第30話 二人だけの秘密⑤


「あの、上埜さん今、僕のこと太一って」


 何か引っかかりを感じてはいたが、あまりにも自然で今まで太一はそれが何なのか意識出来なかった。


 だがやっと気が付いたのだ。いつの間にか由貴が『太一君』から『太一』と呼び捨てにするようになっている事に。


「あぁ、もう私らの仲だしいいかなぁって思って」

「いいかなぁって、そんな急に」

「いいじゃんいいじゃん。太一ももう私のこと名前で呼んでよ。いつまでも上埜さ~ん、なんて他人行儀でヤなんだけど」

「いや、それは……」

「えぇ~? 私のこと名前で呼ぶの嫌なの?」

「嫌じゃないです! ただ……」


 それは太一にとって本当に嫌な事ではなかった。


 明里以外の女の子で初めてここまで仲良くなれた由貴と、本当に友達になれたような気がして、名前で呼ぶように言ってもらえたことは素直に嬉しかったのだ。


 だから太一が気にしていることは別にあった。


 それはもちろん昴との関係性だ。


 いくら由貴から名前で呼んでと言われたことが嬉しくても、昴のことを考えると急に由貴を名前で呼ぶなんてことはできない。


 もし学校で太一が由貴を名前で呼んでいるところを昴に見られてしまったら、いったい昴からどんな反応をされてしまうだろうか。


 昴はまだ由貴のことを上埜さんと呼んでいる。


 上手く距離を詰められていないこともあり焦っているというのに、太一が先に由貴を名前で呼ぶようになれば、軽くイライラされるだけでは済まないかもしれないのだ。


 太一は昴から嫌われたくはないし、何よりも昴に悪い気がして、はいと言えなかった。


「あ~わかった! 太一ったら恥ずかしいんでしょ? ホント奥手だもんね~」

「え……あ、あぁ、まぁそういう事です」


 本当はそういうわけではないのだが、本当の理由を由貴に言う訳にもいかない。


 太一は得意げな顔をしている由貴に話を合わせることにした。その方が都合がいいと思ったからだ。


「ならさ」


 けれど、その判断が、太一にとって思いもしなかった展開を招いてしまった。



「二人きりのときだけでいいから 、由貴、って呼んでよ」


 真っすぐに太一を見つめてくる由貴の瞳はいつになく真剣で、もう慣れたはずの太一は思わず目をそらした。


 心臓が驚くほど早く脈打っている。あの瞳にはそれだけの効果があった。


「きゅ、急にそんなこと言われても困りますよ」

「誰にも聞かれなきゃ恥ずかしくないでしょ? 二人きりの時なら誰にも聞かれないしさぁ」

「それは、そうですけど」

「私らもう仲良しじゃんか。太一は毎日私と一緒に遊んで楽しくなかったの? 私は太一と一緒にいて楽しかったよ?」

「いや、僕だって、楽しかったですけど」

「でしょ! だったらさ、もう名前で呼んでくれないと逆に寂しいって、ね、お願い」

「ッ……」


 さっきの凛々しい表情から一転して、今の由貴はなんとも庇護欲をそそられるような空気を出している。


 間近から上目遣いで見つめらている太一は、由貴のかわいさを改めて実感していた。


 普段は大人びていて、いつも引っ張ってくれる堂々とした女の子なのに、今は普段とのギャップが激しすぎる。


 反則的な由貴の魅力の前に、太一はほぼ陥落してしまった。


「ふ、二人きりの時だけなら」

「ホント!? じゃあほら、今から呼んでよ」

「え、えっと……ゆ、由貴、さん」

「おぉ~!」

「何ですか!?」

「ちょっと感動した。でも、さんは余計なんだよねぇ」

「できればこれで勘弁してください」

「う~ん、まぁ、許してあげましょう」

「学校ではこれまで通り上埜さんって呼んでいいんだよね?」

「いいよ、恥ずかしいんでしょ? 私も内緒にしてあげるから。その代わり二人きりの時はちゃんと名前で呼んでね」

「わ、わかりました。お願いします」

「ふふ、太一と私の、二人だけの秘密だね」


 二人だけの秘密。


 そう言われて、太一の心にはまた少しだけ罪悪感が顔を出して来た。


 大切な幼馴染の好きな人と、太一は二人だけの秘密を作ってしまったのだ。


 それはよくないことだと太一は思ったのだが、嬉しそうにしている由貴を見ていると、太一の中の罪悪感も段々と小さくなっていった。


 自分なんかと仲良くなることで、こんなにも嬉しそうにしてくれる人がいるなんて、太一は想像もしていなかった。


 由貴の存在は、太一にとって夢物語を現実にしたようなものだ。


「そうだ、今の写真太一にも送ってあげる」

「え? 僕にも?」

「だって二人の記念だし……ってまだ太一の連絡先聞いてないじゃん! 教えてよ」

「わ、わかりました」


 由貴に言われて慌ててスマホを取り出し、チャットのアプリを起動する太一。


 だが、設定やらは昴が勝手にしてくれたため、自分では詳しくわからない。


 昴と明里の連絡先は、それぞれが太一のアプリに登録してくれたし、他に友達がいなかった太一には、登録する機会もなく正直どうすればいいのか分からなかった。


 少し恥ずかしかったが、由貴になら素直に言っても馬鹿にされないような気がした太一は、遠慮がちにその旨を切り出すことにした。


「あの、僕今まで誰かと連絡先を交換したことがなくて、その、どうすればいいのかわからないんですけど」

「なら私がやってあげるから、スマホちょーだい」


 案の定由貴は一切馬鹿にすることなくそう提案してくれた。


 由貴は自分のものでもないのに、慣れた手つきで太一のスマホを操作すると、すぐにスマホを返してくれた。


 太一が確認すると、アプリにはしっかりと由貴のIDが登録されていた。これでいつでも由貴とチャットで連絡が取れる。


 昴と明里、それと家族以外で初めて増えた由貴の連絡先に、太一は少し感動した。


「じゃあ時間になったし出よっか、写真は後で送るから」

「うん、ありがとう」


 こうして太一は今日も由貴と二人で電車に乗り、最寄り駅まで一緒に帰った。


 太一は歩きながらスマホを何度も見る。


 そこには登録されたばかりの由貴のIDがしっかりと表示されていて、何度画面を見直しても消えることもない。


 それに、由貴とは二人だけの秘密まで作ってしまった。


 二人きりの時は名前で呼ぶ。


 それはこの世界で太一と由貴しか共有していない秘密。


 その秘密が、今まで昴と明里しかいなかった太一に、新しい友達、由貴と仲良くなれたという実感を高めてくれる。


 由貴と過ごす時間はもうすっかり太一にとって楽しいものになっていて、太一は浮かれた気分で帰宅したのだった。

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