第6話 スーッと消えた話

 2019年4月6日。土曜日。10時55分。春休み最後の週末と云うこともあってか、シネマ道楽・西武大泉のロビーは小学生の親子連れで溢れ返っていた。


 彼ら彼女らのお目当ては、毎年恒例の少年探偵が活躍するアニメの劇場版と、今年で映画化三十五周年となる少年ヒーローアニメの劇場版だろう。


 特に後者については、御本家――《スーがスーッと消えて》いない方のヒーロー――との共演も話題となっており、小さなお子様とそのご家族たちに交じって、大きなお友達の姿もちらほらと見えている。


     *


 ちなみに、以下は全くの余談であるが、このアニメの原作マンガが発表された当初、主人公の少年にスーパーパワーを授ける宇宙人には、その御本家と全く同じ名前が付けられていた。


 しかしその後、これがその御本家の著作権・商標権に触れているとの指摘があり、最初のテレビアニメ化の際、『ハイパーマン』と改名された。


 だから、子供の頃、この改名を不思議に思った(私のような)旧来のファンからしてみても、今回のこの共演は大変胸に込み上げて来るモノがあるのである――が、まあ、この辺りの感慨やら三十五年の歴史やらを話し始めると、本編よりも長くなりそうなので、今回は割愛させて頂くことにする。


 ね?本当に全くの余談だったでしょ?


     *


 さて。そんな家族連れや大きなお友達から少し離れた場所に、彼女・小張千春の姿はあった。今回も前回同様の風変わりな服装で、水色のワイシャツに古めかしい茶色のツイードジャケット、黒のズボンにはサスペンダーを付け、首には真っ赤な蝶ネクタイを巻いている。誰かとの待ち合わせだろうか、買ったばかりのポップコーン(塩とキャラメル)を目の前に、それをつまむかどうかで悩んでいるようだった。


 お目当ての映画――《スーがスーッと消え》ている方のヒーローアニメ――の上映開始は午前11時15分だから時間的な余裕は十分にあるのだが、小張にとっては映画館に来ることもプライベートでの待ち合わせをすることも随分と久しぶりのことなので若干以上に緊張しているのかも知れない。右手首に着けた腕時計を見、胸ポケットに入れたスマートフォンの時間を確認し、ロビー出入口に掛けられている時計を見ようとしたところで、本日の待ち合わせ相手――秋月佳奈子の姿が目に入った。


 小張と同じ石神井警察署に勤務する秋月は交通課所属の婦警で、その男性のような――と云うか、宝塚の男役のような――整った顔立ちと、その面倒見の良さから他の婦警たちからは「王子」と呼ばれている。しかもその上、スラリとした長身なので(小張と比べると頭ひとつ分は大きい)、家族連れや大きなお友達でごった返すロビーであっても、彼女の姿は大変よく目立っていた。


 秋月の姿を確認すると小張は、その右手を、ポップコーンやジュースがこぼれないよう注意しながら、まっすぐ高く上げた。


 秋月にはその腕が、それから小張の姿が見えたが、一瞬、それが彼女とは分らなかった。小張のその格好が、まるで何処かの大学教授のように見えたからである。


「ごめんね。待った?」と、小張に駆け寄りながら秋月が言った。色黒の肌に真っ白な長袖のTシャツ。クリーム色のパーカーを羽織りジーンズを履いたその姿は、まるで少女漫画に出て来る美少年のようだが、肩に掛けたトートバックのアクセサリー――ピンクのヘルメットを模った大きなバッチ(映画のヒロインのイメージグッズだ)から、彼女が女性で、且つ、このアニメの大ファンであることが分かる。


「出掛けに佳樹とケンカになっちゃってさ」と、秋月が言った。佳樹とは彼女の年の離れた弟のことで、そもそも、春休みのアニメ鑑賞は、秋月とその弟・佳樹との恒例行事であった。


 であったのだが、この弟――中学二年生になる秋月佳樹くんが「俺、もう、アニメとかって年じゃないし」と言い出し、弟との交流以上に映画そのものを楽しみにしていた姉・佳奈子が一人フラれた格好になったのである。


     *


 ちなみにこれも全くの余談だが、この弟・秋月芳樹くんもアニメに興味が無くなったワケではない。


 単純に、初めて出来た恋人 (未満)の女の子と韓国の純愛映画 (死んだハズの妻と再会するとかそう云う類いのアイドル映画ですね)を観に行きたいがために姉との映画館行きを断わっただけのことである。


 で、まあ、この事を秋月 (姉)が知るまでには、もう数ヶ月ほど時間を待たねばならないし、そこでも小張が変な絡み方をするのだが、それはまたいつかお話しするとして、本編の先を急ごう。


 うん。たびたびの余談、失礼しました。


     *


「だから私、今回の御本家との共演は、最高に期待しているんだよね」と、大人ひとりでファミリー向けアニメ映画を観に来るだけの度胸は持っていない秋月が言う。


「私、アニメ映画なんて十年ぶりぐらいですよ」と、先に座るよう秋月を促しながら小張が言う。二人の席は、秋月の身長を考慮して、一番後ろを取ってある。


「じゃあひょっとして」と、小張からポップコーンと飲み物が載ったトレイを受け取りながら秋月が言った。「今日のこれも知らない?」


「漫画の方は読んだ事ありますよ」と、小張がトートバッグから丸型の眼鏡を取り出しながら答える。「間抜けなオバケが出て来るのと同じ作者さんですよね」


「ああ、私もあれ好きよ。特に弟のO――」


 ブーッ。


 秋月の言葉を遮るように開演のブザーが鳴り、アフリカ中の動物たちが歌い踊るミュージカル映画の予告編が流れ始めた。


「あれ?」と、訝し気に小張が言った。「主人公、白くないんですね?」

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