やっぱりダメだ。


 この書き方だと字数だけ増えて一向に分かり易くなっていない。


     *


 と云うことで、以下に時間と場所と登場人物を整理しておくので、先ずはこちらをご確認頂きたい。(詳しい状況や経緯については、追々説明させて頂きます)


     *


【時間】2019年4月11日。木曜日。10時05分。


【場所】石神井警察署。来客用会議室。


【登場人物】


・小張A:4月6日 (土)から連れて来られた小張千春。

     ツイードのジャケットに蝶ネクタイ姿。


・小張B:4月8日 (月)から連れて来られた小張千春。

     フロックコートにグレーのクラバットを着用。


・小張C:4月10日 (水)から連れて来られた小張千春。

     薄い茶色のスーツに赤いネクタイ。

     靴は白のコンバース。


・小張D:4月11日 (木)現時点の小張千春。

     白いTシャツに黒のパーカーとコート。

     腰に奇妙な形のベルトを巻いている。


     *


 と、これでずいぶん分かり易くなったかと思うだが、如何だろうか?


 と云うことで、以降、彼女たちの誰かを示すときは「小張A」や「蝶ネクタイの小張」と云う書き方をさせて頂く。


 ですので、もし、『こいつは一体何曜日の小張なんだ?』と思われた場合には、このページにまで戻って頂き――若しくは今のうちにスマートフォンのカメラか何かでこのページを撮影しておき――右の内容を改めてご確認頂ければと思う。


 まあ、もっとも、仮にどの小張が何曜日の小張であるかが分からなくなったとしても、物語自体には付いていけるようこちらも書くつもりではあるので、この件についてはあんまり気にしないで下さい――と云うのが一番賢明な読み方ではあるのかも知れない。


     *


 と、云うことで。


 小張たちの整理も付いたようなので、改めて話を最初に戻してみよう。


     *


「でもそれは、熱力学の第一法則と第二法則に反します」と、小張Aは言った。「だって、エントロピーの増大は情報の減少を意味しているんですから」


 この小張Aの質問に対し、「それが、その法則は守られるんです」と、小張Bが答えた。「実際、ここに連れて来られるまで、私も忘れていたんですから」


 それを隣で聞いていた小張Cが、小張Bの発言を補足するように続けた。「もっと言うと、これから起きることも覚えていないといけないはずなのに、想い出していないんです」


「でも、」と、やはり納得のいかない顔で小張Aは続ける。「今、知ってしまっていること自体、第二法則に反してしまわないんですか?」


「それについてはずっと考えていたんですけど、」と、彼女の向かい側の席に座っていた小張Dがその重い口を開いた。


 ――と、まあそんなこんなで、真面目に書くのもそろそろバカらしくなって来たので科学談義はこの辺にして、話を先に進めたいと思う。


 なので、読者の方々には取り急ぎ、


――――――――――――――――――――

・ここに小張たちを集めたのは小張Dである。

・彼女達はこれから何が起こるかを知らない。

――――――――――――――――――――


 の二点さえ押さえておいて頂ければ大丈夫かと思いますよ。多分ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る