第26話 小説家のパラドックス。

 さて。


 突然だが、ここに一人の小説家がいる。


 毎度のことながら彼は、金曜日締め切りの原稿について、木曜の夜遅くになっても一文字も書けていないどころか主人公の名前すら決められずにいた (よくあることだ)。


「ど、ど、どうしよう。ああ!ムダに失われた時間をもし、取り返せるものなら……」


 と、彼が言うと、そんな彼の前に、神の御業か悪魔の所業か、タイムマシンに乗ったこの世の物とも思えない絶世の美女が現われて、


「あなたの望む時間・望む場所へ連れて行ってあげるわ。うふん」


 と、言ってくれる (これもよくあることだ)。


 当然、小説家の『望む時間・望む場所』は、明日締切の小説が載った雑誌が売られている未来の、近所の書店だ。


「頼むから、そこまで送ってくれ!」と、小説家は言い、


「そんな時間と場所で良いんですか?」と、タイムマシンの美女は訊き返す。


「もちろんだ!」と、締め切り間際のプレッシャーで正常な判断が出来なくなった小説家が言うと、


「そこまでおっしゃるなら……」と、タイムマシンの美女も彼の申し出を受ける。


 そうして、結局二人は、三週間後の未来へと飛ぶことになるわけだ (まあ、締め切り前にはよくあることだ)。



 さて。


 それから小説家は、目的の時間と場所に着くと、まっすぐに雑誌売り場へと向かい、自分の小説が載っているはずの最新号を手に取った。


 そこには、確かに自分の名前で発表された小説が載っており、彼はその内容を詳細に書き留めると、他の執筆者のもっと面白い小説を盗作したいと云う衝動に駆られはしたものの (これは実に大変よくあることだ)、そこは小説家としてのプライドが邪魔をしたのだろうか、泣く泣く諦めると、元いた時間に戻ることにした。


 その後、元の時間に戻った彼は、タイムマシンの美女へのお礼もそこそこに、先ほど未来で書き留めて来たメモを整理し、原稿を書き、金曜日の午前中には、担当の女性編集者にそれを渡せた。


『締め切りに間に合うなんて、これは大変に珍しいことだ。』と、この女性編集者は思ったものの、もちろんそんなことは口には出さず、ただただ、『次回もこうであれば良いのに。』と神に祈るのであった。


 そうして、その後、雑誌は無事に出版されたが、それはもちろん、小説家が三週間後の世界で読んだ、まさにあの雑誌と同じものであった。


     *


 さて。


 よく読んで頂くと分かるとおり、この状況自体には、実は矛盾は存在していない。


 一見矛盾しているように見えるかも知れないが、一連の流れの中には自己無矛盾な因果的ループが含まれており、実際のところ、パラドックスは生じていないのである。


 それよりもなによりも、ここで問題とすべきなのは、情報の起源に関する部分である。


『実際のところ、小説のアイディアはどこから来たのか?』


 それはもちろん、小説家ではない。


 彼はただ、三週間後の未来で売られていた雑誌を読み、その内容をメモに取り、そのメモを基に小説を書いただけだからである。


 それはもちろん、タイムマシンの美女でもない。彼女はただ、彼を三週間後の未来に送り、また元の時間に戻しただけだからである。


 そうして、ここが一番大事なところなのだが、それはもちろん、担当の女性編集者では決してない。彼女はただただ、毎回毎回、小説家のケツを引っ叩いているだけだからである。



 そう。


 この小説のアイディアはまるで無から生じたように見えるワケだが、実は、そこにこそ問題は存在するのである。

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