第35話 諦めたはずだったのに①


 お昼の宣言通り積極的に動き始めた昴。


 午後は休み時間になるたびに由貴のところに話しかけに来ていた。


 由貴の隣の席の太一には、どうしても二人の会話がじかに聞こえてくる。


 太一はなぜか二人が会話をしているところを見ていられなくて、教室を出て休み時間を潰すことにした。


 ただあの場から逃げただけで、特に何か用事があるわけでもない。


 太一がブラブラと廊下を歩いているうちに、今頃教室では昴と由貴の仲がどんどんと縮まっているのだろう。


 昴からもういいと言われた以上、太一にはもう由貴と仲良くする理由がない。


 今までの楽しかった放課後の日々が、まるで走馬灯のように太一の頭の中を駆け巡る。


 由貴は太一にとって初めてできた幼馴染以外の友達で、太一の中では幼馴染たちと同等の大きな存在になっていた。


 が、それでももうどうしようもない。


 由貴は昴の好きな人であり、自分は昴の邪魔をしてはいけない。太一はそう自分に言い聞かせて、少しずつ由貴のことを自分の中から追い出すのに必死だった。


 そんな苦痛以外の何者でもない午後が終わり、放課後がやってきた。


 いつもなら明里と太一に声をかけて、すぐ部活に向かう昴が、今日は教室から出て行かず、由貴の机に来て声をかけていた。


「上埜さんちょっといい?」

「ん? なに?」


 その場にいれば当然太一にも二人の会話が聞こえてくる。


 どんな会話をしているのか気になってしまっている自分が嫌になり、太一はすぐに席を離れた。


 教室を見渡すともう明里の姿はない。


 太一が由貴と放課後を過ごすようになってから、明里とは一度も一緒に帰っていなかったから、すっかりと一緒に帰っていた頃の習慣もなくなってしまったのだろう。今日も明里はすぐに帰ってしまったようだ。


 少し寂しさを感じながらも、太一は仕方ないと切り替えて一人で教室を出た。


 周りにはこれから遊びに行くのか楽し気な生徒や、部活仲間で張り切っている一団が歩いている。


 そんな賑やかな空気の中で太一は一人きり。


 今は昴も明里も……由貴もいない。


 最近はずっと由貴と一緒にいたからか、太一は一人での下校に無性に寂しさを感じていた。


 これ以上深く考えてしまわないように、太一は無心になろうと歩きながらも必死だった。


『あそこのカフェいいとこだよ』

『こんどは駅の裏にあるカラオケに行ってみよっか』

『ん~今日はちょっと遠くまで行ってみる?』


 聞こえるはずのない由貴の声が太一の脳内に響く。


 隣をみてももちろんそこに由貴はいない。


 太一は一人だ。



 だが太一は、これが自分の正しい姿だということを思い出していた。


 太一には昔から昴と明里しかいなかった。


 他は誰も太一を見てくれない。声をかけてくれるのは昴か明里に近づきたい人たちだけだった。


 そして、それは今でも根本的には変わらないことだ。だから太一には今でも他に友達なんていない。太一には昴と明里しかいないのだ。


 だから太一は、昴のためにも邪魔をしてはいけない。


 もし昴に嫌われてしまったら、きっと昴の事が好きな明里も太一から離れて行ってしまうだろう。


 そうなれば、太一は本当に一人ぼっちだ。


 太一はそうなる事が怖かった。そしてもう少しでそうなっていたかもしれないと思うと、ここで踏みとどまれた事は幸運だったのかもしれない。


 由貴が一緒にいてくれるのが当然だと考えていたのが間違いで、昨日までがおかしかっただけ。


 明日になったら明里に話をして、また前の日常に戻ればいい。


 自分の立場を思い出した太一の口から苦笑が漏れる。


 何を高望みしていたのだろうか。新しい友達なんて不相応すぎる願いを抱いたせいで、唯一の幼馴染まで失くしてしまうところだった。そうなる前に自分の立場を思い出せたことは僥倖だったと考えれば、太一は素直に納得することができた。


 もし太一が自分の立場を思い出せなければ、昴の怒りを買って絶交されていたかもしれない。


 後悔する前に気が付けたのは本当に幸運だった。一時の感情に身を任せて、大切なものをなくしてしまうなんて馬鹿のすることだと太一には思えた。


 ようやく気持ちを切り替える事ができた太一は顔をあげた。


 どうやら考え事をしているうちに、もう駅前まで歩いてきていたらしい。


 これほど考え込んでしまっていたことに驚いた太一だったが、おかげで由貴と昴の事を吹っ切ることができそうだった。




「先帰るなんて酷いぞ」


 なのに、太一の耳には聞こえるはずのない声が聞こえてきた。


 あまりにも未練がましい自分に、太一は恥ずかしさを感じた。


 ここまで考え込んで吹っ切れたはずなのに、まだ過去の記憶にすがろうとしているのかと思うと、太一は自分へのため息を抑えられない。


 第一、太一は昴と喋っていたその人を置いて帰ってきたのだ。


 もしかしたらまだお喋りに夢中になっている可能性だってある。ここにいることはあり得ない。


「お~い、無視しないでよ」


 それでも声は途絶えることがない。


 あまりにも女々しい自分に太一もイライラとしてきた時、すぐ後ろから誰かに抱きしめられていた。


「ほら捕まえた! もう逃げらんないよ」


 その明るく楽しそうな声。


 頬をくすぐるサラサラとしたベージュの髪。


 背中を圧迫するくらいに押し付けられている柔らかな感触。


 その全てが太一の妄想などではなく、これが現実であると、そう太一に伝えてくる。


 信じられない思いで太一が振り向けば、そこにはずっと思い続けていた顔があった。


 笑顔の印象が強いその人は、今はその顔を膨らませて怒っていることをアピールしているらしい。けれどそんな顔も太一にはかわいらしく思えて仕方なかった。


「私をおいて帰るなんていい度胸してるじゃん、太一」


 太一を後ろから抱きしめているのは、紛れもなく由貴だった。

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