第59話 記念日②


 何が起きたか分からない太一は、自分の手を見て凍り付いた。


 何故か。


 由貴に差し出した太一の腕に、映画やドラマでしか見た事がないがかけられていたからだ。


「え? あれ、由貴さん、これは?」

「玩具だけど結構頑丈だからね、太一じゃ力で壊すのは無理だよ」


 親身に答えてくれる由貴。


 だが太一はそんな事を聞きたいわけではなかった。


 太一が聞きたいのは、どうして由貴に手錠をかけられなければならないのかという事。


 初めは呆気にとられていただけの太一だが、由貴が笑顔のまま後ろ手でドアの鍵を閉めたのに気が付き、それからはとても平常心ではいられなかった。


「ふ、ふざけないでよ由貴さん! 今から話し合いをしなきゃいけないのに、こんな事してる場合じゃっ!?」


 太一はそれ以上言葉を発する事が出来なかった。


 太一の目の前、本当のゼロ距離に由貴の顔があった。


 太一の唇は何か柔らかい物で塞がれていて、すぐに口内に何かぬめぬめとしたものが侵入してきた。


 何が起きているのか分からない太一はただ固まっている事しか出来なかったが、そうしているうちに由貴に押し倒されてしまう事になった。


 床に倒れ込んだ衝撃で背中に鈍い痛みが走る。


 だが、それすらも気にならないほどの強烈な快感が太一を襲っていた。


 全身に押し付けられている由貴の柔らかな身体の感触と、口内で動き回る温かい何か。


 やっと状況を理解した太一だったが、それでも自分に起きている事が信じられなかった。


 太一は今、由貴に押し倒され、無理やり唇を奪われていた。


 口内を這いまわっているのは、由貴の舌。


 ぬめぬめした温かい由貴の舌が、太一の歯を一つ一つ丁寧に嘗め回す。


 かと思えば、乱暴に舌を絡めとられ、きつく吸い上げられた。


 由貴の口内にまで吸い上げられた太一の舌はそのまま舐りつくされ、お互いの唾液が密に絡みあう。


 太一が目を開けば、自分の上にまたがっている由貴が頬を上気させ、髪を振り乱して縋りついてくるのが見えた。


 一心不乱に口内を掻きまわしてくる由貴の姿は、貪っているという表現がぴったりで、太一は思わずその煽情的な姿に見惚れてしまった。


 呆気にとられたままの太一はそのまま唇をむさぼられ、これまでの人生で感じた事のないような快楽を与えられてしまう。


 当然、太一はこれまでの人生でキスをした事などなかった。


 まともに会話ができる女の子は明里だけ、その明里も昴が好きとくれば、太一にそんな事が出来る相手がいなかったのは必然の事。


 そんな太一が人生で初めて経験したキスが、今由貴から与えられている行為だった。


 それはキスなどと呼べるような綺麗なものでは決してない。


 湧き上がって来る劣情のままに、相手を気遣うことなく欲望を流し込んでくる口づけ。


 唇と唇が触れ合うだけのソフトなキスすらした事がない太一には、それは強烈な麻酔となんら変わりなかった。


 由貴の大きな胸や、柔らかな太ももが押し付けられる度に、太一の血流が身体のとある一か所に集まり、脳に血が回らなくなる。


 由貴の舌で歯茎をまさぐられ、舌を吸い上げられるごとに、太一の視界では火花が散っていた。


 太一は、この世にこんな快楽があるとは、一切知らなかった。


 初めはこわばっていた太一の身体が、知らぬ間に小刻みに震え出し、今では快楽に耐えられずに痙攣してしまっている。


 それでも由貴は太一の唇を離してはくれない。


 快感に耐えられず、太一の意志に反して痙攣する身体も、上にまたがっている由貴がその豊満な身体全体を上手く使えば、簡単に抑え込まれた。


 その体制で何秒。


 何十秒。


 いや、何分経ったのだろうか。


 太一は息継ぎすらさせてもらえず、ひらすら由貴に口内を荒らされ続けた。


 由貴にまたがられ、下になっている太一は上から流し込まれる由貴の唾液で口の中がいっぱいになる。


 ぱんぱんに膨らむ太一の頬。だが、由貴が口を離してくれなければ吐き出す事もできない。


 酸欠になりかけて視界が狭くなってきた太一は、必死になって口内に溜まった由貴の唾液を飲み込んだ。


 それでもあとからあとから、由貴が唾液を流し込んでくる。


 せっかく飲み込んだ太一はすぐにまた頬がパンパンになり、また由貴の唾液を自分の体内に飲み込み続ける。


 深い口づけを受けながら、何度太一がその行為を繰り返しただろうか。


 もう何分経ったのか等、太一は気にする事もできなかった。


 満たされたような表情の由貴が唇を離した時、もはや太一はまともに身体を動かす事もできず、意識を保つだけでやっとの状態になってしまっていた。


「ぁ、はぁ、ぁえ、な、なんぇ」


 太一は呂律が回らず、まともに喋る事もできなくなっていた。


 それでも上手く動かせない口を必死になって動かし、霞む瞳で由貴に訴えかける。


 そんな必死になっている太一を見ていた由貴は、まるで尿意を極限まで我慢していたかのように一度ブルッと身体を震わせ、恍惚とした表情を浮かべた。


「気持ちよかった? 私上手く出来てたかな? これからもっと、も~っと太一を気持ちよくしてあげるからね。私の全てを太一に捧げるから」


 まるで太一の質問に答える気はないらしい返答。


 そういう事じゃないと返したかった太一は、だが上手く喋る事ができない。


 そうこうしているうちに、太一にまたがったままの由貴がスマホを取り出していた。


「はぁ~い田端さん、そっちは準備出来てる?」

『……もう出来てるわ。そっちもいいの?』

「もちろん、むしろもう食べ始めちゃってるから」

『……そう。なら早く始めましょう』

「おっけ~、そんなに焦らなくてもちゃんと赤羽君はぐちゃぐちゃにしてあげるから安心してよ」


 朦朧とする意識の中、それでも太一は明里の声を捉えていた。


 太一が必死になって霞む目を見開くと、自分の上にまたがっている由貴が、スマホの画面をこちらに向けて来るのが見えた。


 画面に映っているのが誰なのか、霞む瞳では分からなかった。


 だがそれでも太一が誰かを判別できたのは、ひとえによく見慣れた人物だったからだろう。


 それは、明里と昴だった。


「じゃ、今からリモート会議の始まり始まり~」


 由貴の明るい声は、この場にはやたらと不釣り合いだった。


 画面に映っていた明里は能面を貼り付けたような無表情で、すぐにその姿を消した。


 明里が持っているのだろう。画面が動き、昴に焦点が寄って行く。


 ずっと椅子に座っていた昴。


 微動だにしない昴の様子が、そこでやっと太一にもはっきりと見えた。


 昴は、手と足を椅子に縛りつけられているようだった。


『おい、なんだよこれ! いい加減にしろよ明里! 上埜さんはどうしたんだよ!』


 画面の中で喚き散らす昴。


 だが、カメラを向けているであろう明里は何も答えない。


 昴から怒鳴られて、あの明里が何も反応しない。


 太一にとってそれは決して軽くはない衝撃で、それは昴にとってもそうなのだろう。


 焦っている昴の顔には、悲壮感が現れていた。


『ていうかおい、それ、上埜さんか? え、なんで上埜さんと太一が一緒にいるんだ? なぁ、そこで一体何してんだよ?』


 太一には昴が必死に語り掛けて来るのが見えた。


 だがそれも一瞬の出来事。


 太一の視界はすぐに由貴の顔でいっぱいになった。


 また口内に由貴の舌が入って来る。


『お、おい、マジで何してんだ? おい太一?』


 昴の戸惑った声をBGMににして、無遠慮に、傲慢に、由貴の舌が太一の口内を荒らしまわる。


 太一はなけなしの力で由貴に抵抗しようとするも、手錠をかけられた腕は使いものにならず、快楽に負けて簡単に押さえつけられてしまう。


 由貴からされるがままに身体を貪られてしまい、太一はまた意識が飛びそうになった。


 意に反して太一の身体が痙攣を始める。


 それからやっと唇を解放された時には、太一はだらしなく涎を垂らしている事しか出来なかった。


「はぁ~い、赤羽君見てるぅ?」


 太一の上では由貴が画面に向かって手を振っている。


 その様子は心底楽しそうで、由貴が浮かべている笑みは、太一にはいつもとは違うものに見えた。


『う、上埜さん? いったい何なんだこれ? 太一と何してんだ?』

「あれ、今見てなかったの? 私と太一はぁ、今キスしてたんだよ」

『……は?』

「だからキスだって。もしかして知らないの? 舌と舌を絡め合ってね、愛し合ってたんだよ」

『ちょ、ちょっと待てよ! 何言って、冗談だろ?』

「冗談じゃないよ。もう私の中には太一の唾液がいっぱい入ってるし、太一の中にも私の唾液がいっぱい入ってるの」

『や、やめろよ! な、なんで、なんでそんな事』

「なんでって、私が太一の事大好きだからに決まってるでしょ? 私はね、太一の全てをこの身体で受け止めたいの。だから、これから私と太一は一つになるの」


 あどけない笑みだった。


 由貴はまるで子供のように純粋な笑顔を浮かべて、そんな事を口にした。


 朦朧とする意識の中、太一は昴が呆気にとられているのかもしれないと思った。太一がそういう心境だったからだ。


 そんな放心状態の太一を気にすることなく、由貴は画面越しに昴へ語り掛け続ける。


「ねぇ、赤羽君。想像してみて、今から私のこの身体と心は、全部太一のものになるの。そして太一の全ても私のものになるんだよ。どう? 興奮するでしょ?」

『ば、や、止めてくれ上埜さん! 太一なんかと――』

「待った! 今太一の事見下したでしょ? よくないよそれ、イラっとするから止めて、あんたの方が下等生物なくせにさぁ」

『ぇ、ぁ、なんでそんな事言うんだよ! だって昨日はあんなに!? 二人で一緒に帰ったじゃないか! あの時、上埜さんの事を色々と教えてくれたじゃないか!!』

「ホント馬鹿だね。あんなの演技に決まってんじゃん。教えてあげたのも全部嘘だし。あんたの近くにいるだけで吐きそうだったわマジで」

『そ、そんなわけない! 実は上埜さんは両親が厳しいから、いつもまっすぐ家に帰って勉強する真面目な子だって、俺だけが上埜さんの本当の姿を教えてもらえたはずだろ!』


 画面の向こう側で叫ぶ昴は、本当に必死の形相だった。


 縛り付けられた椅子を引きずりながら、けして触れられはしないというのに画面に向かって近づいてくる。


 そんな昴を見て由貴は、



「ばぁ~か。全部嘘だって言ったでしょ? あんたなんかに本当の事なんて何一つ教える気ないんだよ」


 愉快そうに顔を歪めて笑った。


『ぅ、ぅ、嘘だ。そんなはず、だって昨日優しくしたから、上埜さんは俺に惚れたはずなのに』

「キモイ妄想止めてよね。私が好きなのはあんたなんかじゃなくて太一なの」

『そ、そんな、そんな事、あるわけない』

「あるんだなぁこれが。どう? あんた太一の事見下してたよね? いつも自分より下に見てたよね? そんな太一に、これから私の全てがとられちゃうんだよ? ねぇ、どんな気持ち?」

『ぁあ、やめ、やめてくれ』

「やぁだ。しっかり聞きなよ。あんたはね、私の中では太一より下なんだよ。いや、むしろ比べるまでもないかな。私には太一だけだからね」

『やめろ! やめろよ! 俺が太一より劣ってるわけないだろ!』

「劣ってるんだよ。自分に価値がない事も分からない程の馬鹿なの?」

『ぅぅぅ! うぅうう!!』

「ハハッ、何それ! 人の言葉も喋れなくなった? もう猿じゃん! ほら見て太一、お猿さんだよ!」


 嬉々とした様子の由貴が画面を近づけて来る。


 そこに映っていたのはもちろん猿なんかじゃない。


 血管が切れそうなほど顔を真っ赤にして、必死に歯を食いしばっている昴だった。


 太一には由貴が何をしたいのかまったく理解できなかった。


「お猿さんの癖に人間を好きになるなんて、あんた立場分かってる?」

『やめろ! 俺は猿なんかじゃない! 俺はその辺の奴らよりずっと上にいる人間なんだぞ! 誰からも尊敬されて、周りの奴は皆俺を慕うんだ! なのに、なのに……なんでだ? なんで俺を好きにならないんだ、上埜さん?』


 途中まで怒りに任せて怒鳴っているようだった昴の声は、太一には最後、泣きそうに聞こえた。


「自意識過剰すぎて笑えるんですけど、あんたなんかゴミ屑よりも価値ないってば。私はね最初から太一しか見えてないの。あんたはね、私の視界の隅にも映らなかった」

『っぅ!?』


 そこで昴は言葉を失ったようだった。


「何黙ってるの? まだ私の気は収まってないよ。あんたはお猿さんのくせに私の太一を散々見下してたんだから、その分お返ししてやらないと気が済まないんだよねぇ」


 弱い姿を見せた昴を徹底的に煽り、そのプライドを粉々にする由貴。


 言葉通り、太一を馬鹿にされて相当の鬱憤が溜まっていたらしい。


 由貴は心底楽しそうに、嬉々として昴の心を砕いていく。


 そんな由貴の姿を見て、太一は、




「……ぅ、ゆ、きさ、も、もぅ、やぇて」


 必死に由貴を止めようとしていた。


 あんなに酷い扱いを受けていたのに、それでも太一は昴を庇おうとしていたのだ。


 まともに動かせない口を必死に開き、息も絶え絶えになりながらも由貴に呼びかける。


 太一はかすれたような声しか出せなかったが、それでも由貴には声が届いたようだった。


 昴を罵り続けていた由貴がピタリと動きを止め、横たわる太一に向き直る。


「ん? なんて言ったの太一? あ、もっとキスして欲しいの?」

「ち、ちが、す、すば、る、も、もぅ、やぇぇ」


 残っていた力を振り絞り、だがそれが太一の限界だった。


 もともに言葉にもできない自分に、太一は情けなさでいっぱいになる。


 だが、由貴にはやっと太一の声が届いたようだった。


 太一の言いたい事を理解したらしい由貴は、それまでとは表情を一変させた。


「……ねぇ、太一。なんでそんなにこいつを庇うの? 太一が気付いたら辛いと思って黙ってたんだけどさ、この際だから教えてあげるね。このお猿さんはね、ずっと太一の事を見下してたんだよ? 親友ぶって手を差し伸べて、心の中では太一を馬鹿にしてたの。私は太一をずっと見てたからそれが分かるの。それでも、まだこの猿を庇うの?」


 目を吊り上げ、睨むように語り掛けて来る由貴。


 太一は今まで由貴にそんな表情を向けられた事はなかった。


 由貴はきっと怒っているのだろう。


 はっきりとそう分かりながら、それでも太一は、


「も、も、やぇて、くだ、ぃ」


 もう止めてと、先ほどと同じ懇願を繰り返す。


 太一だって心の底では分かっていたのだ。


 幼い時に声をかけてもらい、それからもう十年も昴の傍で過ごしていた。


 共に笑い合い、学校に通い、遊ぶ中で、昴の言葉の端々から自分が見下されている事は何となく察していた。


 それでも見て見ぬふりをして、昴を親友だと思い込んだ。


 普通の人なら、早々に違う友達を探すだろう。


 だが臆病で情けない太一にはそれができなかった。


 せっかく手に入れた昴と明里にしがみつく事しかできなかった。


 そして、喩え見下されていたとしても、昴に恩があるのは事実だった。


 だから太一は、太一のために昴を貶している由貴を止めた。


 それは由貴からの気持ちを蔑ろにしたも同然で、そんな事をされた由貴は、いったいどう思うだろうか。


 太一は霞む瞳を恐る恐る由貴に向けた。




「……それでこそ太一! 太一ならそう言うと思ってたよ私は! 太一は私が見込んだ通りの人だったね! その忠誠心みたいな献身を! 執着を! 依存を! 私だけに向けて欲しいの! 太一にはこんな事絶対に反対されると思ってたんだ! だから嘘ついてたの! ごめんね太一! でも私は本当に嬉しいよ! 今でも身体が疼く程太一が好きだけど、もっとも~っと太一の事が好きになってる!」


 由貴は歓喜の叫びをあげていた。


 感極まったかのように頬を上気させ、太一の上にまたがったまま、目を閉じる由貴。


 そのまま由貴は自分の腕を力強く抱きしめ、先ほどの太一以上に全身を激しく痙攣させた。


 数秒の間、身体をビクビクと震わせていた由貴は、とろけたような瞳で太一を見下ろしてくる。


 太一はそんな由貴の姿をただ見ている事しかできなかった。


「ん、ぁあ~、ごめんねぇ太一。私だけイっちゃった。でも安心して、ちゃんと太一の事もこれからいっぱい、い~~~~っぱい気持ちよくしてあげるからね……そうだ! あのお猿さん、さっきはよく見えなかったみたいだから、今度はちゃんと私たちの仲を見せつけてあげよっか!」


 太一は必死に首を横に振ったが、すぐに顎を掴まれて顔を押さえつけられた。


 その瞬間にはまた由貴が覆いかぶさってきて、太一の口内はまた蹂躙されていた。


 脳内を駆け巡る刺激に意識が飛びそうになり、抵抗しようにもまともに身体に力を込めることもできない太一。


 脚はガクガクと震えて生まれたての動物よりも立つ力がなく、普通なら一番役に立つはずの両腕は、力なく頭の上に押し上げられてしまっている。


「ぁ、もう、ぅぁめ、ぇ……」

「え? どしたの? ふふ、ホント可愛いなぁ~」


 全身に電気が流れるような快楽を感じていた太一は、由貴に優しく頭を撫でられただけで、身体が激しく痙攣してしまう。


 自分の身体がまるで別の生き物のように言う事を聞かない中、どうしてこんな事になってしまったのかと、太一はぼんやりとした頭で考えていた。


 だが、その思考もほぼ止まっている。


 太一がそのまま意識を飛ばしそうになった時、

 

『おい……おい太一! お前何やってんだよ!!!』


 昴が叫ぶ声が聞こえてきた。


『てめぇ太一! ふざけんなよお前、離れろ! 離れやがれ!!』


 太一がうっすらと目を開けると、画面の向こうの昴は椅子に縛られたまま地面に倒れ込んでいた。


 必死に暴れたのだろう。


 だがそれでも拘束はとけず、昴は床に這いつくばった姿で叫んでいた。


 あれだけ由貴に貶されて、プライドを傷つけられながらも、昴が怒りを向けたのは由貴だはなく太一だった。


 やはり昴にとって一番許せないのは、自分よりも劣っていると思っていた太一に由貴を取られる事なのだろう。


 必死の形相の昴に太一は言い訳をしようとした。


 自分は何もしていないと……。


 だが、太一が声を発することは出来なかった。


 由貴に唇を塞がれたからだ。


 昴に見せつけるようにねっとりとした口づけをおとしてくる由貴。


 それを見ていた昴の声は、怒りから悲痛な叫びに変わっていた。


『あぁ、なんで、そんな、どうして……どうして太一なんかに』


 昴は泣いていた。


 声はくぐもり、嗚咽を漏らしながら鼻水を垂れ流している。


 太一のすぐ傍で笑い声が聞こえた。


「アハハ! 見て太一! アイツ泣いてるよ! 馬鹿だねぇ~」


 心の底から楽しそうに昴を馬鹿にする由貴。


 だが、太一を見る時は打って変わって途端にいつもの優しい笑みに戻る。


 そんな由貴の様子を見ていると、まるで二重人格なのかと思える程の変りようだった。


『上埜さんお願いだ、もう止めてくれ、目を覚ましてくれ、太一なんかより俺の方が』

「目を覚ますのはそっちでしょ、あんたに価値なんてないんだよ。喩え太一がいなくても、私はあんたなんかに興味すら持たなかった」

『ぅ、そんな、俺は、俺は凄い人間、なんだよ? だから、今までも沢山の女が俺に夢中、だったんだよ? 上埜さんだって、本当は俺に、夢中、なんだよ?』

「そんなわけないでしょ。ゴミ以下だって言ったじゃん。あぁ、人の言葉が分からないのかな、お・さ・る・さ・ん」

『ぁ、ぁ、あ、あぁ、あ』


 今の由貴の言葉が決め手だったのだろう。


 あ、としか言わなくなった昴がもう完全に壊れてしまったのは、意識が飛びかけている太一にもなんとなく分かった。


 それでも由貴は追撃を止めない。


「どう? 自分の立場を理解した? あんたは太一の下。太一より劣ってるの。私にとって価値があるのは太一で、あんたに価値なんてない。いい? 私の身体も心も、全部太一の物なの。 あんたが欲しかった物はぜ~んぶ、太一の物になります。どう? 太一を怨まずにはいられないよね?」


 由貴はまるで、昴に太一への怨みだけを残すように、それ以外を言葉のナイフで削り取っていく。


 あれだけ言われれば、もう壊れてしまった昴にも、太一を怨む感情だけは残るだろう。


 だが、それだけだ。


 あそこまでプライドを砕かれた昴はもう立ち上がれない。


 太一への劣等感を抱きながら、一生太一を怨んで、羨んで生きるに違いない。


 そうなることは、泣きながら床に這いつくばっている昴の姿を見れば、誰にでも用意に想像できる事だった。


 朦朧とした意識の中で、太一は何故由貴がそんな事をするのかと、それだけを考えていた。


『ぁ、ぅあ、あ、お、れは、おれは、どうすれば』

「田端さんに泣き付きなよ。優しい優しい田端さんは親切だからね。きっとゴミ拾い……おっと、ゴミみたいなあんたにも手を差し伸べてくれるんじゃない?」

『ぅぅ、ぁ、ぁかりぃ、ぁかりぃ』


 泣きながら明里の名前を呼び続ける廃人のようになった昴。


 スマホを持っているはずの明里の声は、それでも一言も聞こえない。


 何か呼びかけようとしても、太一自身ももう限界だった。


「もういいかな? 田端さんどう?」

『そうね、もう充分だと思う』

「もしさぁ、もっと人形みたいになるまで壊したいなら、特別に太一とヤってる声だけでも聴かせてあげるけど?」

『……必要ないわ。もう昴は充分人形みたいだから』

「そ、脆いねぇ~。じゃあこれから私と太一はお楽しみだから、もう切るね」

『えぇ、そうして頂戴。貴女の声はもう聞きたくないの。気持ち悪い喘ぎ声なんてもっとごめんよ』

「酷いなぁ田端さん。私のおかげでそれが手に入ったんだから感謝してくれてもいいのに」

『馬鹿じゃないの』

「まぁ冗談だけど、じゃもうお互いに不干渉だから、今後私と太一に関わらないでよ。田端さんも計画に加担したんだから、約束はちゃんと守ってよね」

『……分かってるわ』

「じゃあはい、最後の役目。田端さんの仕事はまだ残ってるんだから、ちゃんと太一に伝えて」


 朦朧とした意識で由貴と明里の会話を聞いていた太一は、急に由貴から画面を向けられた。


 そこには先ほどまでとは違い、明里だけが映っている。


 由貴との会話と状況を考えれば、明里もこうなる事は知っていたのだろう。


 それでも、太一は聞かずにはいられなかった。


「ぁ、ぁ、かり、ど、どうしぇ」




『…………太一、貴方との恋人関係は私にとって、最悪の苦痛だったわ』


 太一の心もそこで折れた。


 無表情の明里にそんな事を言われ、涙すら出てこなかった。


『はい、これでいいでしょ』

「まぁぎり合格かな。じゃ永遠にさよなら~」


 もう何もかもどうでもよくなった太一の上で、スマホを投げ捨てた由貴が、もう待ちきれないとばかりに服を脱ぎ捨てる。


 太一は由貴にまたがられたまま、さらけ出される由貴の豊満な身体を眺めていた。


 リモートが繋がっていた時とはまるで違い、息を荒くしてまったく余裕のなさそうな由貴に身体をまさぐられる。


 今や個室の中は由貴の発している体臭と、荒い息づかいで満たされていた。


「やっとだよ太一。やっと一つになれるね。もうこれで太一は私だけのものだよ。どこにも行かないでね。ずっと私と繋がってようね。一生私から離れられないくらい気持ちよくしてあげるからね」


 太一は何も答えなかった。


 無防備に由貴の全てを受け入れ、すぐにやってきた快感で意識を飛ばした。

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