第19話 上海虹橋空港、タクシー乗り場

 さて。


 それではここで、先ほど登場した漫画家の女性が上海で見掛けた風景について書いておきたいと思う。


 この風景も、これまでの幾つかの章と同様、物語の本筋とは直接関係のない案件ではあるのだが、何処となく通じる部分もあるかと思い、その内容を作者が忘れる前に書いておきたいのである。


 場所は上海虹橋空港のタクシー乗り場で、彼女は同じ上海にある浦東空港へ向かうためのタクシーを待っているところであった。


     *


 この日はとても寒く、彼女自身は地下鉄でも良かったのだが、案内役兼通訳の黄さんの希望もあり、タクシーを使うことになった。


 確かに、仕事の資料と家族向けのお土産で荷物を増やしたのは彼女だし、黄さんの年齢を考えると、少しぐらいの散財も致し方ない。と、彼女は考えたわけだ。


 あそこの空港に行かれたことがある方なら分かるかと思うが、虹橋空港のタクシー乗り場の混雑・行列と云うのは物凄いものであって、彼女の一つ前の男性などはいらついた様子で携帯電話に向かって怒鳴っていたし、隣の列では飽きるのにも飽きた子供たちが西遊記と三国志の真似事を同時に始めていた。


 そんな時、行列の後ろの方が俄かにざわつき、一人の女性が何か喚き声・泣き声の様なものを上げながら歩いて来るのが見えた。手には真っ赤な毛布にくるまれた赤ん坊ぐらいの大きさの何かを抱いている。


 女性の前には空港の警備員だか警察官だかがいて彼女を先導して歩いているし、女性の後ろには旦那さまらしい男性が黄色と赤のスーツケースを持って付いて来ている。


 行列の人達は、女性を非難するでも不思議がるでもなく普通に、言ってみれば優しく穏やかに、女性に列を譲っている。


 そうこうしているうちに女性は、喚き声・泣き声の様なものを上げたまま、行列の人達を無視したまま、タクシーへと乗り込んで行った。


「なんだったんですかね?」と、女性を乗せたタクシーが走り去るのを待ってから、漫画家の彼女が黄さんに訊ねた。


「アレはですね」と、案内役兼通訳の黄さんは、いつもより流暢な日本語でこう答えた。「死んだ子どもの代わりなんです」

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