第5話 ヒゲと美人
「それで、本当に警察の人だったんだよ」
と、男性が言った。その日の午後に石神井公園で絡まれた、もとい協力した警察官についての話をしているようだ。
2018年10月19日。金曜日。18時30分。会話の相手は、食卓に向かい合って座る彼の細君で、こう言っては失礼だが、男性とはいささか不釣り合いと言ってもよいほどの美人である。
「最近の警察官は、ああいう格好でも大丈夫なんだね」と男性は言ったが、いや、それは勘違いというもので、アレは特別なんですよ。
「お味噌汁、おいしい?」と、夫人が訊き、これに対して男性は、
「ああ、うん。いつもおいしいよ」と、嬉しそうに答える。
夫婦二人だけの夕食は質素なものばかりだが、夫人の性格だろうか、里芋の煮物にしろほうれん草のお浸しにしろ、それぞれに十分な手間暇が掛けられているのがよく分かる。
「メール。しておいて良かったでしょう?」
「ああ、助かったよ。よく分かったね?」
「長い付き合いですもの」と、本当に長い付き合いになった男の顔を見ながら夫人が言った。「そう言えば、大学に行ったんですって?」
「仕事のついでもあったし、」と、夫人に見詰められていることに気付いた男性が言う。「彼の顔も見ておきたかったし」箸を止めて夫人の方を見る。「君にもよろしくって」
普段は名前通りのノンビリした夫だが、何か奇妙なこと、少し不思議なことが起こる時はいつでも、その中心には彼がいた。今回の大学訪問も、そう云うことと関係は無いのだろうか?
「授業、分かったの?」と、夫人が訊く。
「全然。でも、面白かったよ。詩について語っているようで」
この春、母校の大学で教授の職に就いた彼も、子供時代からの友人の一人だ。
「物理の先生じゃなかった?」
「量子物理学だって」
「詩を語ってたの?」
「子曰く『物理と詩は同じもの』だそうだ」
学業優秀、スポーツ万能、誠実且つ容姿端麗。女生徒からの人気も高く、ある意味、夫とは正反対な人で、子供時代の夫は、彼に対しちょっとした嫉妬心・敵愾心を持ってもいたようだった。
「同じ?」
「『どちらも、韻を使うんだ』だそうだ」
「どういう意味?」
「聞いたけど、分からなかった」
ただ、互いにどこか惹かれ合うところはあるらしく、子供時代から何かと相談に乗って貰ったり、相談に乗ったりもしているらしい。息子さんが小さかった頃は、夫婦での出張の時等に我が家に預けて行くこともあったし、彼なりに夫を信頼しているのだろうが……まあ、私とは戦友のようなものだ。
「そう言えば、顎のお髭、まだ伸ばしてた?」
「うん?ああ、伸ばしてたよ」
「今度会ったら、私が剃るように言ってたって、伝えておいてね」
だって、せっかくの美形が台無しなんですもの。
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