第39話 赤羽昴の激情①


 赤羽昴は最近イライラが募る日々を過ごしていた。


 昴のこれまでの人生の中で、こんなにイライラが続く経験は初めてだった。


 あまりにも上手くいかない日々に、気付けば昴の口からは勝手に悪態が漏れるようになっていた。



 生まれつき体格がよく、顔つきも整っていた昴は、いつも他人から慕われる人生を過ごして来た。


 だからこそ、昴は自分が容姿や肉体的な面で他人よりも優れているということを無意識のうちに理解していた。


 自分は恵まれている。幼い頃にはすでにそう認識していた昴は、自分が他人の上にいるのだと思うようになった。


 恵まれた自分がするべき事は、持たざる者に手を差し伸べる事。そんな大げさな考えを真面目に持っていた昴は、実際にそういう人を見たら進んで手を差し伸べて来た。


 その証拠となる最たる例が、幼馴染の明里と太一の存在だ。


 今でこそ綺麗に成長した明里は、男子から人気を集める存在になった。


 とはいえ幼い頃は太一と一緒で、大人しいと通り越して極度の引っ込み思案だったのだ。昴が二人と出会った頃は、明里も太一も自分の殻に閉じこもっていた。


 一人ぼっちで寂しそうにしているくせに、自分からは勇気をもって踏み出すことができない。


 何も行動を起こせず、ただ落ち込むだけの二人の姿は、昴の目にははっきりと持たざる者に見えた。


 だから昴は、自分が助けてやらなければと幼いながらに感じたのだ。


 そうして昴が二人に救いの手を差し伸べて以来、二人とは今でも幼馴染としての関係が続いている。


 明里も太一も昴のこと慕っていて、いつでも傍についてくる。


 昴は二人から尊敬され、敬愛されていることを実感していた。


 そして、二人からそんな感情を向けられるのは当然だと考えていた。


 何故なら、二人は昴がいなければ何もできず一人ぼっちのままだったのだから。


 明里と太一がいつも自分にくっついてくるのは、もはや昴の常識だった。


 そして、それ以外にも昴の周りには沢山の人がいつも集まって来るようになる。


 昴は人から慕われていることをあまり意識することはなかったが、それは自分が他人から慕われるのが当然だと無意識に思っていたからだった。


 運動が得意で、人目を引きつける優れた容姿をしている。


 勉強も苦手なものはなく目立った汚点にはならない。


 欠点という欠点がなく、完璧を体現している自分が慕われるのは当然の事。それが昴にとっての常識だった。


 みんな昴に気に入られようと、昴に都合のいいことを言ってくれる。昴に都合のいいことを率先してやってくれる。


 そのおかげで昴はあまり苦労をしたことがない。


 幼い頃から常に人から慕われる日々をすごしていた昴にとって、自分以外の他人は、ほとんどが無意識に下に見ている存在だった。


 明確に差別しているわけでも、馬鹿にしているわけでもない。


 これといった悪気もなく、ただ自然に、幼い頃からそれが当然だっただけで昴本人すらも意識していないこと。


 だからこそ、慕ってくれる人が多い中で昴は誰かを好きになったことなど一度もなかった。


 集まって来る女の子たちのことを、自分よりも下の存在と無意識にみている昴にとっては、ただ困っていたら手を差し伸べてやる恵まれない存在でしかなかったのだから。


 そんな昴が初めて好きになった女の子が、上埜由貴だった。


 昴にとって上埜由貴という少女は、初めはただ派手な女の子という印象しかなかった。


 そんな大勢の中の一人だった由貴のことを気になる出したのは、ほとんどの女子から相手にされず見下されていた太一のことを、由貴だけが馬鹿にしないことに気が付いてからだった。


 大抵の人は、自分よりも下の立場だとはっきりと認定した相手とは深く関わろうとしない。


 それどころか酷ければ見下したり馬鹿にして、ストレスを発散する道具にだってする。それが昴が抱いている人という生き物への印象だった。


 だからこそ、困っている人や自分よりも下の立場の人に手を差し伸べる事ができる者は、他よりも数段恵まれた選ばれた人間のみであり、それが自分だと昴は考えていた。


 弱者を助けてやれるのは、本当に他人よりも優れている者だけ。


 だから明里や太一に手を差し伸べてあげることは、昴にとって自分の価値の証明だった。


 こんな事ができるのは、他よりも圧倒的に優れている自分だけ、そうしていつものように一人では何も言えない情けない太一を助けてあげようとした時に、由貴の存在に気が付いたのだ。


 太一を囲んで馬鹿にしている女の子たちの中、由貴は一人だけ太一を馬鹿にせず、周りの女の子たちを諫めていた。


 それは本当に自然な諫め方で、女の子たちとの間にも軋轢が起きないように配慮しているようだった。


 太一ですら助けられたことに気が付いていないかもしれない。だが、昴だけは気が付いた。


 それから昴は太一が絡まれている時はわざと出遅れて、由貴がどう動くのかを観察していた。


 昴は何度も太一のピンチを見ていたが、やっぱり由貴はその度に太一のことを庇っていた。一回だけなら気まぐれということもあるが、そうではないようだ。


 弱者を助けるその気高い姿を見ていた昴はすぐに確信した。


 由貴が、自分と同じレベルにいる存在なのだと。


 まずは女の子として優れた容姿を持っているのは当然のスタートラインだ。この点はよくクラスの男子の話題になっているし、昴から見てもレベルは高い。


 そこからさらに、由貴には他人に手を差し伸べられるほどの余裕もある。


 普通の人なら気にも留めない太一という存在に手を差し伸べる由貴は、その辺の凡人とは明らかに違う。


 まさに昴と同じ恵まれた存在。


 昴はその時、初めて仲間に出会えたような気がして感動していた。


 傲慢な言い方になるが、本心では初めて自分に相応しいレベルの女の子を見つけたと思っていたのだ。


 それから、昴は頭から由貴のことが離れなくなった。


 教室ではつい姿を目で追ってしまうし、姿が見えない時は由貴の事を考えてぼーっとしてしまうことも増えた。


 いつも傍にいる明里と太一から心配されてしまうこともあったほど、昴は由貴のことで頭がいっぱいだったのだ。


 何せ昴にとっては初めて自分に相応しいと思えた相手だ。それだけ魅力的ならいつ他人が手を出そうとしてもおかしくはない。


 だが初めの頃は、昴に焦りなどなかった。


 自分と同じ優れた存在の由貴が、自分以外の凡夫に本当の意味で興味を抱くなど、昴には到底思えなかったからだ。


 昴がその辺の女の子に興味を持てなかったように、由貴もその辺の男に恋をするなどあり得ないと確信していたのだ。


 だからこそ昴は、由貴と仲良くなるために慎重に動き出す事にした。


 これまでの人生で大きな失敗をしたことはない昴は、今回のこともスマートに事が進むと考えていた。


 変に意識されないように太一を使って情報をさぐり、充分に由貴の事を知ってから、間違えないように距離を詰めるところまで作戦も立てていたのだ。


 むしろ昴は、本当なら自分で声をかければそれだけで事が済むとすら思っていた。


 喩え優れた存在の由貴だろうと、自分が声をかけるだけで、すぐに他の女の子たちのようになると思って疑わなかったのだ。


 だからこそ、ここまで慎重に事を運べば、間違いなく仲良くなれるはずだった。


 今までの経験上、昴は何もしなくても女の子の方から寄って来た。昴が自身で距離を詰めて行けば誰だってすぐに自分のものになるはずなのだ。


 由貴だってすぐに向こうから寄って来るようになると、昴はそう考えて疑わなかった。


 初めて会った対等な存在だと思える由貴のことも、昴は無意識に下に見ていたのかもしれない。


 だが、昴がイライラする日々を過ごしているのは、そう上手く事が運ばなかったからだった。

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