第9話 呪術医院
ネルガル祭司は生きてはいるけど意識はなくて、とにかく儀式の小部屋から運び出して呪術医の館で寝かせて。
でもその呪術医というのが教王や祭司の別名なもんだから、もうどうしようもないわけで。
マルチリストバンドに指示を仰いでも、ロボンヌの修理が終わってないのが確認できただけ。
アタシは逃げるタイミングを失って、呪術医院に閉じこもった。
集落全体は、その辺の石を積み上げた赤茶の家をお祭り用の白い布で表面だけ飾っていたわけだけど、呪術医院はどこか遠くからわざわざ運んできた白い石で建てられて、病院としての意地のような白さを放っている。
天井には、地球を出るときに移民船に積んだのであろう医療器具が、魔除けのようにぶら下げられていた。
医院の周りは集落の人々に取り囲まれて、祈りの声とすすり泣きとがひっきりなしに聞こえ続ける。
慰めの言葉の一つも火星語には訳せず、アタシ一人、マジメにマトモに看病してみる。
フオシンくんはアタシの横で祈ってるだけ。
フオシンくんを除く小坊主たちは、人々が医院に入ってこないように入り口で押さえている。
扉が開く音に振り返ると、いつの間にかいなくなっていたリダくんが戻ってきたところだった。
いなくなっていたこと自体に今気づいた。
「リダ兄! どこへ行ってたの?」
「祖先の祠だ。聖典を読めば救いが得られるのではと思ったんだが、いくら祈りを捧げても金庫は開いてくれなかった」
そりゃ祈りで開いたら金庫の意味がないわな。
パスコードを知ってるのはネルガル祭司だけか……
「俺が聖典を読むのはまだ早いと神は申しておられるのだろう」
「そんな! それじゃ神さまはネルガル祭司を見捨てるっていうの!?」
「案ずるな、フオシン。神は俺に聖典ではなくこちらを与え給うた」
リダくんは肩に下げた袋から布で包んだ何かを取り出し、机の上にうやうやしく置いてから広げてみせた。
わお。紙だ。初めて見た。
いえ、歴史モノの映画でなら見たことあるわ。
形状からして本から破り取られたページっぽい。
紙を見るのも初めてなら、そこに書かれている文字も見覚えがなく、マルチリストをかざしてみても、エラーが出るだけで読み取れなかった。
これは……火星で作られた新しい文字なのか、それともシワのついた紙の文字を読むなんていう古代の考古学にマルチリストのカメラが対応していないのか……
フオシンくんは透き通った真剣な眼差しで、薄汚れた紙切れを見つめている。
「ねえねえ、ちょっと読み上げてもらえないかな。音声なら翻訳ピアスでどうにかできるからさ」
アタシが言うとフオシンくんは、アタシのほうをチラリと見たあと、体をズラしてアタシにも紙がよく見えるようにしてくれた。
……そうじゃなくってェ……
フオシンくんが紙を読み終わるのを待って、リダくんが口を開く。
「呪術医院に戻る前に、集落のお年寄りにこの紙を見せて回ったんだが、マルテ様が教王になる前は、これこそが教王の魂を地球へ送る正式な儀式だったらしい」
「……ぼく、こんなやりかたがあったなんて初めて知ったよ。どうしてネルガル祭司はマルテ教王の葬儀でこれをやらなかったんだろう?
あ! もしかして、儀式を手抜きしたせいで神の怒りを……」
「神の怒りなのかマルテ教王の嘆きなのかはわからない。けれどこれがネルガル祭司がお倒れになった原因なのは間違いない!」
二人ともひどく驚いて青ざめて、表情には期待と不安が同じ量で浮かんでいた。
「じゃあ! ぼくたちでこの儀式をすれば!」
「ああ! ネルガル祭司を助けられる! そうですよね? 天使様!」
「天使さま!!」
いきなり話を振られてアタシは、とっさに笑顔でうなずいてしまった。
「なんかしんないけど、できることがあるんだったらやっちゃえばいいじゃん!」
あと付けでそんな風に言ってみる。
言っても言わなくても伝わんないけど。
二人はアタシの瞳をじっと見つめて、予想外に重々しくうなずき返した。
え? あれ? もしかしてヤバかった?
「フオシン、祭司の役を頼む」
「何言ってんだよリダ兄! 次期祭司はリダ兄だろ!? こっちの役をやるのは……ぼくだ!!」
「……本気なのか?」
「もちろん!!」
ちょっと待って。何を……やるの?
「では天使様、俺たちは儀式の準備を始めます」
「天使さまはネルガル祭司を看ていてくださいっ!」
二人が呪術医院から出ていく。
扉が閉じる音が、やけに大きく聞こえた気がした。
アタシはネルガル祭司のベッドの脇に腰を下ろした。
サビの浮いた人工呼吸器が幸いにもうまく動いてくれてて、すぐに目を覚ますのか、ずっとこのままなのか、あるいは……といった予想が全くできない。
呪術医院の外ではリダくんが集落の人たちに紙を見せて儀式の説明をしているっぽいけど、壁の厚みと人工呼吸器の駆動音のせいで翻訳ピアスが声を拾ってくれない。
突然、小さな子供の泣き声が響いた。
フオシンくんよりも小さい小坊主だ。
一人、二人と釣られるように次々と泣き出す。
どうやらアタシはとんでもないものにゴーサインを出してしまったらしい。
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