第12話 good night baby(part3)
「『知り合いの専門家』と言うのは?」と、小張千春が松井茂に訊いた。時間は前後し、ここは再び石神井警察署の会議室である。
「言い方は色々ですが」と、松井。「いわゆる鍵師の男です」
「優秀な方ですか?」と、小張。今回のオーナー夫人の死について、依然として彼女は『密室』そのものを疑っている。
「何を持って優秀とするかは、」と松井は言い掛けたが、軽く自嘲してから、「……ええ、現役時代から優秀なヤツでした」と、答えた。小張相手に隠し事はあまり意味がないし、正直な対応こそが彼女と付き合う上では最善であることも、これまでの経験から分かっている。
「であれば、窓も扉も完全に締まっていたのでしょうね」と、小張が重ねて訊いた。
「ですから、密室ですと」と、松井。
「資料の中に、マンションの図面が見当たりませんでした」
「ええ。しかし、他の階の図面はあります」
「最上階のものだけがなかった?」
「そのとおりです」
「それは多分、オーナーが今いる部屋にあると思われます」と小張は言ったが、直ぐに自分の言葉を点検し直して、「『今いる』であることを願いますが」と、付け加えた。
「ちょっと待って下さい」と、少し驚いた声で松井が言う。「それはつまり」
「捜査資料の中にご夫婦を撮影した写真がありました」と、机の上に置かれた資料を一見無造作に探りながら小張が続ける。「何年前の写真かまではハッキリとしませんが、着ている服や後ろにある幟等から5~6年前の物だと思われます」
そう言いながら小張は、探していた写真を見つけ出すと、その写真を松井に渡し、問題の幟を指差した。
確かに、そこには、5~6年前に某出版社が力を入れていた漫画作品の幟が立てられていた。
「注目したいのは」と、少々熱を帯びて来た口調で小張が言う。「奥さまの左目の下にある大きな黒いアザ――のような何かです」
彼女にそう言われてから改めて、松井と新津は老夫婦の写る写真を覗き込んだ。
なるほど。言われてみれば、夫人の顔にはかなり目立つ形のアザがある。
「詳しくは、彼女の主治医の説明を聞くなり、検死の結果を待つなりする必要があるでしょうが」と、小張が続ける。「これは、メラノーマであると思われます」
「メラノーマ?」松井と新津が同時に尋ねる。
「『メラノーマ』とは」と、手元のスマートフォンの画面を読み上げながら小張が言う。「皮膚や眼窩内組織等に発生する悪性黒色腫瘍のことで、正確な発生原因は不明であるが、表皮基底層部に存在するメラノサイトのガン化によって生じると考えられている――とググったら出て来ました」
「それじゃあ、」と松井。「夫人はガンを患っていたんですか?」
「そうですね……」と、胸ポケットのセロリを取り出しながら小張が言う。「ここからはあくまで私の推測ですが、奥さまの寿命は、先程の写真を仮に5年前の物だと仮定して、残り1年あるかないかと云うレベルだったのではないでしょうか?」
「それは」と、新津が当然の疑問を口にする。「写真を見ただけで分かるものですか?」
「あくまで仮説ですけど」と、小張が苦笑いで返す。「でも、何となく分かりません?」
「それでは……』と、少し言葉に悩みながら松井が言った。「小張さんが仰りたいのは、」
「これは、」と、松井の言葉を遮ることに少し躊躇いながらも小張は「あくまで推測ですが」との留保を入れつつ、「ご夫婦で話し合われた結果、『苦しみを長引かせるよりは……』との決断をなされたのではないか?」と言った。「旦那さまは、奥さまに睡眠薬か何かを飲ませた。そうして、その上で、彼女の首を絞めた。それから、その後、自分も彼女の後を追おうと、薬を飲んだか、同じように自分の首を絞めようと、つまり首吊りをしようとしたか?」
「それでは」と、しばらくの沈黙の後、松井が訊いた。「心中ですか?」
それを聞いた小張は「ああ」と得心した声を上げると、「その言葉は思い付きませんでした」と言った。
そうして、その後、またしばらくの間沈黙が続いたが、今度は新津が、フッと想い出したように訊いた。「で、オーナーの死体はどこに?」
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