第58話 記念日①
翌日の放課後。
太一は由貴と一緒に、話し合いの場所に向かっていた。
今日は朝からいつもの日常とは違う始まり方だった。
まず、今日は幼馴染三人で登校していない。
どれだけ雰囲気が悪くなり、一緒にいるのが苦痛にすら感じていても、それでも三人で登校する事だけは続けていた。
だが、今日の太一は一人で登校した。
早朝のうちに明里からチャットが届いていたのだ。
『上埜さんから聞いてるよね? 今日は放課後の話合いまで余計な事は話さないよう登校はバラバラで、昴にも連絡はしてあるから心配しないで。あと、学校でも極力会話しないようにお願いね』
すごい徹底具合だと太一は感心するしかなかった。
明里はそれだけ今日の話し合いにかけているという事だろう。
改めて明里の本気を感じ、太一は学校でも徹底する事を心に誓った。
太一が少しだけ心配だったのは、昴から声をかけられたらどうしようかという事。
昨日由貴から聞いた話しでは、由貴は昴を反省させるために落ち込ませたと言っていた。
もし休み時間や昼休みに昴から話しを聞いてくれと言われたら、どう言って断ろうとかと何通りかの答えを用意し、それから太一は教室に足を踏み入れた。
結果から言えば、そんな太一の心配は杞憂に終わった。
昴は一日中、少しボーっとしたような表情で大人しくしてくれていたからだ。
その顔からは、昴が反省しているのか、それとも別の事を考えているのか太一には分からなかった。
そんな昴の様子が気になりはしたが、接触がないに越したことはない。
太一は学校では目立たないように過ごした。
それは明里や由貴も同じだった。
いつもの日常が過ぎていく中で、四人だけが普段とは違った時間を過ごしていた。
そして迎えた放課後。
まず、明里がすぐに教室から出て行き、次にスマホを見た昴が無言で立ち上がり、そのまま教室を出て行った。
昴に気付かれないために、集合場所へは個々に向かう事にしていた。
今日の話合いについて、昴へは明里が嘘の要件を伝えて呼び出す事になっているらしい。
昴が教室を出てから充分な時間を空けて、それから太一は由貴と一緒に学校を出たのだった。
由貴から教えてもらった話し合いをする場所は、何故かわざわざ数駅も離れた場所にあるネットカフェだった。
「どうしてそんな遠くで?」
「学校でできるような話しじゃないしね。それに近場でやっててクラスメイトに見られたら太一とか田端さんが嫌でしょ?」
「そっか、じゃあ僕たちを気遣ってわざと離れた場所にしてくれたんだ……ありがとう由貴さん」
「お礼はまだ早いよ太一。それに理由は他にもあるんだから」
「他の理由って?」
「そこの個室は防音がかなりしっかりしてるのが売りなの。どんなに大音量でも外に聞こえないようになってるんだよね。ほら、もし誰かが興奮して大きな声でもだしちゃうと不味いでしょ?」
そこまで言われて太一も納得した。
確かに学校の近辺で集まれば、偶然クラスメイトに会ってしまう可能性もあるだろう。
常に誰かに聞かれてしまわないかと警戒しながらでは、落ち着いて話し合いもできない。
さらに言えば、昴の状態も不安と言えば不安だった。
今日の話合いをするまでに由貴と明里はしっかりと準備をして、昴もこちらの話しを聞いてくれるくらいには冷静になったはずだ。
ただそれでも、不足の事態というのは起こりえる。
そうなってほしくはないが、話し合いがまとまらずにヒートアップしてしまうことだって、ないとは言い切れないのだ。
もしどこかのカフェやファミレスでそんな事になれば、周りの迷惑になるし、最後まで話し合いを続ける事も難しくなってしまうだろう。
由貴はそこまで考えて、最後までしっかりと話し合いができる場所を探してくれたという事だ。
太一は思慮深い由貴に感心したし、それ以上に感謝でいっぱいになった。
自分たちのために、ここまで頑張って協力してくれる由貴が、太一にはまるで聖人のように見えた。
この件が落ち着いて、また前の時間を取り戻す事が出来たなら、由貴に何かしらお礼をしなければならないだろう。
少し気が早いとは思いつつも、太一はお礼は何がいいかと考えながら、案内してくれる由貴の背中に続いたのだった。
「……ここだね」
個室のドアの前に立つ太一は、緊張で若干手が震えていた。
この中に明里と、そして昴がいる。
今日太一は二人とは一度も会話をしていない。
そんな状況で、まずどう話しを切り出せばいいのだろうか。
明里は作戦を知っているから問題ない。
だが昴は違う。何も知らない昴はきっと少なくない混乱を味わう事になるだろう。
そんな昴に、なんと言って話し合いを始めればいいのだろうか。
そんな事を考えていると、知らぬ間に太一は手に汗をかいてしまっていた。
ここに来るまではまだ少し余裕があったものの、いざ目の前まで来ると心臓が五月蠅いくらいに早鐘を打ち、運動しているわけでもないのに、息が切れそうになっている。
「私が開けてあげようか?」
太一がいつまでもドアの前に立ち尽くしていると、横から由貴に覗き込まれた。
由貴に心配されているのを感じた太一は恥ずかしさを感じた。
誤魔化すように首を横に振って、意を決してドアに手をかける。
一瞬の躊躇の後、太一は勢いよくドアを開けて個室に足を踏み入れた。
「……あれ?」
まず太一の口から出た言葉は、そんな呆気にとられた疑問だった。
何故か。
個室の中に誰もいなかったからだ。
中に二人がいると覚悟していた太一が見たのは、誰もいない広めの個室だった。
あるのは一代のパソコンのみ。
中は靴を脱いで入り、直接座れる一面のマットルームだった。
どこにも死角や隠れられそうな所はなく、この部屋の中に誰もいない事は明白だ。
「まだ来てないみたいだよ由貴さん」
「あぁ、ごめんごめん。田端さんと赤羽君は別の場所に集まってるから」
「へ? ぇ、ど、どういう事? 四人で話し合いするはずじゃ」
「そうなんだけど、直接じゃなくて、リモートでね」
由貴はスマホを取り出して悪戯っぽく笑った。
「田端さんと話し合ってさ、アプリ使ってリモートでやろうってなったんだけど、太一に言うの忘れてたわ、ごめんね」
「あ、そうだったんだ。でもどうしてわざわざそんな事を?」
「そこは安全面を考慮しました。言うても私と田端さんは女だし、太一も赤羽君が暴れたら抑えられないでしょ? ここは防音のしっかりした個室だしさぁ、誰にも助けを求められないじゃん?」
そう言われて、太一は昴が暴れまわる様子を想像してみた。
昴はずっと部活や自主的に身体を鍛えていたスポーツマンだ。力の限り暴れたら、誰かが怪我をしてしまう可能性だって充分に考えられる。
明里と由貴に危ない事はさせられない。
当然太一が昴を落ち着かせなければならないのだが、情けない事に、どう想像を膨らませて見ても、一瞬で昴に突き飛ばされる未来しか太一には見えなかった。
「……僕はホント役に立たないね」
「おぉっと、落ち込むとこじゃないよ太一! 気をしっかりもって、私は別に情けないなんて思ってないんだから」
「え、そ、そう?」
「もし何かあって太一が怪我したら私が嫌だから、だからこんな形にしたんだ。太一が大切だから、ね?」
卑屈になりそうだった太一だが、由貴に優しくなでられるとすぐにそんな悩みもどこかに行ってしまった。
周到な準備をしてくれている事から分かる通り、由貴が心から心配してくれているという事を実感した太一は、先ほどまでは緊張していたというのに、今は程よく落ち着けている。
ずっと不安を感じていたが、ここに来てようやく太一は本当の意味で冷静になれた気がした。
冷静になった太一は、これからの話合いのために意識して心を落ち着ける。
誰も興奮することなく、冷静に最後まで話し合いで解決するために思考を整理する太一。
そして冷静になった太一は、少しだけ引っかかりを感じる事があった。
それは、由貴が昴をかなり警戒している事。
防音の個室を選らぶだけでなく、別々の場所に集まって直接は顔を合わせない。
由貴の言っていた理由は別におかしくもない正論だ。安全性を第一に考えるのは当然の発想だと納得できる。
だが、太一にはまるで昴が暴れるのが前提として考えているようにも思えたのだ。
「そうだ、先に渡しておくものがあるんだった。太一、両手出して」
由貴の声が聞こえて太一は思考から引き戻された。
振り向くと由貴が笑顔で手招きをしている。
話し合いに必要なものでもあるのだろうか。太一は深く考えもせず、由貴に言われた通りに両手を出した。
「渡しておくものって何? 大きなもの?」
「とっても大事なものだよ。これこれ」
――ガチャ
「え?」
太一の耳朶を打ったのは、日常では聞き慣れない音だった。
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