第51話 最後の命令
気まずい昼休みを乗り越えた太一だったが、心休まる時間はまだ訪れそうになかった。
午後の最初の授業が終わるや否や、太一は昴に呼び出されていた。
場所はいつもの中庭。
寒々しい空の下で、呼び出された太一は委縮する事しかできない。
気まずそうな明里も昴の様子を伺うように黙っていて、そんな最高に空気の悪い空間の中、昴が苛立ちを隠すことなく口を開いた。
「なぁ太一、お前また自分から上埜さんに近づいたりしてねぇよな?」
恫喝するかのような昴の態度と口調。
そんな昴の声を聞けば、太一が幼馴染として扱われていないのは明白だった。
昴をこんな状態にしてしまった由貴は、いったいここからどうやって事態を解決するつもりなのだろうか。
本当にこの昴の気持ちを落ち着かせる事なんてできるのだろうか。
考えてみても分からない太一は、怯えながら言い訳を重ねることしかできなかった。
「し、してないよ!」
「はっ、どうだかな。俺はもうお前の事信用してねぇんだわ」
「ホントだよ! 僕が信用できないなら、明里に聞いてみればわかるよ! 最近はずっと一緒にいるんだから」
「……どうだ明里?」
「太一は嘘をついてないよ」
「ふぅん、そうか……」
明里の返答を聞いた昴は、一応のところは信じてくれたらしい。
太一は少し安堵したが、事態はそれで改善したわけではなかった。
何故なら、昴にとってはこれほどいろいろと手を尽くしても、それでも太一に負けていることを明確に見せつけられたということになるからだ。
昴がどれほど積極的に声をかけても、どれだけ距離を詰めようと必死になっても、喩え太一に由貴との接触を禁止しても、どんな事をしても由貴は太一だけしか見ていない。
その事実は、昴が手を尽くせば尽くすほどにはっきりとしてしまう。
それを認められないだろう昴の苛立ちは収まらるはずもなかったのだ。
「クソッ……上埜さんはまだお前らが付き合ってるって信じてないんじゃねぇのか?」
「そんなことないはずだよ。明里だってお弁当作って来てくれたり、すごい頑張って演技してくれてるじゃないか。クラスでも噂になってるし」
「だったら何で上埜さんはまだ太一なんかに構うんだよ!」
怒鳴られた太一は、怯えて身体が震えてしまった。
その様子を昴に鼻で笑われてしまう。もう完全に馬鹿にして見下されているのだろう。
そんな昴の考えが手に取るように分かり、太一はただただ悲しかった。
どんな扱いをされたとしても、太一にとって昴は大切な幼馴染の一人であり、前のような関係に戻りたいと思っていた。
だがそんなふうに考えているのは、たぶん太一だけなのだろう。
苛立ちのままに舌打ちをして壁を蹴っていた昴は、何度か悪態をついた後、不意にいいことを思いついたらしい。
急にニヤリとした顔つきになった昴の顔を見て、太一は一層嫌な予感がした。
「お前らもっといちゃつけよ。そうだな……軽くキスくらいしろ」
「なぁ!?」
太一は流石に自分の耳が信じられなかった。
いくら最近の昴が恋に夢中になるあまり暴走していたといっても、まさかこんな事まで言うとは考えたくもなかった。
でも、はっきりと聞いてしまった。
いくら自分の耳を疑ってみても、今のが幻聴だとは思えないし、何よりいい事を思いついたと笑っている昴を見れば、今のは本心からの言葉なのだろう。
今まで太一は、どんな理不尽な事でも昴には頷いてきた。
だが、それでも許せない範囲はある。
太一にとって許せない事は、明里をこれ以上傷つける行為。
太一は自分だけならまだ我慢できたのだ。
だが、明里までまるで道具のように利用しようとする昴には、もう我慢できそうになかった。
「それはいくらなんでも酷いよ昴!」
気が付けば、太一は声を荒げていた。
「あぁ? なんだよ太一、何が酷いって言うんだよ?」
「いい加減にしてよ昴! 明里が可哀そうだと思わないの! 普通好きでもない人とキスなんかしたくないでしょ!」
「まぁ太一なんかとキスしなきゃいけない明里には同情してるけどな。けどよ、二人が最初からしっかりやってくれたらこんな事俺も言わなかったんだぜ?」
太一が睨みつけても、昴はまるで気にもしていないように見える。
小馬鹿にするように鼻で笑う昴。
いくら感情に振り回されているとは言え、これは酷すぎた。
「それによ、こんな事になってるのは太一のせいなんだぞ? 俺を悪く言うんじゃねぇよ。なんか明里の味方ぶってるけどよ、恨まれるならお前の方だからな? お前が俺の邪魔さえしなきゃ、明里だってこんな目に合わずに済んだんだ。勘違いしてんじゃねぇぞ」
責めるような視線を向けて来る昴に、太一は言葉を詰まらせてしまった。
昴から言われてやっていた事だが、たしかに太一が由貴と仲良くなってしまったのは事実で、その行動のしわ寄せが明里に行っているというのは間違っていないからだ。
自分だけいい人ぶっていると言われたら、太一には反論できなかった。
だが、それでも昴の明里への態度には我慢できなかった。
明里は昴の事が好きなのに、知らないとはいえ、明里の気持ちを利用して当然のように振舞っている昴に、太一は初めて怒りや憎悪といった感情が湧き上がって来るのを自覚していた。
「それくらいやるよ昴。ごめんね、ちゃんと役にたてなくて」
太一が昴と睨み合っていた時、不意に聞こえてきたのは明里の声だった。
それくらい何てことはないというようなその声を聞いた時、太一はもちろん驚いたが、これには昴も少し驚いているようだった。
「あ、明里、何言ってるの?」
振り向けば、明里は聞こえてきた声の通り平然としていた。
まるで、今言われたことくらいなら気にもしないというような態度は、太一にはとても信じられるものではなかった。
「何って、太一とキスすればいいだけでしょ? 全然平気よ」
「そ、そんな、何言ってるの明里、おかしいよ」
「何でそんなに驚いてるの? むしろ太一は私とじゃ嫌なの?」
まったく理解できないと、明里の瞳にはそんな困惑が宿っているように見える。
それに気が付いた太一は何も言えなくなった。
そんな明里の態度には、昴でさえも若干呆気にとられていた。
昴でさえ、明里には拒否されると思っていたのだろう。
きっと明里を言いくるめる言葉も考えていたに違いない。
だがそれは全て無駄になった。明里は拒否することなく、太一とキスすることを受け入れたのだ。
昴にとっては都合のいい展開のはず。それなのに、昴の表情は優れなかった。
「ぉ、ぉお、流石明里だな! そんなことまで進んで身体はってくれるなんて」
「太一となら全然平気だから、気にすることないわ」
「そ、そうなのか、まぁそうやって強がってないとやってられないよな?」
「別に強がってないわ。太一とキスくらい本当に普通だもの。私たちは恋人同士なんだし、なんなら今日中に上埜さんの目の前で実行するけど?」
本当に何事もないかのように、むしろ進んでそんな提案をする明里。
昴もそれ以上は何も言えなかったのか、ただ頷きを返していた。
そんな二人のやり取りを見ていた太一はただ混乱していた。
由貴の不可解に昴を煽るような行動だけでなく、明里の不自然すぎる変化も重なり、太一の脳は許容範囲を超えていた。
太一が呆然と明里を見ていると、気が付いたらしい明里と目が合った。
明里は、太一を見て楽しそうに微笑んでいた。
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